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アルフォンス・ムハ モラヴィアン・ドリーム! @堺アルフォンス・ミュシャ館レビュー(4)

 

19世紀の世紀末のパリで寵児となったデザイナー・アルフォンス・ミュシャ。日本でも植物の装飾と女性を描いたポスターなどは大人気です。一方で、彼はスラヴ民族のチェコ人で、チェコでの呼び名はアルフォンス・ムハ。後半生のムハは、パリでの華やかな生活を捨て、故郷チェコでスラヴ民族の栄光と苦難の歴史を描いた連作で超大作の《スラヴ叙事詩》を描きます。そればかりか、ついに民族自立を果たしたチェコ共和国に尽くし、ほとんど無償で国家に必要なデザインを提供し続けました。
華やかなデザイナーのアルフォンス・ミュシャと、無私の歴史画家のアルフォンス・ムハ。まるでイメージの違う両者。この大きな方向転換は、1900年に開催されたパリ万博のボスニアヘルツェゴビナ館から依頼を受けて取材旅行を行ったことがきっかけだと考えられていました。チェコと同じスラブ民族で、やはり同じくオーストリア・ハンガリー二重帝国の統治下で辛い境遇にあった同胞の窮状を知り、ミュシャは心を動かしたのだと。
しかし、堺アルフォンス・ミュシャ館の企画展「アルフォンス・ムハ モラヴィアン・ドリーム!」では、そこに新たな視点を付け加えたのです。実はボスニアヘルツェゴビナへの取材旅行以前から、ムハの心にはチェコへの強い想いがあり、それはパリ時代の数々の作品の中にも表れているということを示してくれたのです。(第一回第二回第三回記事参照)
今回の記事はレポートの第四回。企画展の第四章にあたる、ムハの夢が結実しようとし、そして幻に終わってしまった民族の祭典ソコル祭の水上祝祭劇の展示についてとりあげます。

 

■チェコ独立10年

▲1918年に第一次世界大戦に敗北したオーストリア・ハンガリー二重帝国が解体されチェコは独立。その年に描かれたリトグラフ『自由の年 国の目覚め』。

 

原田「そして、じゃあ夢として実現したというところの作品を紹介していきます」
――最終章は「夢を実現したムハスタイル」。大画面のデジタル展示もあり、迷宮をくぐりぬけて、開けた草原で日差しを浴びたような展示ですね。
原田「1918年にオーストリア・ハンガリー帝国が解体され、チェコスロヴァキア共和国が独立します。さらなるチェコの未来への希望というのを託した作品の展示です。これはチェコの独立を受けて制作された、珍しい鉛筆画のリトグラフになります」
――この子どもがもっているのは、ムハが昔から好んで使っている団結の輪のモチーフですね。子ども独立したばかりのチェコの暗喩なんでしょうね。
原田「こちらは独立から10年たってお祝いとして描かれたポスターなんです。よく出展される作品ではありますが、ムハの最初の個展のポスターと同じよく女性の強い目線も印象的です」
――確かに何度見ても印象的ですね。
原田「これはお祝いのポスターなんですけれども、チェコスロヴァキアの各地域の紋章が描かれ、チェコ団結を訴えるメッセージが感じられます。少女に花輪をかざしているのは、ムハのオリジナルなんですが、スラヴの理想の女神スラヴィアです」
――ムハのオリジナルだったんですね。
原田「チェコ時代にはちょこちょこ描かれるんですが、チェコの国の木であるスラヴ菩提樹のハート形の葉の冠をかぶっていたりだとか。また西洋美術ではブルーはマリア様の色として扱われるのですが、ブルーが使われていてスラヴの聖母というのでしょうか。そのブルーと衣装の白と赤はチェコスロヴァキアの国旗の色であり、スラヴ民族のカラーでもあるんですね。スロヴァキアも白、青、赤の三色だし、ポーランドは白と赤、ロシアも三色です」
――あ、確かにスラヴ三色っていいますもんね。
原田「やはり、パリ時代とは違う色味のアクセントの使い方ですね」
――なにか目線の強さにやはり惹かれてしまいますが、国際情勢的にも大変な情勢の中で、やはり貫く気持ちとかが現れているんですね。
原田「いくら独立して10年経ったとしても、ここからなんだみたいな。少女は10歳になったチェコの擬人像で、スラヴィアも見守っている」

 

▲チェコ独立10周年の年に描かれた『1918-1928:独立10周年』(一部)。スラヴ民族の女神スラヴィアが10才となったチェコに花輪を掛けている。

 

