ミュージアム

アルフォンス・ムハ モラヴィアン・ドリーム! @堺アルフォンス・ミュシャ館 レビュー(1)

 

2023年、つーる・ど・堺の堺市ミュージアム巡りは、シマノ自転車博物館に始まり、堺市博物館、さかい利晶の杜ときて、今回は堺アルフォンス・ミュシャ館の出番となりました。
何度も紹介してきましたが、ここでちょっとおさらいをしておきましょう。
アルフォンス・ミュシャは19世紀末から20世紀初頭にかけて、当時の新芸術運動アール・ヌーヴォーの旗手として主にパリで活躍した、デザイナー・画家です。堺出身の与謝野晶子と同時代の人で、夫与謝野鉄幹の雑誌『明星』でアール・ヌーヴォーが取り上げられ、また晶子もアール・ヌーヴォー的なデザインを本の装丁に取り入れたこともあり、晶子とアール・ヌーヴォー、そしてミュシャに近しいイメージを感じている方も少なくないでしょう。
一方、パリのイメージが強いミュシャですが、実はチェコ出身です。後半生のミュシャは、パリでの華やかな生活を捨てて故国に戻り、画家として故郷チェコ、そしてチェコ人を含むスラヴ民族の歴史を描いた大作《スラヴ叙事詩》を描くことに費やし、また独立を果たしたチェコのために紙幣や公務員の制服のデザインなどを無償で引き受けたのでした。
そんな彼の名前ですが、ミュシャとはフランスでの発音で、故郷チェコではムハというのがより近い発音になるようです。華麗な作風のデザイナー・ミュシャと、荘厳で幻想的な画風の歴史画家・ムハ。
そんなミュシャ/ムハの世界最大規模のコレクションを有するのが、このコレクションを築き上げた『カメラのドイ』の創業者土居君雄氏の遺族から寄贈を受けた堺市の、堺アルフォンス・ミュシャ館です。毎回、密度が濃く、鋭い切り口の企画展を開催してくれている堺アルフォンス・ミュシャ館が、この秋開催している企画展の名は「アルフォンス・ムハ モラヴィアン・ドリーム!」展です。展示会を企画された原田ゆりさんに案内していただきました。

 

 

■デザイナー・ミュシャと歴史画家・ムハ、二つの顔をつなぐ企画展

 

▲アルフォンス・ミュシャ。故郷チェコではアルフォンス・ムハ。パリの寵児となるも、スラブ系の民族衣装を普段着にしていた。

 

――今回の企画展は「アルフォンス・ムハ モラヴィアン・ドリーム!」というとで、ミュシャではなくムハとしている所が気になりますね。
原田ゆり「当館の企画展としても『ムハ』と表記した企画展は初めてになります。前回の企画展「おいしいミュシャ」では、五感をテーマにミュシャのポスターから食に関するものを取り上げました。今回はそことは趣向を変えて、チェコと夢をテーマにしたんです」
――チェコではムハになりますものね。
原田「日本でミュシャという言葉を広めたのは土居コレクションの土居君雄さんなんです。「アール・ヌーヴォーの華 アルフォンス・ミュシャ展」という展覧会を80年代に開催して、全国で20万人を動員されたそうです。その時に土居さんは、まずはミュシャのパリ時代の華やかでメジャーな所を知ってもらってから、《スラヴ叙事詩》を描くミュシャを知ってもらおうとしたらしいです。当館のお客様の中でも、最初からミュシャはデザイナーを目指していたと思われていて、《スラヴ叙事詩》を描くミュシャがうまく結びつかないという方が少なくありません」

 

▲ポスターデザイナーとしてのミュシャとは別の顔として歴史画家としての顔がある。二つをつなぐミッシングリンクとは?

――ミュシャは元々、歴史画家を志望してパリにやってきたんでしたよね。
原田「ミュシャには歴史画家になるという夢と、チェコ独立という夢がありました。その夢が夢のようなパリでどのようにつながっていったのかを、今回の企画展ではストーリーとしてお見せできると思います」
――デザイナーとしてのミュシャと、歴史画家としてのムハ。二つの側面をつなぐミッシングリンクのような企画展なんですね。もうひとつ、日本人の人形作家さんとのコラボレーションも気になります。
原田「チェコで活躍されている人形作家の林由未さんの作品です。林さんは、日本では阪急うめだコンコースでクリスマス展示が有名ですね」
――それは大阪の人なら、よほど出不精でなければ必ず観てるんじゃないでしょうか。林さんの作品がどういう風に、ミュシャの夢、いやムハの夢とかみ合うのか楽しみです」
というわけで、今回の記事では、ここからは企画展に合わせてミュシャではなく、ムハとし表記していくこととしましょう。

 

 

■夢のようなパリ、パリで見る夢

▲チェコで人形作りを学び世界的に活躍する人形作家林由未さんの作品がお出迎え。

 

