ミュージアム

「都市の祈り ー住吉祭と堺ー」@堺市博物館レビュー(1)

 

黄金の時代、黄金の堺。
400年の昔。その華やかなパレードは、異国の宣教師たちを驚かせ、本国にもその様子が報告されました。
それは住吉祭のクライマックスに、住吉大社から堺に向かう行列で、神事でありながら、賑やかな仮装行列でもあり、町をあげての特大エンターテイメントでもあったのです。その様子が描かれた屏風「住吉祭礼図屏風」は、堺市博物館で所蔵され堺市役所のロビーや文化観光施設さかい利晶の杜に複製が掲示されており、ご覧になられた方もいらっしゃるでしょう。
ところが、この度、サンフランシスコのアジア美術館でも「住吉祭礼図屛風」が発見され、非常に傷んだ状態だったものが修復作業を終えて、堺市博物館で展覧会が行われる運びとなったというではありませんか。
この屏風がなぜ海を渡ったのか? そしてまた日本に戻ってくるのにはどんなドラマがあったのか? 堺市所蔵のものとサンフランシスコで発見されたものでは、どんな相違があるのか? 様々なナゾへの興味を抱えながら、堺市博物館で開催中の特別展「都市の祈り」を訪ねてみました。

 

 

■豪華絢爛の屏風は、時空を超えたミステリーにあふれている!

▲サンフランシスコで新発見『住吉祭礼図屛風』。高さが畳一畳分(約180cm)と大柄な男性ほどもあります。

 

特別展「都市の祈り」を案内してくださるのは、これまで何度もお話を聞かせていただいた堺市博物館の学芸員宇野千代子さんです。
――サンフランシスコで発見されたという屏風を見せていただきたいのですが、堺市博物館が所蔵していたものと、どんな違いがあるのでしょうか?
宇野「右隻に堺、左隻に住吉大社が描かれ、構図はほぼ同じなのですが、大きさが全然違います。あちらに比べて見ていただけるように、堺市博物館所蔵の屏風を展示しています」
――あ、たしかにサンフランシスコのものがはるかに大きい。それにぱっと見の印象もサンフランシスコのものは色使いも派手な感じがします。
宇野「高さが畳一畳分ある屏風でして、広いスペースがないと飾ることが出来ないんです。画面が広い分、堺市博物館のものよりも、色んなモチーフが描かれています。画風としてはちょっと素朴な所もあり、これ何描いてるんやろ、ちょっとわかれへんなという所もあるのですが、部分的に見ていきますと、とても面白い」
――どういう所がでしょうか?
宇野「堺を描いた右隻の左上の部分は、堺の北の環濠になります。橋を渡って入ると、漆屋さんが三軒並んでいて、その下に遊郭が描かれているんです」
――高須の遊郭と呼ばれていた遊郭ですよね。
宇野「堺の遊郭が絵の中に描かれているのはこれしかないんです」
――へー。希少なものなんですね。

 

▲屏風の中に描かれた堺の遊郭。(画像は展覧会図録から転載)

 

宇野「住吉祭の行列は、今は紀州街道を通ってますが、当時は一旦海の方に出たようで、その様子も描かれています。やはり海がお祓いにとって重要な役割を果たしたと思われます」
――住吉祭は「おはらい祭」とも呼ばれたお祭りで、住吉の神様は海の神様でしたね。
宇野「はい。そして行列の行先は、画面の右上に描かれている宿院頓宮です。今は社殿がありますが、江戸時代には社殿はなくお神輿を安置する玉垣があるだけだったんです」
――本当だ。玉垣だけ描かれている。
宇野「そして行列の方も実に細やかに描かれてまして、中には南蛮人の姿も描かれています」
――え、南蛮人のコスプレというか、仮装を日本人がしていたのではなくて?
宇野「はい堺市博物館所蔵の方はコスプレのように見えますが、こちらの方は本物の南蛮人と思われます。鼻が高いですし、ちょっと色が黒く描かれていて、しかもクルス(十字架)を首にかけています。江戸時代にはキリシタンは禁止されていくので、そういう禁制が厳しくなっていく前の景観を描いていると思われます」
――制作年代というのはわかっているんですか?
宇野「確定はできませんが、1650年頃ではないかと」
――1650年というと、江戸時代に入ってしばらく経ってという頃になりますね。
宇野「サンフランシスコ・アジア美術館のキュレーターから伺った話によると、修理に際して屏風を解体した時にですね、反故紙が裏紙に使われていたことがわかりまして、そこに1650年前後の年号が書かれていたんです」

