Sakai Experience JAPAN(SEJ) 堺の能舞台で能楽体験!(前編)

 

つーる・ど・堺と同じホウユウ株式会社の新しい仲間が誕生しました。海外からのお客様に堺を体験してもらおうという新事業Sakai Experience JAPAN(SEJ)の準備。事業の中心人物は、先日紙カフェの店長を卒業した松永友美さん。その準備は着々と進んでおり、この日は体験コースの目玉のひとつである堺能楽会館で、ガイドの皆さんに能楽を体験してもらう会が開催されました。
体験会の後にはアンケートをとって実際の体験ツアーに役立てようという意図もあるそうです。さて、その様子は?

 

■唯一無二の堺能楽会館で能楽体験

 

▲狂言師の安東元さん(狂言古語美)と、Sakai Experience JAPAN代表の松永友美。

 

堺の海の玄関口である旧堺港のほど近くに、今回の舞台、堺能楽会館があります。「まさかこんなところに?」と誰もが驚く、変哲のない集合住宅の一階の入り口をくぐると、そこには総檜造りの本格的な能舞台が待ち構えています。
堺能楽会館に集まったガイド準備中の参加者の前に松永友美と共に登場したのは、狂言師の安東元さん。今日の体験イベントの先生になります。
安東先生は、まず能楽の歴史や能舞台について、わかりやすく説明してくれました。能楽が誕生したのは、今から600年ほど昔の室町時代。当時は神仏習合していた仏教と神道、そして農耕文化を背景とし、神様に捧げる芸能として能楽は生まれました。能は神様や亡霊、精霊、動物など人間以外のものが主役になることが多い悲劇で、ジャンルでいえばミュージカル。一方、狂言にも人間以外のものが登場することがありますが、多くは人間が主役する喜劇。この能と狂言を合わせて能楽というのです。
そして、能舞台は、まずは能楽を神様に奉納するための神聖な場であること。そして、能楽を上演するために視覚的、音響的な様々な工夫が凝らされた舞台装置であることが説明されました。
では、どうしてこのビルの中に、立派な能舞台があるのでしょうか? その秘密を、能舞台とビルのオーナーである堺能楽会館館長大澤徳平さん自身が語ってくれました。

 

▲堺能楽会館館主の大澤徳平さん。大澤家は江戸時代から続く一家で、元々は酒造を家業とされていました。堺の古い商家には、能の謡を学ぶ習慣があったとか。それだけ能に親しんでいる町なのに能舞台がなかったというのも、大澤家が能舞台を作る動機の一つだったそうです。

 

大澤徳平さんは、今年で92歳。堺能楽会館が開館したのは今から55年前のこと。大澤さんのお母様が、大澤さんたち六人の兄弟がみな観世流の能楽を嗜んでいたこともあり、このビルを建てる時に能楽に関するスペースを作ろうと思い立ったのが事の始まりでした。どのような施設を作るのかを先生方のアドバイスを受けるうちに、本格的な能舞台を作ろうということになったのです。
現在、日本には40ほどの能舞台がありますが、多くは国立や県立、学校法人や寺社仏閣の持ち物です。能楽関係者でもお稽古場は持っていても能舞台まで所有している人はいない。おそらく個人で能舞台を所有しているのは、大澤さんだけではないか。そんなお話をしてくださいました。

 

能楽の歴史、そして堺能楽会館の歴史を学んだあとは、皆さんお待ちかねの能舞台体験。足袋に履き替えて能舞台に上がります。

 

■能舞台&能面体験

 

▲安東先生に続いて、橋掛かりを歩く体験。舞台に向かってわずかに傾斜があるのがわかるかな?