――企画展の入り口で人形が出迎えてくれていますね。これが林さんの作品ですか。
原田「はい。ムハの描く、女性、女神像にちなんで、女神シリーズというのを作ってくださったのですが、どことなく林さんご本人にも似ているなと思います」
――企画展用の新作は楽しみですが、最初の部屋はムハのパリ時代の展示になってるんですね。
原田「第一章は『パリの夢』と題しました。19世紀末のパリにはヨーロッパ中から画家が集まってきていましたが、ムハはこちらの写真にあるように、普段からチェコの民族衣装を着て、アトリエにも民族衣装を飾っていたそうです。そこまで自分のアイデンティティとして民族衣装を普段着にしていたのは、珍しかったでしょう」
――田舎から花の都パリにやってきたら、パリっこを気取りたくなりそうですのにね。日本人が海外で着物着て仕事しているようなものでしょうか。当時最高の芸術の都パリで、名だたるアーティストと交流し、売れっ子作家として活躍する夢のような生活だったんでしょうけど。故郷に対する思いが相当強かったのでしょうね。
原田「今回の企画展では、そんなムハをパリで見出した二人の人物を取り上げています。一人はムハの出世作で良く知られたパリの女神、大女優サラ・ベルナール。もう一人が総合芸術誌『プリュム』の編集者で、出版社の展示ホールでサロン・デ・サンを主宰していたレオン・デシャンです。ムハはサロン・デ・サンに入会し、サロン・デ・サンのポスターや『プリュム』の表紙を手がけました。そして1897年5月に最初の本格的なムハ作品展を開催します。ムハは500点もの作品を出展し、そのポスターがこちらになります」
――女性と植物、とてもムハらしいモチーフが用いられていますね。

 

▲サロン・デ・サンで開催されたムハ作品展のポスター。

 

原田「当時、すでにムハは有名な存在で、どんなポスターをもってくるのか気になる所でした。このポスターの女性は、パリを席巻した女神像というよりは素朴な少女のような人物です。あえて強い目線を見せて、口元は隠しています。頭にはモラヴィアの刺繍が入った帽子、そしてエレガントなユリとかバラではなく、チェコゆかりの雛菊をかぶせています。自分はチェコ人、チェコ人がパリに来ているんだということを、彼女に託したのではないでしょうか」
――この輪っかのモチーフも気になりますね。チェコ時代の歴史絵画で用いられていたように思います。
原田「この輪っかは後のチェコ時代の作品にも良く出てきますが、スラブ民族やチェコ人の団結の象徴なんです」
――これまでの取材で、ムハがチェコやスラヴに対する思いを得たのは、パリ万博のために同じスラヴ民族が住むボスニアヘルツェゴビナへの取材旅行がきっかけだと思っていたのですが、それ以前かからチェコやスラヴへの想いは作品の中に反映されていたのですね。

 

▲今回の企画展最初の展示は、ポスター作家としての代表作がずらりと並ぶ迫力の展示。公演ポスターの『ジスモンダ』と『ハムレット』を中央に、『四季』が左右を固める。眼福の極み。

 

原田「たとえばこちらはムハ作品の中でも人気が高い『四季』です。これは装飾パネルというもので、本来公演の告知のために公共の場に貼られるポスターだったのですが、あまりにも美しいので家にも飾りたいという要望が強くて家用に印刷会社が作ったものです。こうした装飾パネルは、ムハだけでなく当時のアーティストたちも作ったのですが、一番最初に作られたのがムハの『四季』だったんです。パリにも四季はあるし、チェコにも四季はあるわけですが、ムハの息子のイジー・ムハさんによると、この作品の中でも夏が一番チェコらしいそうです。頭にケシの花を飾った女性が、水辺でけだるそうに足を水に浸して遠くを見ている。これは父の故郷であるモラヴィアの夏の景色なのだそうです」
――このアンニュイな感じがチェコっぽいんでしょうかね。
原田「そしてブドウを描いている秋。フランスワインは有名ですが、モラヴィアもワインの美味しい所として知られています」
――最初のコーナー、第一章には一般的なイメージ、パリ時代の華やかな作品が展示されていますが、こうしてみると作品のモチーフの中にチェコのモチーフがちりばめられていて、ムハのチェコに対する想いが地下水のように流れていた事がわかりますね。

 

▲『四季』より最もチェコを思わせる『夏』。夏の水辺で涼む少女は何を見ているのか?

 

原田「ところが、ムハが有名になると、新聞や雑誌はムハの出自について適当な事を書き始めるのです。ハンガリー人だとか、ロマ(いわゆるジプシー)だとか、タタール人であるとか」
――当時のチェコは、オーストリア・ハンガリー二重帝国の支配下にあったとはいえ、ちょっと大雑把すぎですよね。現代の私たちでいうと、たとえば中国の少数民族出身の留学生が日本に来て、漢民族や他の民族として紹介されたり扱われたりしたら、やっぱりやな感じですよね。それに、ハンガリー人にしてもヨーロッパの中のアジアルーツとされてるし、いわんやロマ、タタール人となると、蔑視や差別、良く言ってもオリエンタリズムといった所でしょうか。
原田「当時のパリの人たちにしてみれば、チェコのモラヴィア地方といわれても、隣の大きな帝国のどこかでしかなくて、良くわからなかったでしょう。しかし、ムハは相当ショックを受けてしまったようです」
――これはムハは辛いですよね。
原田「そんなムハに助け船を出した人物がいました」
――誰でしょうか?
原田「ムハを見出した一人。ムハの芸術のパートナーであったサラ・ベルナールです」

次回の記事では、サラ・ベルナールのムハへの助け、そしてムハが夢見たチェコ独立が、どのように彼の作品に影響を与えていたのか、そんな所を見ていきたいと思います。

(→第二回へ続く)

 

●アルフォンス・ムハ モラヴィアン・ドリーム!
会期:2023/08/05(土) 〜 2023/11/26(日) 9:30~17:15(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(休日の場合は開館)、休日の翌日(9月19日、10月10日、11月24日)、 展示替臨時休館日(10月3日、10月4日)

 

●堺アルフォンス・ミュシャ館
〒590-0014 堺市堺区田出井町1-2-200 ベルマージュ堺弐番館2F~4F
TEL: 072-222-5533 FAX: 072-222-6833
web:https://mucha.sakai-bunshin.com/

 

 


灯台守かえる

関連記事

Remodal

Remodalテスト

Write something.


PAGETOP

remodal