ミュージアム

110年前の夢を叶えたい。ミュシャの名画を堺緞通で織る(1)

 

「ミュシャの名画《クオ・ヴァディス》を堺緞通として織り上げたい」
そんな途方も無い事を実現するためにクラウドファンディングが始まったと知り、驚くよりも「堺アルフォンス・ミュシャ館がまたやった!」という思いを抱きました。世界最大級のミュシャコレクションを抱える堺アルフォンス・ミュシャ館ですが、近頃アグレッシブさを増して、要注目の「攻め」の企画を連発しています。
そうこうしているうちに担当学芸員の髙原茉莉奈さんから、取材要請の一報が入りました。もちろんその話に乗らないわけにはいきません。

■110年前の夢

 

▲世界最大級のミュシャコレクションがある堺アルフォンス・ミュシャ館。所蔵作品を一度に展示できるはずもないので、企画展ごとに足を運んでも、毎回新しい作品と出会えます。

JR阪和線「堺市」駅に連結している商業施設を通り抜け、堺アルフォンス・ミュシャ館へ。この日は偶然、年に一度ある無料観覧日ということで、平日の日中にもかかわらずお客様の入りがあるようです。その様子を横目で見ながら、まずは事務所へ向かい、髙原さんから企画の意図と経緯をおききするところから始めました。

――ミュシャの絵を堺緞通でなんて、どこからそんな話がでてきたのですか?
髙原「まず、来年の企画をどうするか考えてきた時に、《クオ・ヴァディス》を主役にしたらという考えが浮かんできたんです。これまで堺アルフォンス・ミュシャ館では、一点の作品を深掘りした展覧会というのは開いたことがなく、面白い試みだと思ったんです」
――なるほど。これまで何度も取材させていただきましたが《クオ・ヴァディス》は、数多ある所蔵作品の中でも、存在感は指折りだと思います。ただそのわりには、あまりフィーチャーされてこなかった。注目されてこなかった。作品のクォリティに比して正当な扱いを受けていないようにも思えますね。
髙原「実は《クオ・ヴァディス》は幻の絵画と称されるような数奇な運命をたどった絵なんです。110年前の1910年ごろ《クオ・ヴァディス》はシカゴにありました。当時、ミュシャは、歴史的には無名といっていいアーサー・ヘルチというシカゴの建築家をパートナーにしていました。シカゴにあったラサールホテルというホテルの内装の仕事を一緒にやっているようです」
――アメリカ時代のミュシャはそんなデザイナー的な仕事もしていたんですね。
髙原「そこでアーサーは絨毯工場を作ろうと計画していて、《クオ・ヴァディス》を絨毯化しようとしたらしいんです。そのため、ミュシャはシカゴに《クオ・ヴァディス》を置いていったみたいなんです。しかし、残念ながら絨毯化は実現しませんでした」

 

▲アールヌーヴォーらしい縁取りも、絨毯ぽさをかもしだしています。

 

――置いていったということは、実現しなかったとはいえ、本気で絨毯にしようとしていたんでしょうね。
髙原「《クオ・ヴァディス》はそれからしばらくたって1920年頃に一度ミュシャの手に戻ります。しかし、その後行方不明に。再発見されたのは、なんと1979年で、シカゴの額縁屋の倉庫の中から、四つ折りになった《クオ・ヴァディス》が見つかったのです。見つけたのは美術の教養がある大工さんだったそうで、一目見てミュシャの作品だと見抜いたそうです。実はこの倉庫は、一度ミュシャの息子(イジー・ミュシャ。チェコ語読みではジリ・ムハ)さんが確認して、ミュシャの作品を引き上げていたのですが、その時に発見し損ねていたみたいなんです」
――一歩間違えたら、ずっと発見されず四つ折りで眠ったままになっていたかもしれないんですね。いやはや幻の絵画ですね。
髙原「その後、《クオ・ヴァディス》の所有権については、裁判にもなったそうですが、息子さんのものとなり、それから親交のあった土居君雄さんの手に渡り、『ドイコレクション』に加えられて、当館へという運命をたどります」
――なるほど。どこか少しでもタイミングが狂ってたら、この絵はここにはなかった。逆に言えば《クオ・ヴァディス》はまるで呼ばれたようにして、堺に来たんだっていいたくなりますね。

 