 

▲行列には南蛮人も描かれている。堺市博物館所蔵のものは、日本人による仮装のようみ見えるが、こちらは本物の南蛮人だと思われる。

 

 

――それで描かれているのは大坂夏の陣の後の堺なんでしょうか?
宇野「そこがすごく難しい所なんです。南蛮人がクルスを掛けている様子を見ていると大坂夏の陣よりも前の可能性が高いですね。家の描写なんかも、夏の陣前の堺は、自然発生的に生まれた町ですので、通りが真っすぐじゃなかったと言われていますが、そういう様子を表していると思われます」
――それも聞いたことがあります。中世都市なので、割とぐちゃぐちゃしてたんじゃないかって。
宇野「はい。ただちょっと気になりますのは、宿院頓宮の向かいにあるお寺。大寺さんと呼ばれた今の開口神社なのですが、あそこに描かれている三重塔が完成するのが1663年なのです。夏の陣前にも三重塔があったのかもしれませんが、違う時代の状況も混ざり合って描いているのかもしれません」
――すると時間軸がぐちゃぐちゃになっている可能性もあるし、大寺さんの三重塔が1660年代に出来たのなら、この屏風自体もちょっと後かもしれないですよね。
宇野「1660年代に描かれて、当時の神社の様子を描いたけれど、その中に昔の状況を描いているという複雑なことになります。それを考え出すと頭が痛くなるような難しい絵ではあります」
――現代人的な感覚でいうと、やはり一つの絵で時代がごっちゃになっているのは、ちょっとやりたくないって思うんですけれど、当時の人の感覚だとありなんですか?
宇野「ありなんです。なんでそういうことになるかというと、いくつか理由があるのですが、一つの理由としては昔の人たちは、現物をスケッチして描くということはなくて、手本を参考にして描くんです。その手本が古ければ、古い情景が描かれることになります」
――なるほど。
宇野「もちろん絵を描く人は、古い手本であるということは、わかっているわけですから、その古い手本を使う理由はなんだろうということになります。絵を注文した人が、懐古的に古い時代の形を描いてくれと頼んだのかとか、その辺はもうだんだんと想像が膨らんでいかざるをえない」

 

▲左に見えるのが大寺さんこと開口神社の三重塔。右には玉垣だけの宿院頓宮がある。なお右上隅にはあかちゃんにうんちをさせている女性の姿もある。

 