 

能舞台の正面、客席との間に小さな階段があります。これは「きざはし」と呼ばれるものですが、お芝居の時に昇り降りに使われるものではありません。
「戦国時代の織田信長や豊臣秀吉は能好きとして知られていました。彼らが能を観覧した時に、能の開始を命じるために使ったものです」
この日は、普通は使わない「きざはし」から能舞台へと上がります。
能舞台の寸法は、どの能舞台も同じ3間四方(1間は約1m81cm)の正方形。そこから舞台裏の「鏡の間」へと続く橋掛かりがあり、入り口は「五色の幕」で閉ざされています。「五色の幕」の向こうは現世であり、舞台は神聖な世界で、その間をつなぐものが「橋掛かり」です。
参加者は、鏡の間に集合。ここから通訳の訓練ということで、安東先生の解説に、アーティストのゼインさんが通訳として英語で繰り返します。

 

▲能面の「翁」を手て持つ安東先生。安東先生の解説を、ゼインさんが英語で通訳します。

 

 

鏡の間で衣装を整えた演者は「五色の幕」の裏に立ちます。この演者の「まく」という一言を合図に「五色の幕」が上がり、舞台が始まります。この時、他の演者たちは全神経を集中して「まく」の声を聴きます。というのも、この時の「まく」の声のトーンが、その日の舞台の演奏のキーになり、それに合わせて演者はチューニングをするからだそうです。「五色の幕」の上げ下げの速度も、このキーに合わせるのだとか。
「だから前の日に奥さんと喧嘩してたら、声が低くなっているはずです」
安東先生の小ネタにリラックスして、参加者は幕の上げ下げにもチャレンジ。安東先生の後に続いて橋掛かりを歩いてみます。そして実際に能舞台に立ちながら、四本の柱の意味、音響装置、視覚装置としてどのような工夫が施されているかを教わります。

 

▲西洋舞踊家の新井春双さんは憧れの面「平太」をつけて敦盛に。さすが指先までポーズが決まってます。

 

さてお次は、能の代名詞ともいえる「能面」体験です。安東先生は、いくつもの面(おもて)を用意していました。神様を表す「翁(おきな)」、武将に使われる「平太(へいた)」、鬼や天狗に使われる「癋見(べしみ)」、十代の少女を表現した「若女(わかおんな)」などなど。同じ面でも能と狂言では違いがあるといった説明もあり、これは本などでは簡単には知ることが出来ない知識です。
「どなたか、つけてみたい面があれば言ってくださいね」
との呼びかけに、参加者が希望の面を告げます。皆さん思い思いの面をつけて、まずは歩いてみる。すると視界の狭さに驚かされ、能舞台の四隅にある柱が目印になっている必要性を実感するのです。
面をつける体験をした参加者に感想を尋ねてみました。
まずは、ずっとつけたいと願っていた「平太」をつけたのは、西洋舞踊家の新井春双さん。新井さんは、伎楽面という仮面をつけた舞踊をされているそうですが、面をつけた印象は随分と違ったようです。

新井「(伎楽面と)視界的には同じなんですけれど、やっぱり面が顔にくっついた時に変身できるという感じ。これは一生の経験でした。二度とないと思います」
ーー変身した時の気持ちというのはどんな感じでしたか?
新井「その時はもう頭に何もなくって。ただ憧れの平太がつけられたっていうことですけども、今の気持ちとしては、僕も踊りをやっているので、今後また恥ずかしくないように、舞っていかなければというような、すごい責任を感じました」

もう一方、いわゆる「ひょっとこ」の原型になった「うそぶき」の面をつけて、「蚊」になっていた石川玲緒奈さん。
ーー蚊になって舞台を舞った感想はどうでしたか?
石川「沢山の方の血を吸わせていただきました(笑) 舞台の上でふわーんって飛んでいるのが面白かったです。蚊になったような感じで、めちゃくちゃ楽しかったです」

 

▲「うそぶき」の面に血を吸う針をつけて「蚊」に変じた石川さん。

 

能舞台の上で面をつけるという特別な体験に、参加者の皆さんは興奮気味で、すっかりと盛り上がってきました。しかし、クライマックスはこれからでした。次の体験は、なんと初めて能舞台にあがった方々に、実際に狂言の演目に参加してもらおうというもの。果たして、いきなり狂言師になれるのか!?
安東先生のマジカルな指導がさく裂する後編へと続きます。

 

堺能楽会館
住所:〒590-0974 大阪府堺市堺区大浜北町3丁4−7

 

紙カフェ
住所:〒590-0925 大阪府堺市堺区綾之町東1丁1−8
web:https://kami-cafe.jp/


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