110年前の夢を叶えたい。ミュシャの名画を堺緞通で織る(2)
アルフォンス・ミュシャの幻の名画《クオ・ヴァディス》を、堺の伝統産業だった堺緞通(だんつう)で再現する。面白いけど、またなんで? とクェスチョンマークがつく企画が堺アルフォンス・ミュシャ館から発表されました。
この疑問は、企画を担当した学芸員の髙原茉莉奈さんから話を伺うとすぐに氷塊しました。
この時期のミュシャは、大作《スラヴ叙事詩》の資金集めのために渡米しており、パリで描いた《クオ・ヴァディス》もその手にありました。アメリカで一緒に仕事をした建築家アーサー・ヘルチが立ち上げた絨毯工場で《クオ・ヴァディス》を原画として絨毯を作る。そんな計画が持ち上がり、一時は《クオ・ヴァディス》はヘルチの手に託されたのですが、結局製品化されることはありませんでした。
その110年前に描かれた夢を、絨毯技術が大阪刑務所の受刑者の間で伝承されている堺緞通で叶えてみよう。そんなストーリーを髙原さんは描いたのでした。髙原さんの予想以上に話はさくさくと進み、館長の許可も出て、大阪刑務所も乗り気。しかし、資金をどうするのか。そこで髙原さんは、クラウドファンディングという手を思いついたのでした。(第1回記事)
■クラウドファンディングをする意味
堺緞通は、職人さんが1回1回手に握った糸を通して図柄を生み出していく手織の絨毯(じゅうたん)です。その歴史は江戸時代にさかのぼり、明治以降は海外へも盛んに輸出され、堺の主要産業として一世を風靡しましたが、しだいに機械織の敷物へと地位を明け渡し、現在では保存会を除けば大阪刑務所の作業所が唯一の製造の場となっています。作業所の製品ということもあって、価格は抑えられるとはいえ、制作に何ヶ月もかかる特注品。決して安い金額では作れません。そこで髙原さんは、ネットで寄付を呼びかけるクラウドファンディングを行うことにしました。
髙原「実は館長も以前からクラウドファンディングをしてみたいアイディアはあったんだそうです。そんなこともあって丁度いい企画だということですぐに許可がおりました。(2021年)5月にアイディアが出て、6月に大阪刑務所を視察して、10月にクラウドを開始しました」
――とんとん拍子のすごいスピードですね。
髙原「最初はクラウドファンディングなんかせずに予算がつけばいいのにと思っていました。でも、やっているうちにみんなの力で一つの絨毯を作るんだという風に思ったんです。実際、クラウドファンディングが始まると、ミュシャファン、堺ファン、伝統技術に関心のある人たちの応援がものすごかかった。送っていただく温かいコメントに涙がこぼれました。
――熱い話ですね。
髙原「クラウドファンディングは最初の5日間が勝負と言われます。初日に目標金額の10%、5日以内に30%達成すると成功するといわれています。今回のクラウドファンディングは蓋を開けてみたら、これが大盛況で、4日で第一目標の150万円を達成。9日目で199万円となりました」
――あっという間に目標達成じゃないですか! 最終目標の300万円も夢じゃ無いですね。クラウドファンディングといえば、返礼品(リターン)が発生します。どんな返礼品を用意したんですか?
髙原「基本の〈カーネーション〉コースは3000円。サンクスメールにプロジェクトレポート、非売品のポストカードとブックマーク、10000円の〈ユリコース〉では、それに展覧会のご招待券とポスター。30000円の〈バラ〉コースではさらに内覧会にペアでご招待、図録のプレゼント、ホームページにお名前掲載、展覧会の招待は2名。50000円の〈アイリス〉コースでは展覧会の招待は4名。90800円の〈QUO VADIS〉コースでは、学芸員……私の……個別ギャラリートークにご招待し図録にもお名前掲載。300000円の〈夢想〉コースは企業向けの協賛コースとして設定しました」
――ミュシャの作品タイトルにちなんでいていいですね。しかし、90800円って中途半端な金額では?