――この屏風に関してわかっているデータ的なことで言えば、年代は1650年代ぐらいの可能性があるとして、発注者は誰で、描いた人は誰であるとかはわかっているのでしょうか?
宇野「描いた人に関しても、これと同じような柄のものはないかって一生懸命探したんですけど見当たらないですし、この時代の絵というのは、サインとかも無くて、ほぼ誰が描いたということはわからないんです。ただ面白いのはですね、行列が歩いている道、ガラス越しだとちょっとわかりづらいのですが、ぶつぶつしているのがわかりますか?」
――いわれてみれば、そうですね。
宇野「これは砂を張り付けているんです」
――へー砂ですか?
宇野「すごく珍しいんですけれど、砂を貼り付けて、その上から金を塗っているんです。これは他にはあまりないことで、先日住吉大社の宮司さんと話をしまして、住吉の砂というのは、塩のようにお清めの力があると考えられていて、これは住吉浜の砂なんじゃないのって。他の所の砂を貼り付ける理由はないですよねって」
――なるほど、何か呪力的なものというか、目に見えないパワーを持たせたかったのかもしれないですね。作らせた人か、描いた人かわからないですが。そうすると、作らせたり、所有されたのは、どうなんでしょうか。堺の大店の方なのか、住吉大社関連の方なのか?
宇野「神社関連の方は、こういうものはおそらく作らせないので、おそらく氏子の方なのではないかと」
――なるほど。しかし、どう考えても豪華絢爛で、ちょっと半端な商人じゃ手を出せないレベルの品ですよね。
宇野「注文主を探す時にやるのが、絵の中で一番ゴージャスに描かれているのは誰かを探すんです」
――その辺、ルネサンス画家と似たような感じですね。パトロンの貴族がええ感じで描きこまれていたりするという(笑)

 

 

■屏風でウォーリーを探せ!

▲一際豪華な商家「ヒシヤ」(仮称)さん。ひょっとしたらこの屏風の発注者かも!?

 

宇野「そうなると、一軒だけすごく立派に描かれている家がある。この家の人なんだろうか?」
――確かに。ゴールの宿院頓宮の真下にあってすごく目立ちますね。何屋さんなんだろう。家紋的なものでわからないんでしょうか?
宇野「反物を売っているのでしょうか。なにか菱の図柄の中に『や』と書いてあるから、もしかしたらヒシヤさんかもしれないですね」
――何かヒント的なものが他にもないでしょうか。
宇野「他にもナゾが沢山あるので、ちょっと細かく見ていきましょうか。昔あったウォーリーを探せみたいなのですが、まず、行列の先頭には猿田彦がいます」
――ああ、あの天狗そっくりのお面の。猿田彦は日本神話に出てくる道案内をする神様ですね。
宇野「その後ろに傘に色々お守りをつるした人たちがいて、その前で輪になって住吉踊りのような踊りを踊っている人たちがいる。揃いの衣装ではないので、飛び入り参加ではないかと」
――ウェイ状態で入ってくる、ハロウィン祭状態な感じですね。いいですね。昔の日本の人たちは陽気で。
宇野「楽しそうですよね。その後ろには、白馬に乗った鷹匠がいます」
――イエスズ会の修道士ルイス・フロイスの日本史の住吉祭の報告にも出てきますね。鷹匠。
宇野「はい。最初に偶像がいて鷹匠がいて、間がすごく空いてるのでみんなが入ってきてというような記述がありますね」
――しかし、なんで鷹匠はいるんでしょうね? 基本住吉さんって、海のお清めの神様というイメージなので。
宇野「住吉大社と鷹には歴史的なつながりがあるそうで、今も女性の鷹匠がいらっしゃるそうです」
――いいポジションですよね。猿田彦の次なので。
宇野「そうですよね。起源が古いのかもしれないですね。その鷹匠に続いて槍をもった人たち、そろいの衣装で大きな団扇を掲げている人、神官と続きます」

 

▲猿田彦のお面。猿田彦は日本神話では天孫降臨の際にニニギノミコトを道案内をしたとされる鼻が高く目の大きい巨躯の存在。古モンゴロイドに属し彫が深かったとされる縄文人だったのか、こちらも想像が膨らむ。

 

――色々あって面白いですね。
宇野「さらに母衣武者の衣装を着た人がいます。このあたり見物人と行列が入り乱れている感じですね」
――この人、きっと人気ですよね。カッコイイというか目立ちますもんね。
宇野「そうですね。江戸時代初期ぐらいの祭りには必ず出てきましたね」
――そうなんですね。戦国の香りがぷんぷんする感じがしますね。
宇野「そして、こちらの孔雀の羽のような飾りをつけて、龍のお面をつけた馬に乗っているのが斎(いつき)という子どもがする役割です。今も斎女(いつきめ)といって、女の子が務めていて、身を清めて神託を受けるような役割なのですが、こんなゴージャスな馬に乗っている様子が描かれているのは珍しいですね」
――めちゃくちゃカッコイイですね。龍のお面に孔雀の羽。
宇野「馬を龍に見立てているんでしょうかね」
――龍馬とでもいうんでしょうか。

