さかいに架かる橋(1) 江川橋

古い堺の町はぐるりと堀に囲まれており、環濠都市と称することがあります。これは戦国時代には自衛のために役立っただけでなく、水運の役割も果たしていました。日常生活の中では堀を渡るための橋が必要で、お堀にも多くの橋が架かていました。現在は北側と東側の堀が埋め立てられてしまった今も残るお堀には30以上の橋が架かっています。
この「さかいに架かる橋」シリーズは、主に環濠に架かっている橋、そして架かっていた橋を周辺の歴史スポットなどを交えながら紹介していきます。

▲河口慧海の銅像。河口慧海の生家や幼い日の慧海が学んだ清学院などが、この近くにある。

 

■七道駅前の半ば消えた橋

堺の北の玄関口になる南海本線「七道駅」。駅前のロータリーには、堺の偉人の一人で仏典を求めてチベットへ密入国した河口慧海の銅像でお馴染みの駅です。この駅前から、東へ向かってすぐにあるのが「江川橋」です。
「橋」とはいうものの、南北に延びる堀(内川)の北のドン付きにあたり、堀の北辺部分は昭和40年代に埋め立てられて、その後内川の北部も内川緑道という形でせせらぎの流れる公園へと整備されて江川橋の北側も完全に埋め立てられてしまったこともあり、橋としての面影はありません。橋の南側の柵から内川緑道を見下ろせるので、やや橋としての風情を楽しめるといえるかもしれません。

 

▲江川橋から、内川緑道を見下ろす。

 

江川橋のたもとには、環濠に架かる橋に関する案内板があり、現在架かっている橋、過去にかかっていた橋について地図にまとめられています。ところが、江川橋の名前はなぜかシールで訂正された形になっています。ネットで調べてみると、どうやら江川橋は一時期「居川橋」と間違って記録されていたそうなので(※)、その訂正が行われたのではないでしょうか。それにしたって、訂正シールのフォントや色も他の橋名の表示に合わせておらず、おざなりの対応という印象。なんとも不遇の江川橋です。

※江川橋の名前間違いの件については、こちらのブログ「環濠都市・堺に生きる」(http://blog.livedoor.jp/sougen_no_kaze/archives/52108686.html)さんに詳しく記載されています。

 

■千日井

▲行基とゆかりのある千日井。

江川橋近くにある歴史スポットとしては「千日井」をご紹介しましょう。
「千日井」は江川橋からは、内川を埋め立てた道を北へ向かい、信号を渡ってすぐにあります。
これまた堺の偉人である行基が建立したとされる高渚寺(たかすでら)の井戸で、水道が整備されるまで現役の井戸として活躍していたそうです。なお、七道という地名はこの高渚寺に七堂伽藍があり、その七堂が七道に転じたのだという説があるそうです。地域の地名のもとになったという意味でも大切にしてほしい歴史スポットですね。
また、堀が埋められる前にはこの千日井の近くに「千日橋」という橋が架かっていました。

 

次回は「海船橋」を紹介します。

 

江川橋


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