■ミュシャと堺の接点に

 

▲ミュシャが《スラヴ叙事詩》に至るまでに、その準備的な作品として描いたのではないかと思われる《ハーモニー》。

髙原「《クオ・ヴァディス》は絨毯にするために作られたわけではないのですが、絨毯っぽい印象がある作品だなと思います。ミュシャはパリで描いてアメリカに持って行くのですが、最初からインテリアデザインを意識していたようにも思えます」
――ミュシャのアメリカ行きが資金調達のためだと考えると、あながち無いことでは無いですよね。

これまで何度かミュシャの取材で教えていただいたおさらいをすると、デザイナーとして成功していたミュシャは、1900年のパリ万国博覧会でボスニアヘルツェゴビナ館の仕事を依頼され、現地へ取材旅行に行き、故郷チェコと同じスラブ民族の苦境を目の当たりにします。スラヴ民族の誇りを取り戻すため、ミュシャは大作《スラヴ叙事詩》の構想を得ますが、この大作を書き上げるには莫大な資金が必要でした。ミュシャは資金を調達するために、新興大国アメリカ渡航を決意します。

髙原「《クオ・ヴァディス》の絨毯化も果たせなかったわけですが、堺には堺緞通があるじゃないかということに気づいたんです。これまでミュシャと堺の関係を語るのは、与謝野晶子とアールヌーヴォーしかなかったのですが、堺緞通が接点になるのではないかと思ったんです。それは、実はつーる・ど・堺の取材記事のおかげでもあるんです。堺緞通については、色々調べたんですが、大阪刑務所にまで取材に行っているのはつーる・ど・堺だけですよ!」

 

▲大阪刑務所では、写真をもとにして緻密な緞通を手作業で織続けている。

 

――大阪刑務所で受刑者の作業として、手織の堺緞通の制作が取り入れられていて、それが伝統産業として堺緞通が作り続けられているほぼ唯一の場となっているんですが、確かに大阪刑務所で取材させていただきました。あの取材ではいろんな場所にいきましたね。
髙原「あの記事を読んで、大阪刑務所にコンタクトをとって伺いました。大阪刑務所では、つーる・ど・堺の記事でも登場した受刑者に技術を伝える技官の眞野さんともお会いして、《クオ・ヴァディス》を堺緞通で作りたいという話をしたんです。すると大阪刑務所からも、ぜひという話になったんです。それであとはお金をどうするのか、という話になったんです」
――ここでいきなり重い話というか、リアルな話になってきましたね。

手織の堺緞通は、完成まであまりにも時間がかかり、普通の商業ベースで作ろうとすると桁違いの金額になってしまいます。堺緞通の場合、刑務所の作業ということで工賃はかなり抑えられますが、それでも結構な金額になるのでした。
そこで、髙原さんが思いついたのは、クラウドファンディングでした。

第2回へ続く)

 

世界最大級のミュシャコレクションを持つ堺アルフォンス・ミュシャ館では、堺の伝統技術である手織絨毯堺緞通で、ミュシャの名画《クオ・ヴァディス》を織るというとんでもないプロジェクトを実現するために、クラウドファンディングをはじめています。すでに最初の目標金額150万円はわずか1週間で突破したとのことですが、最終目標の300万円までの道のりはこれから。ぜひ、ミュシャファン、緞通ファン、堺ファンはご助力ください。

実は現在堺緞通の製品をつくっているのは、堺アルフォンス・ミュシャ館のご近所にある大阪刑務所の受刑者です。どうして大阪刑務所の受刑者が堺緞通の技術を継承しているのかは、以前つーる・ど・堺でじっくり取材しました。なんと、このときの記事を学芸員さんが読んだことが、この企画のきっかけになったとか。つーる・ど・堺としても応援せねばなりませんね!

クラウドファンディングの詳細は、こちらから→https://readyfor.jp/projects/mucha-sakaidantsu

 

 

会場:堺アルフォンス・ミュシャ館
開館時間:午前9時30分から午後5時15分(入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日(休日の場合は開館)、休日の翌日(2月12日、2月24日)
観覧料:一般510円(410円)、高校・大学生310円(250円)、小・中学生100円(80円)
*( )は20人以上100人未満の団体料金

 


灯台守かえる

関連記事

Remodal

Remodalテスト

Write something.


PAGETOP

remodal