ミュージアム

企画展「堺敷物ものがたり」@堺市博物館(4)

 

江戸時代に堺の糸物商糸屋庄左衛門らが始めた堺緞通は、明治時代になりその孫である『緞通王』藤本荘太郎によって、海外に輸出される堺の一大産業となります。アメリカの関税引き上げによって大打撃を受けた後も、関東大震災後のコンクリート製住宅に対応して、高級志向の敷物に活路を見いだしていました。しかし、戦後の高度成長期になると手織の『堺だんつうは絶滅寸前』とまでいわれるようになります。最後の名人といわれた辻林峯太郎の最晩年になって技術の継承がはかられ、堺式手織緞通技術保存協会、さらに大阪刑務所の作業訓練として受刑者の間で堺緞通は産業ではないものの「伝統工芸」として受け継がれていくこととなります。(第一回第二回第三回
しかし、堺緞通の命脈は堺緞通にのみ受け継がれているわけではなかったのです。時計の針を一端明治へと戻してみましょう。

 

■堺緞通から広がったさまざまな敷物

 

▲昭和世代には懐かしい!? イギリス生まれのウィルトンカーペット。

 

企画展の第三章は「堺緞通からさまざまな敷物へ-「敷物王国」堺-」と題されています。
このコーナーでは、特色ある敷物が展示されていました。

堀川「明治時代、現在の大阪市住之江区で堺緞通を生産していた村田伝七(現・住江織物株式会社の創業者)は、明治23年に輸入品のウィルトンカーペットを模して絨毯を作り、明治24年に建てられた帝国議会議事堂に納入しました」
――第一回の記事で、国会議事堂に納めた絨毯のことを取り上げましたが、関係した業者チームの中に住江織物株式会社さんが入ってましたね。その頃からの縁なんですね。
堀川「こちらの展示品は、開口神社の祭礼に巡行する大小路鉾付属品と一緒に寄贈されたウィルトンカーペットです。ウィルトンカーペットはイギリスのウィルトン地方で生まれました。縦糸と横糸、パイル糸からなる織物で、ジャガード(自動柄出し装置)が発明されて急速に普及しました。堅牢な作りでパイルが抜けにくいのが特徴です」
――昭和の頃のお宅には、こんな絨毯をよく見かけて気がします。

 

▲明治時代のリサイクル敷物ヒットアンドミス。この不揃いさがかえって魅力的に見えます!

 

堀川「明治時代に堺で生まれたのが、こちらのヒットアンドミス。ボロ布を引き裂いて横糸に用いたため、一つとして同じ物がありません。『Hit & Miss』、英語で『あたりはずれ』という名前がつけられたのも、そういう意味からかもしれません。このボロ布つなぎの作業は高齢者や女性の副業にもなっていました」
――リサイクルですね。しかも、高齢者や女性の雇用にもつながっているなんて面白いですね。そして、製品ひとつひとつに個性があるというのも、かえって今受けるんじゃないでしょうか?
堀川「リサイクルとしては、こちらのチューブマットも大ヒットした商品です」
――あ、これは見た記憶があります。
堀川「太いチューブの中に古布からリサイクルした綿をつめています。このチューブを渦巻き状に巻いて縫ってとめて仕上げるんです。とても安上がりで、昭和30年頃からアメリカへの輸出が盛んにされました。堺の港には、共同梱包場が作られて、工場から直接チューブマットがどんどん持ち込んまれては現金と引き換えられ、検品・梱包してそのまま堺港から船積みされていったといいます」

 

▲チューブマットもよくみかけました。

――景気のいい話で、まさに敷物王国といった様相ですね。
堀川「ええ、しかし、昭和46年(1971)のニクソンショックで円高になると、輸出は大打撃を受けて、チューブマットの生産も国内向けに切り替えられました」
――それは関税の引き上げで輸出が壊滅した堺緞通の運命と重なりますね。

■敷物王国の今

 

▲ハンドタフトに使う電動のフックガン(手前)。奥は手動式のもの。

堀川「こちらは大正時代から始まった敷物でハンドタフト、あるいはフック緞通、フックドラグといいます。製品の裏面からフックガンという器具をつかって色糸を刺していくんです。昭和42年(1967年)頃に電動のフックガンが開発されて使われるようになりますが、この電動フックガンは堺で作られているんです。山形の工場に調査にいった時に、機械は堺製だと教えてもらってはじめて知りました。堺市中区深井畑山町のウネヤマ製作所さんです」
――やはり中区の深井は、敷物関係が多いですね。
堀川「フックガンを使ったハンドタフトは、一点ものの製作となり、細かい表現が可能です(トップ画像)。現在は高級ホテルなどに納められています」
――なるほど、手作業ならではの価値で、堺緞通の高級路線を継承していますね。

 

▲カービング技術によって、美し仕上げられたハンドタフトのカーペット。

 

堀川「大量生産が可能なタフト機(動力機械)を使ったタフテッドマットもあります。現在でも家庭用カーペットとして広く普及しています」
――これは今でもとてもよく見るタイプのものですね。江戸時代の堺緞通からはじまって、様々な敷物を見てきました。現在の状況はどうなのでしょうか?
堀川「一時期、カーペットはホコリをため込み健康に悪いと盛んにいわれたこともあって、敷物産業は大きな打撃を受けました」
――そういえば、ありましたね。フローリングに変えようというのが大流行して……うちもフローリングです。
堀川「そんなことはないんだと、日本カーペット工業組合さんが、そのイメージを払拭するあめにパンフレットを作られているのでぜひ見てください」
――カーペットだとハウスダストが1/10になる……。お手入れをしていけば、カーペットの方が健康的に暮らせそうですね。
堀川「また、分野も広げています。たとえばスポーツグラウンドの人工芝をタフト機で製造しているんです。こちらはテニス、野球、サッカー、それぞれの人工芝で、たとえば野球はロッテのZOZOマリンスタジアム、サッカー用はJ-GREEN堺でも使われているんですよ」
――なんと、日本代表チームも合宿するJ-GREEN堺の人工芝も! 皇居や国会議事堂から、J-GREENまで、本当にいろんなところで堺の技術が活かされてるんですね。

▲敷物産業が担っていた人工芝。手前からテニス用、野球用、サッカー用。

 

江戸時代から一環していたのは、堺商人たちが時代や客のニーズの変化に柔軟に対応し、堺緞通にこだわることなく、新しい敷物へと手を広げていったことでしょう。かたくなに伝統を守り通してきた鍋島緞通が、まさに武士のような凜としたたたずまいとするなら、堺緞通はやはり商人。浮き沈みの激しい時代にあっても、堺商人たちはしたたかに動き、敷物産業として発展させてきたのです。

今回の企画展は、堺緞通を起点として、敷物産業全体を立体的に俯瞰することによって、堺緞通が歴史的に果たした役割の価値が鮮やかに浮かび上がらせるものだったのではないでしょうか? これからも刺激的な企画展を期待しています!

 

▲今回の企画展を担当した学芸員の堀川亜由美さん。ありがとうございました。

 

企画展のYouTube URLはこちらから
https://youtu.be/-NHtVHywfx0

堺市博物館
住所:堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁大山公園内

 

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