さかいに架かる橋(3) 内川橋

 

■内川橋

堺に架かる橋と、その橋に関連するあれこをを紹介していくシリーズの3話目は「内川橋」です。
内川橋は、環濠に架かる現存する橋としては、江川橋から数えて三つ目の橋で、府道187号線(通称浅香山通)に架かる橋です。南海バスのバス停名にもなっています。
石造りの立派な欄干が残っているというのが推しポイントです。

 

▲親柱に刻まれた橋名。風格があります。

 

▲橋の中央東から西方向を撮影。高欄真ん中にある橋柱に空いてる穴なんですが、同じような石造りの宿屋橋と比較して推測するとガス灯などの照明器具が設置されていたのでしょうか?

 

■内川

内川橋に関連したトピックスは、やはり「内川」をとりあげたいと思います。
まず堺の環濠の歴史を振り返ってみると、大坂夏の陣(1614年)で焼け野原になった堺は、その年には「元和の町割り」によって碁盤の目に整えられた近世都市として再建されます。この時に整備された町の基本的な構造が、今の堺の町にも受け継がれています。土居川が出来たのも、この「元和の町割り」の時です。その後、大阪湾の海流によって運ばれる土砂によって海がどんどん埋まっていきます。特に1704年の大工事で大和川が今の位置に付け替えられると、内陸からも土砂が流れ込むようになり陸化が加速します。土居川の水質悪化もあり、元々の海岸線に沿って新しく掘られたのが内川だったのです。

そこからずっと時代が飛んで。1970年代にはいり、阪神高速道路の建設に合わせて環濠の西側と北側が埋め立てられます。埋められなかった東側と南側も工業廃水が流れ込むなどして水質悪化がひどく、どぶ川として残されることになりました。
この状況の改善を目指し、1990年に「ふるさとの川整備事業」、1998年から仁徳陵・内川水環境再生プラン」がスタートし、市民の憩いの場としての水辺を目指して、インフラ工事や水質改善のための事業がはじまります。また、堺市民の中からも川の清掃活動が始まったことも見過ごせないことでしょう。
現在、内川の水路は神明橋より北の部分は公園化し、内川緑道として整備されています。内川橋から緑道へ降りるスロープも完成したことで、水辺の散策エリアとして生まれ変わっています。

 

▲内川橋から南側の緑道へと降りるスロープ。

 

▲内川緑道。

 

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内川橋

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