――その後のチェコの運命を考えると、なんともいえない気持ちにもなりますね。
原田「ムハは、ナチスが武力侵攻をして力ずくで領土にする直前に亡くなっているんです」
――たしか、ナチスに捕まってますよね。その後、すぐ亡くなって。これは、ほとんど殺されたに近いような状況だったのでは?
原田「ナチスによる数日間の尋問や逮捕理由についてはまだ明らかになっていないことも多く、死因もともと患っていた肺炎が釈放後に悪化したためです」
――そうなんですか。
原田「こちらのポスターは独立前に描かれた宝くじのポスターなのですが、宝くじの収益は、南モラヴィア地方にチェコ語で教える学校設立にあてられることになっていたんですね」
――スラヴの神様と嘆いているお母さんを背後に、ペンとノートを持っている少女が強いまなざしでこちらを向いていますね。先ほどの人形劇でも話がでましたけれど、言語の自由、独立というのがあって。オーストリア・ハンガリー二重帝国ではドイツ語が公用語だったことにたいして、チェコ語を大切にするんだという決意の表れですよね。

 

▲『南西モラヴィア挙国一致宝くじ』(一部)。

 

■ソコル祭と幻の水上祝祭劇

▲第八回ソコル祭でムハは、スラヴ民族の壮大な歴史を水上で展開しようとした。実現すれば総合芸術家としてのムハの名が轟くことになったのではないだろうか。

 

 

原田「そして、こちらが今回目玉にしたかった展示になるのですが、《スラヴ叙事詩》が完成する3年前になるのですが、ソコル祭という国内オリンピックのような大会があったんです。ソコルというのは、鷹という意味なのですが、体操をメインにして心身の団結をチェコで図ろうとしたんです。階級も生活も関係なく、ソコルという組織ができるんですけれど、数年に一回、成果を見せる大会を行うんです。その第八回の大会でムハはポスターも描いてるんですが、オープニングイベントを任されるんです」
――あれですね。オリンピック開幕式的なやつですね。
原田「そこでムハが何をしようとしたかというと、《スラヴ叙事詩》の実演なんです」
――えー! なんと。
原田「プラハの真ん中を流れる川があるのですが、そこに船を並べて、おそらく活人画のような手法で、船の上でポージングを決めて次々船を動かしていくようなことを考えていたんじゃないかと言われています」
――一場面ごとに船上で《スラヴ叙事詩》を立体化して、フロートみたいにして流すんですね。これは、すごい大掛かりなことですね。
原田「ムハは当時のチェコ国内の著名人にも協力を仰いて、プロデューサー的な立場でありながら、造作物や舞台美術のデザイン全ての責任者でもあったんです」
――ムハ、仕事しすぎ(笑)
原田「しかも4日間にわたってやるという。このプロジェクトをムハは動かしていたんですけれど、その4日間やる初日、当日が始まって一時間もしないうちに嵐がやってきてしまったんです」
――あら!?
原田「嵐で川が増水し、風と雨によって作った舞台や動作物が破損してしまい。一番は警察からも中止要請が出てしまったんです。このままこのイベントを続けるには、川が増水して危ないと。それで幻になってしまったんです」
――それで幻になっちゃったんだ!
原田「一年以上かけてやってきた中でできなかったんです。だから、記録というものがほとんど何も残されていない中で、プラハの美術館でムハのスケッチが残っていたんです。それでムハがどういうものを作ろうとしていたのか、どういうことをやろうとしていたのかを垣間見る事が出来るんです」
――よくぞ残してくれてましたね。どんな内容だったんですか?
原田「ムハは五幕で考えていて、第二幕以外は《スラヴ叙事詩》にも描かれているテーマなんです。これがもし完成して、もし当時四日間に渡って行われていたら、現在とはまた違う、総合芸術家としてのムハの姿というものが、今なお語られていたのではないでしょうか」
――いやーそうですよ。この時代にこんな規模のものがねぇ。本当に驚きです。
原田「このソコル祭の水上祝祭劇は、《スラヴ叙事詩》の完成を目指している中で、ムハの実現しなかった夢でもあったと思うんです」
――すごく面白いですね。ムハはプロデューサーでもあり、舞台監督でもあって、本当にこれができなかったのが残念ですね。しかし、プロデュースするだけでも、ちょっと命がけぐらいの規模ですけれど、造形デザインまでやってしまって、もう大丈夫かこの人は? みたいに思いますね。
原田「だから落ち込みもすごかったらしくて。もうできないってなって、家族が声をかけられないぐらい落ち込んだそうです」
――あの楽天的なパパが!
原田「特に第八回は民族のためにというテーマで、チェコでも有名な方がムハと共同プロデューサーで、最初その方がムハに一緒にやろうと声をかけたら、もうすぐにオッケー、ぜひやらしてくれという返事をしたんです」
――前のめりでやる気まんまんだっただけに、落胆も強かったんですね。そのソコル祭の展示は、ムハのスケッチをまとめた、この大きなパネルですね。やっぱりデザインがすごい素敵で、価値が高い資料ですね。

