インタビュー

フォトグラファー 小野晃蔵 (後篇)

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小野晃蔵

profile
1965年生まれ
1991年 スタジオ21入社
1996年 小野晃蔵写真事務所 設立
2003年 渡英ロンドンを拠点
2004年 大阪を拠点
2006年 Motor Life 個展 (chef d’oeuvre)
2007年 New York Festivals Awards ファイナリスト受賞
2008年 Not going well 個展 (millibar)
2011年 For Your Smile 311チャリティー写真展(中之島BANKS)
2011年 Motor Life 個展 (RePS)
2012年 LOVE THE MOTORCYCLE SCENE(6[rock])
2013年 For Your Smile 311チャリティー写真展(UMEDA HANKYU)
2013年 SPinniNG MiLL 設立
アメリカで写真家・三好耕三さんと運命の出会いを果たしたことをきっかけに、帰国しプロへの道を歩みだした小野晃蔵さん。しかし、小野さんの破天荒なカメラマン人生はこれからが本番でした。前篇(→コチラ)に引き続き、後編をご覧ください。
■ロンドンへ
独立した小野さんは次第に仕事も増え、スタッフも雇い順調な成功を収めているように見えました。
「でも『僕の写真は誰でも撮れる写真だ』という思いが強くなってきたんです。フォトグラファーを名乗りながら、一度も海外挑戦したことがないというのも負い目でした」
小野さんは海外への挑戦を決意すると、スタッフに予告して半年後に事務所を閉めてイギリスへと渡ります。2003年のことでした。
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▲自身の作品については「訴えたいものがあるとかはない。完全なマスターベーション。(ただ)本気のマスターベーションです」
ロンドンで事務所を開いたものの、小野さんは苦戦します。
「英語もまともにできませんでしたし、金額や条件が同じなら、やっぱり現地のフォトグラファーが仕事をとっていきますよね」
悔しい思いを重ねながら小野さんは2年弱イギリスであがき続け、2004年の10月に日本に帰国します。
「自分の中でひとつの目安にしていた区切りがあったんです。結局、イギリスに行って何か大きな仕事をしたとか賞をとったとか、わかりやすいお土産は何もありませんでした。でも、イギリスにいて『なんてことないな』と思ったんです。イギリスに行ったことが自分にとてもプラスになったと思いました。今も振り返って、あの時イギリスに行ってなかったら今の自分は無いなと思います」
日本で活動を再開した小野さんは、さっそく2007年に海外で大きな評価を得ます。「New York Festivals Awards」において、電通や博報堂などの大きな広告代理店に並んで、小野さんと仲間たちが作った広告作品は高く評価され受賞、ファイナリストの栄誉を得たのです。
■For Your Smile 311
2011年3月11日、東北大震災は拭いきれない爪痕を残しました。衝撃はあまりにも巨大でしたが、間髪おかずに世界中から様々な支援の手が差し伸べられました。小野さんも後輩のカメラマンと相談し、311人のカメラマンの写真展を開催し、売上を寄付することにしました。
「出展者から出展料を取るだけでなく額装までしてもらって、普通ありえない写真展でしたが、それでも結局311人のカメラマンが作品を提供してくれました」
中之島BANKSで開催された写真展「For Your Smile 311」には多くの人が押し寄せ、250万円もの義援金が集まったのでした。
「For Your Smile 311」は第二回が阪急百貨店で開催されますが、会場の確保などに苦労することになります。そんな時でした、小野さんがおあつらえ向きの物件に出会ったのは。
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▲紀州街道沿いにある「スピニングミル」。
■倍のお金を出す人がいても売らないで
写真展「For Your Smile 311」や個展も開催するようになった小野さんは、もっと自分らしい作品、自分の好きな自由にやれる作品作りを志向するようになります。
そんな折、先輩のカメラマンがレトロ建築に事務所を開いたのを見た小野さんは、
「自分もこんな所に事務所を構えて作品を創れたら」
と、大阪のレトロ物件を検索します。すると堺の並松町にある元紡績工場の建物がヒットします。
「建物を見に行った時、一緒に行った奥さんが『可愛い!』って一言言ったんです。その瞬間、『よっしゃ!』と思いました」
一番説得すべき奥さんが味方についてくれたのならもう怖いものはありません。
「ここなら『For Your Smile 311』がまた出来るな、とも思いましたね」

 

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▲「スピニングミル」二階のホール。天井の飾りは漆喰で作られたもの。
これほどの物件を購入するだけのお金はなかった小野さんですが、
「お金なら銀行にある」
と腹をくくり、家主さんには、
「お金は絶対に用意します。他の人が倍の現ナマを持ってきても絶対に売らないでください。阻止しますからね」
と豪語します。
小野さんは、堺の商工信用金庫の長期ローンに申し込みますが、もちろん簡単に貸してもらえるわけがありません。
「事業計画書を見せてくれというので、急いで知り合いに連絡して、出来てもいないアトリエの使用申込書を送って何か書いてくれと頼んだんです。するとビックリしましたね。申込用紙に自社のハンコを押すとなると、みんないい加減なことが出来ないんですよね。大手メーカーの商品撮影なども含めて、本当の仕事を入れてくれて、申込用紙の分厚い束が出来たんです」
こうして紡績工場を手に入れた小野さんはそれを『SPinniNG MiLL(スピニングミル)』と名付けます。
「間違いなくこの建物は人を呼ぶなと思いました。銀行には『堺の未来のためになる』って大風呂敷を広げましたよ」
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ご近所に挨拶に行った小野さんは驚かされます。
「近所の人たちが口をそろえて、『あの建物がどうなるか気になってたんや』『引っ越してきてくれてありがとう』って言うんです。引っ越してありがとうなんて言われることってあります?」
生まれ故郷の上新庄に似た工場の多い下町の風情は、小野さんにとっては親しみやすいものでした。
「この建物が手に入ったら自分だけのものにしてはいけないと思ったんです。たとえば下をレストランやお茶を飲む所にして、上をホールにして、ジェネレーションを縦につなげる場所にしたいなと」
ホールでは、知り合いの写真家の個展や、沢山の人を集めるフリーマーケット『スピニングマーケット』、海外のアーティストを招いてのコンサートが開かれています。
「特にミュージシャンからの食いつきがいいですね。ネットにあがっていたコンサートの様子を見てノルウェーのバンドから『ぜひ使わせてほしい』とメールが来ましたよ」
小野さんは、『スピニングミル』の求心力を建物内だけで収めるつもりもありません。
「同じ通りにアート作品を展示したり、近所のお店と同時に『スピニングマーケット』を開催したり、『スピニングミル』に関わることで何かが面白くなればいいなと思っています」
小野さんが断言した「堺の未来にためになる」とひろげた大風呂敷も、それほど大きくはなかったようです。
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▲「世の中人、間違いなく人が人を呼ぶ。絶対に人しかない」と小野さんは確信しています。

 

小野晃蔵
大阪府堺市堺区並松町45
TEL&FAX 072-242-6874

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