 

▲竜馬に乗る斎(いつき)。これほどカッコイイ馬装があろうか! 騎乗する斎は当時は中高生の年代の男の子だったそうで、テンションマックスだったに違いない。(画像は展覧会図録から転載)

 

宇野「その後ろに神官と社僧がいます。当時の住吉大社にも神宮寺があったんです。社僧に続くのは、白い馬、神馬(しんめ)です。神様の乗り物です。面白いのは、その上に描かれているのですが、黒い着物を着て、白い花を山盛りに頭に乗せている子どもが二人。これはアハラヤと呼ばれている役割の子どもです」
――それは何ですか? どんな字を書くんですか?
宇野「カタカナで、アハラヤと書いて、アワラヤと読み、感じは当て字のような字が使われています。明治時代以降は無くなった役割ですので、わかりにくい所があるんですけれど、平野からこの二人が派遣されてきまして、堺の街にやってくると、人々からごうごうたる大声というか、悪口を浴びせられたんです」
――凄い目にあいますね。
宇野「なにか堺の町とかの、色んな穢れをこの子たちに負わせた、まるでヒトガタなんじゃないかということが考えられるんです」
――平野というのも面白いですね。昔から住吉さんは、堺と平野が支えていて、平野からは造花が贈られるというのをちょっと聞きましたけれど。
宇野「今でも住吉祭の時に、非公開なのですが桔梗の造花が平野から届けられるそうです。今では、それを斎女がもって宿院までやってくることになっています」
――なぜ桔梗なのかも不思議ですね。
宇野「そのあとに赤い着物を着た巫女さんがいまして、さらに付き従う形でおばあさんが描かれています。白髪交じりでしわまで描かれているんです。その後にお神輿が描かれています。これだけ盛大な行列の様子が描かれている住吉祭礼図は、この屏風だけです」

 

▲今回最大のミステリーの一つが、花をかぶったアハラヤ。平野からわざわざやってきて堺で大群衆から罵声をあびる役割。一生もののトラウマになりそうで、明治時代に入って無くなったのもうなずける話です。(画像は展覧会図録から転載)

 

――こうして見ると、お神輿の描かれているのが左下で、丁度対角線上の右上にあのヒシヤの大きなお店が描かれています。やっぱりいい位置なんじゃないですか? 聖に対して、俗で。遊郭も描かれていたり。
宇野「そういう意味では、なんかちょっと俗っぽい図柄も色々ありまして、女の人が赤ちゃんを抱きかかえておしっこをさせていたり、宿院頓宮の所では、赤ちゃんにうんちをさせている所まで描かれています。聖域なのに」
――いやもう作者が見所を沢山作っているって感じがありますね。
宇野「堺市博物館所蔵の方は、そういう猥雑なものは全部なくなっているんですけれど、この屏風にはちょっと俗っぽい、美しいばかりでない人間の姿が沢山描かれていて、砂の貼り付けもそうですが、お祭りの意味を表しているようで面白いです」
――聖と俗という対極のものを描くことで、より際立たせているような不思議な感じもあって面白いですね。
宇野「でも、宿院のあんな所でうんちしていいんだろうかって」
――さすがにうんこしたらあかんのちゃうかな、ってそういうネタになりますよね。この屏風を見ながら、みんな突っ込みをいれて楽しんでそう。あかんやろ! とかいいながら。へー、このお神輿のあるのが今の七道周辺だとしたら、右下の方は大浜あたりかな。ここも船とか面白そうなものがいっぱい描いてありますね。
宇野「そうなんですよ。ここには木材が積んであって、はしごをかけて登ってその上から見物している様子とかが描かれています。その頃の堺は、和歌山や四国から集められた木材の集積地だったんです。あるいは、この絵は材木を扱う豪商が注文したんじゃないかって、これも想像ですけれど(笑)」
――いや、あたってるかもですよ。木材も結構いい位置を占めてるじゃないですか? また木材をただ描くだけやったら面白くないから、上に乗って見物している所を描いて、こんなん危ないやろってツッコミどころをちゃんと作って、絵として必然性があって自然でしょっていう。丁度、映画の中でスポンサーの商品を飲んだり着たりするシーンをさらっと出したりするのと同じじゃないですか?
宇野「注文主としては、そういうことをやりたいですよね」