髙原「なかなか気づいてもらえないんですが、語呂合わせでク(9)オ(0)ヴァ(8)ディスなんですよ」
――あ、なるほど。
■絨毯制作のその先に
――クラウドファンディング、大成功中ですね。
髙原「先ほども触れましたが、応援コメントが本当にあったかい。みなさんのミュシャ愛がものすごい。クラウドファンディングにして良かったと思います」
――そうそうに第一目標の150万円は達成しましたが、最終目標がありますよね。どんな風に資金を活用するんですか?
髙原「110年前の夢を実現したいとして始めたクラウドファンディングなので、次の110年後に伝えていきたいと思っています。そのために制作過程の記録をとりたいんです。刑務所の中ということで全てを記録するのは難しいところがあるかもしれませんが、可能な限り記録をとりたい」
――作業される方は受刑者ですから、人権上の配慮をはじめ、簡単ではないこともあるでしょうね。
髙原「ええ。クラウドファンディングでも刑務所の受刑者が作業するということで拒否反応があるかもと思ったのですが、まったくありませんでした。つーる・ど・堺さんの取材でかんり踏み込んだことまで書かれていて驚きました。それが参考になると思っています」
――お役に立てて幸いです。
髙原「私が一つ思っているのは、作品が完成したあと、作業された方が一生それを見ることが出来ない。私はそのことも背負おうと思っています」
――髙原さんの覚悟ですね。
髙原「大阪刑務所で技術を継承するだけじゃなくて、さらに進化しているじゃないですか。あれをなんと言えばいいのか悩んでいたのですが、つーる・ど・堺さんの記事で『解像度が8倍になった』という表現があって、これだと思いました」
――一度に4本の糸を横糸にくぐらせて折り返して、8本で表現するのを1色じゃなくて、1本1本違う色を使うようになったんですよね。これは時間よりも精度にこだわることができる作業所だから生まれた新技術ですよね。
髙原「《クオ・ヴァディス》は緞通で表現するのに本当に難しい作品なんですよ。曲線の表現は難しいらしいんですが、曲線を多用するアールヌーヴォーですから。特に人物の目が難しくて、一つの目だけで2週間かかるらしいんです。《クオ・ヴァディス》は女性と背景の男性、彫像と目が沢山描かれていますから。でも、作業にあたる受刑者の方もがんばりたい。挑戦したいとおっしゃってくれているんです」
――つーる・ど・堺の取材でも、緞通の作業をすることで、受刑者の精神が安定する効果があると教官の眞野さんがおっしゃってましたね。創造行為って人間性を取り戻す力があるんだと驚きました。
髙原「似たような事例として『ゲルニカ』のタペストリーがあるんですが、この時はピカソの監修の元に作成され、今は日本にあります。今回、私は直接受刑者に会うことが出来ません。教官の眞野さん越しになってしまいます。写真を再現することに集中しているから大丈夫とおっしゃっていますが、できるだけ資料を作ってお伝えしたいんです」
――作品の背景、ミュシャの想いを伝えることで、さらに深みのある作品へと仕上げてほしいですよね。目ひとつに2週間もかける方なんだから、きっと髙原さんの熱意は伝わり、作品に反映されることだと思いますよ。
実のところ、《クオ・ヴァディス》という作品は、行方不明になっていたものが昔探したはずの倉庫で偶然発見されるなど、幻の作品を呼ばれる不思議な来歴をもっていますが、描かれている絵の内容もなかなかにミステリアスです。第3回の記事では、《クオ・ヴァディス》に何が描かれているのか、その不思議に迫ります。
なお、この取材の時点でクラウドファンディングは200万円直前でしたが、12月の中頃には300万円を突破。事業の充実にむけ、さらなる協力を呼びかけています。
クラウドファンディングの詳細は、こちらから→https://readyfor.jp/projects/mucha-sakaidantsu
会場:堺アルフォンス・ミュシャ館
開館時間:午前9時30分から午後5時15分(入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日(休日の場合は開館)、休日の翌日(2月12日、2月24日)
観覧料:一般510円(410円)、高校・大学生310円(250円)、小・中学生100円(80円)
*( )は20人以上100人未満の団体料金