 

▲ムハの残した水上祝祭劇のスケッチから。スケッチ集が欲しくなりますね。

 

 

原田「川の上なので、どうしても船がメインで出てくるんですが、細かい装飾とかがこのスケッチからでもわかります」
――このスケッチ集があれば欲しいですね。
原田「そうですね。欲しいですね」
――ムハファンならよだれをたらして欲しがるレアなコレクターアイテムになりそうですよ。
原田「プラハで一度展示をされていて、その時の図録はあるんですが、日本では出てないんです。日本語に翻訳をしてもいいんちゃうかなと思います」
――せっかくムハ専門の美術館なんで、ぜひ。あのこないだの堺緞通のクラウドファンディングの勢いで。
原田「クラウドファンディングは髙原学芸員が企画したんですが、準備からも大変でしたし、どのような反応があるか館内でもこわごわしていたんですが、やはりムハはすごいなと」
――あのクラウドファンディングでも、全国にどれだけムハファンが多いのかっていうのが視覚化された感はありますよね。
原田「パリ時代のムハはよく知っている。ミュシャ展で《スラヴ叙事詩》も知ったという方は増えてきたのですが、このソコル祭は知らない。日本ではスラヴの同胞とか、スラヴの兄弟という風に訳されたりもするんですが、これは見たことがないと言われますね。ムハの創作範囲の広さ、総合芸術家としてのムハを知ってほしいなと思います」
――本当に、これはすごいなと思います。これまでも堺アルフォンス・ミュシャ館のおかげでムハの色んな魅力を教えてもらいましたが、これまたすごい大発見ですよね。
原田「細かいことはプラハとかでまだまだ研究中だし、完成されず実現できなかったものなので、わからないことも多分にあるのですが、だからこそ皆さんに知っていただきたいです。パリ時代の装飾にも繋がってくるものですし」
――本当に、まだまだムハの評価が低すぎるんじゃないかという感じがしました。これを観たら、芸術家としてもっと格の高い存在なんだってわかってきたように思います。こちらに掲げられているムハの言葉も素晴らしいです。
「私の作品が目指すのは、何かを壊すことではなく、常につくること、橋渡しをすることだった。なぜなら、わたしたちは全人類が和解できるという希望によって生かされていて、お互いが理解し合えばし合うほど、それは容易に実現できるだろう。」
芸術家というのは、ただ作品を作るだけでなく、作品のメッセージを通じて、人類の精神や生き方に対して、これが素晴らしいんだよというのを指し示す人の事を言うんだなと思いました。またも素晴らしい展覧会を見せていただきありがとうございました。

 

▲《スラヴ叙事詩》の東映画像と共に流されるのは、ムハが大きな影響を受けたというチェコの作曲家スメタナの『我が祖国』。ムハの気持ちになって聞けば、名曲が一層心に響きます。

 

今回はムハの夢ということで、チェコやスラヴ民族へのムハの想いがパリ時代にも作品に表われていたこと、それが未完に終わったソコル祭の水上祝祭劇や《スラヴ叙事詩》に向かって結実しようとする。だが、その裏側には絶えずオーストリア・ハンガリー二重帝国やナチスといった帝国主義、全体主義からの抑圧への抵抗があったことは見逃せない。もしムハがチェコ人やスラヴ民族のことしか眼中にないナショナリストなら、それは私たちとは切り離されたメッセージになってしまうかもしれないけれど、ムハの視座は全人類を含んだ広く高いもので、時代を超えて私たちにも届くものではないか。そんな風に思えたのでした。

 

 

 

●アルフォンス・ムハ モラヴィアン・ドリーム!
会期:2023/08/05(土) 〜 2023/11/26(日) 9:30~17:15(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(休日の場合は開館)、休日の翌日(9月19日、10月10日、11月24日)、 展示替臨時休館日(10月3日、10月4日)

 

●堺アルフォンス・ミュシャ館
〒590-0014 堺市堺区田出井町1-2-200 ベルマージュ堺弐番館2F~4F
TEL: 072-222-5533 FAX: 072-222-6833
web:https://mucha.sakai-bunshin.com/

 

 

 

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