 

 

■右隻と左隻では作者は違う!? 右隻にかけたパトロンの想いとは?

 

▲今でも住吉神社のシンボル、太鼓橋を渡る人たち。右隻の堺の人たちと比べるとはっちゃけてない感じがします。

 

 

――繰り返しの感想ですが、なんとも見所が多い絵ですね。
宇野「言い出すときりがなくて、ナゾの石塔が建っていたり、干十字っていう、十字架を屋根につけた教会のような建物が描かれていたり」
――キリシタン関係が多いですよね。日比谷了慶さんみたいな、キリシタンの大富豪が発注したのかな? 制作したのがキリシタン禁令の頃だから、こっそりとでも豪華絢爛に。謎が謎を呼びますね。
宇野「そうですね。こういう堺の町を描く屏風っていうのが、堺市博物館のものが唯一だったんですけれど、これが出てきまして、二例目なんですね。いわば洛中洛外図みたいな。京都の場合は必ず祇園祭が描かれますけれど、堺の町の場合は住吉祭を描き込むのが定番の描き方なんですね」
――なるほど。しかし、これだけお話伺って、まだ右隻の堺を描いた方だけで、まだ左隻の住吉の方が残ってますからね。
宇野「はい。見ていただくと、画風がちょっと違うんです」
――あら? なんか、なんか、雰囲気が全然違う。
宇野「ええ、大きくは画風は同じなんですが、人物の描き方とか線の描き方とかはだいぶ違うんです」
――明らかに別人が描いた感じですね。受ける印象では。趣味というか、画風というか、フィロソフィーが違うぞ、これはという感じがします。なんか違う。
宇野「そこまで言いますか。この屏風自体はペアで、同じ工房の別の絵師が描いた考えるのが自然ですが、ひょっとしたら制作した時代が違うかもしれない」
――えーそこまで違う可能性があるんですか。
宇野「堺の方は、古い手本をもとにして描いたけれど、住吉の方は手本無しで描いたかもしれない。……なんかあっち(堺)は、すごいパッチワーク的な感じがするんです。こっちは全体の構図がまとまっているんです」
――そうそう。すごくまとまり感がいいですよね。座りがいい感じの。すごい整然とした印象。一方で、堺の方はすごくはっちゃけている感じがします。もうパワーが溢れ出している感じ。それに対して住吉の方は沢山人がいるのに、すごく整然としている。
宇野「右隻が大坂夏の陣前の絵をもとにして描いてるとすれば、夏の陣前の堺の町のエネルギーがあふれている」
――やはり印象が違いますね。人の描き方も住吉の方が全体的にちまちましているというか。
宇野「着物の模様とかは堺の方が細かいんですよ。住吉の方が筆が立つような気がしますが、堺の方が細かい。で、住吉大社の社殿をしっかり描いてまして。第一本宮、第二本宮、第三本宮、第四本宮がL字型に並んでいる。反り橋がある。隣の神宮寺もしっかり描かれている。今は駐車場になっている場所です」
――昔はお寺とセットでしたからね。
宇野「その左に今も摂社としてある大海神社がありまして、その奥に小さな川があるんです。これは江戸時代後期には材木川として整備されたそうです。住吉大社は遷宮で何度も建て替えられるので、海へ通じて材木を運んでくる川として整備されたとのことです」
――やはり堺の方で描かれている材木と通じるかもしれないですね。気になります。
宇野「気になりますね。ここまで描かれる屏風ってもうないんですよ。これしかないんじゃないかな。で、町屋がちょっと並んでいます。そして奥天神社があり、その下に回廊が描かれていて、その周りでちょっとお祭り的なことをやっているのですが、何の祭りなのか、これがわからない」
――住吉祭関連のものではないんですか?
宇野「私はこれは引馬の準備をしている。行列の準備をしている所と考えたいのですが、どうだろうなと。わからない事が多すぎますし」

 

▲夏の風物詩、瓜を売る行商と、浜辺の馬。住吉の海で馬を清めているのだろうか?

 

――わからないことがまだまだ多いんですね。住吉側でも色々描かれてますね。なんか売ってる様子が描かれていますね。
宇野「そうですね。瓜を売っていたりとか、夏の風物詩として瓜をみんなで道端で食べていたりするんです。そういう賑わいも描かれているんですが、なんの賑わいなのかがちょっとわからない。はっきりしないことが多いんです」
――でもすごく面白いですね。堺の右隻の方は、絵師の人も乗りに乗って、自分のやりたいことをぶち込んでやったぜって感じですが、左隻の住吉の方は、割とプロダクトとしてしっかり作りましたよパトロンさんみたいな。
宇野「境内図で、境内をすっかり描くというのが第一目的なのかもしれません」
――だから、なにかミッションをちゃんとこなしている感がありますね。それに対して、もし右隻が中世の堺を描いたのであるなら、制作年代が1650年というなら、ひょっとしたらパトロンさんは子ども時代の堺とかを復活させて欲しいというような想いがこもっていて発注されたのかもしれないですね。
宇野「そうかもしれないです。大きな遷宮が1650何年ぐらいにあるんです。それに合わせて屏風を作らせて、その時の境内も描かせて、住吉祭の様子っていうのは、もしかしたら昔の華やかな様子を描かせた。これも想像ですけれど、ちょっと想像をたくましくしてみないとね」
――想像をたくましくしないと面白くないですしね。でも、なんかとんでもないものが出てきましたね。これは展覧会が終わった後は、アメリカに帰ってしまうんですか?
宇野「はいアメリカに戻っちゃいます」
――だったら、堺の人にはどうしても見てもらわないといけませんね。

2隻の屏風の説明だけで、たっぷりと時間をいただいてしまいました。それでも語りつくせないほど新発見のサンフランシスコ版住吉祭礼図屛風は驚きとナゾに満ちています。続く記事では、この屏風の来歴や、この屏風を良く理解するために宇野さんが智恵と工夫をしぼった展覧会の全体像についてもお届けします。

 

 

 

 

特別展 都市の祈り 住吉祭と堺

Special Exhibition The City’s Prayers  Sumiyoshi Festival and Sakai

 

2023年 11月3日(金・祝)~ 12月17日(日)

前期:11月3日(金・祝)~ 11月26日(日) 後期:11月28日(火)~ 12月17日(日)

※前後期で一部展示替えを致します。

 

開館時間:午前9時30分~午後5時15分(入館は午後4時30分まで)

休館日:月曜日

観覧料:一般500円(400円)、 高校・大学生 250円(170円)、小・中学生 50円(30円)

※( )内は20名以上の団体料金

※堺市在住・在学の小・中学生は無料

※堺市在住の65歳以上の方、障害のある方は無料(要証明書)

 

主催:堺市博物館

協力:サンフランシスコ・アジア美術館、住吉大社

助成:文化庁、(公財)住友財団

 

 


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