ミュージアム

企画展「堺敷物ものがたり」@堺市博物館(1)

 

 

堺市博物館では、企画展「堺敷物ものがたり」が開催されています(2021年10月3日まで)。堺の敷物である堺緞通については、これまで何度となく取り上げてきました。江戸時代に伝わった堺の伝統産業で、明治時代には海外に輸出されるほど大流行したものの、機械化の波には抗えず、今ではその技術を継承するものは限られ、文化財として保護されるだけの存在になっている。それが堺緞通にまつわる大まかな状況です。
ところが、今回の企画展では、堺緞通に別の角度から光があてられたのです。そこからは、博物館のショーケースに収まりきらない、今の私たちの生活に影響を与えた堺緞通の存在意義が見えてきたのです。
それはなんなのか、じっくりと見ていくことにしましょう。

 

■堺緞通を巡る新発見

 

つーる・ど・堺で、堺市博物館の特別展「堺緞通ものがたり」を取り上げたのは、2017年のこと。その時にも案内していただいた学芸員の堀川亜由美さんに、今回もお話を聞くことになりました。まずは、堺緞通の歴史を振り返ります。

堀川「堺緞通の歴史は江戸時代の天保2年(1831年)に始まったといわれています。鍋島緞通や中国の緞通を参考にしたといわれています」
――鍋島緞通、赤穂緞通、堺緞通が三大緞通とされていますよね。鍋島緞通は佐賀の鍋島藩の緞通でしたね。
堀川「鍋島緞通は、元禄時代にお殿様お抱えのものとして始まりました。主に大名同士の贈答品として流通し、柄も厳格に決まっており、サイズも一畳と決まっていました。鍋島緞通は伝送産業の文脈で今も続いています」
――品質管理を徹底して、ブランド力をキープするという戦略だったんですね。
堀川「その鍋島緞通のブランド力をうまく利用しながら、まったく違うやり方をしたのが堺商人たちでした。大名が使っているものや、舶来品と同じものをお届けしますよ。柄やサイズもお好きなもので。素材も羊毛、牛毛、麻に絹とユーザーの好みに合わせるのが堺緞通だったのです。そのために鍋島からは堺緞通なんてと思われていたわけですが、堺商人はおかまいなしでした」
――悪く言えば節操がないということかもしれませんが、商人らしいユーザー第一の柔軟さが堺緞通の持ち味だったということですね。
堀川「だから明治時代になって、アメリカで需要があるとわかれば、アメリカで市場調査もするし、機械化にだっていち早く動く。堺商人は売れる方に動いたのです。堺商人にとっては堺緞通は保護すべき伝統産業でなく、柔軟に動いたことで現在の堺の敷物産業につながっているのです」
――緞通にこだわらずに、産業として敷物を発展させたということですか?
堀川「実はこのことを知ったのは、山形にカーペットの取材にいった時なんです。取材先で、敷物を織る機械は堺で作ってると教わって、地元じゃないかと。堺市の南区の原山台には、敷物団地があって、紡績・染め・加工に敷物の機械を作るところもあって、敷物産業は堺の産業として一時代を築いていたことがわかってきたんです」
――そうか。敷物といっても、糸を作るところから、染めたり、加工したりと、様々な工程が必要なんですよね。それを分業でやっているのも、いかにも堺らしいお話です。
堀川「そうした堺の敷物産業の力を結集して、日本最高の絨毯が作られているというのも今回わかったのです」
――日本最高の絨毯ってどういうことですか?
堀川「日本でも最高級の建物といえばどこでしょうか?」
――え、どこでしょう? 五つ星ホテルとか?
堀川「もっとすごいところです」

 

 

■日本最高峰の絨毯

▲皇居豊明殿廊下に使われているカーペットは堺で作られたものだった。

堀川「実は皇居に使われているカーペットは、堺で作られたものだったんです」
――おお、それは確かに最高級です。
堀川「2004年に皇居の豊明殿の修繕があったんです。修繕の元請けは誰もが知る大きな企業ですが、下請けの業者が表に出ることはまずありません。実際に敷物の修繕を担当したのは、堺の業者さんが多かったんです」
――なんともびっくりする話ですね。
堀川「敷物施工は住江織物さんですが、ここも堺緞通から始まった会社で、明治になって機械織りを始めたところです。紡績の比楽紡績さん、製織の村上敷物さんは原山台、加工の塔本敷物さんは、やはり敷物の村として知られる深井清水町にあります」
――堺緞通の血脈ですね。
堀川「豊明殿が建設された当時の現物と同仕様のものを納める必要がありました。しかし当時の仕様書が残っているわけではないので、業者さんが現物を見て調べたんだそうです。糸はオーストラリア産何パーセントだろうとか、染め物の色も元からなのか脱色したものかとか。特殊な織り方であることもわかって、村上敷物さんはわざわざ織機の部品を作ったんだそうです」
――なつかしのプロジェクトXの世界ですね。中島みゆきが聞こえてきます。

 

▲国会議事堂の赤絨毯。

 

堀川「もうひとつ国会議事堂といえば赤絨毯ですよね」
――え、もしやあの赤絨毯も!?
堀川「2021年の3月に参議院第一議員階段の赤絨毯が敷き替えられました。その時に担当したのは、豊明殿の時とほぼ同じ業者さんのチームだったんです」
――皇居に国会議事堂。これはもう日本トップの建物、そこに敷く敷物となると、日本最高峰の敷物といって間違いないでしょう。いきなり驚かされました。

今回の企画展が「堺敷物ものがたり」となっているのは、堺緞通だけでなく堺の敷物産業を視野にいれた企画展だからのようです。江戸時代にはじまった堺緞通が、令和の時代の日本最高峰の敷物へとどのようにつながったのか、次回の記事からは企画展の展示を紹介しながら、その波乱の歴史に目を向けることにしてみましょう。

企画展のYouTube URLはこちらから
https://youtu.be/-NHtVHywfx0

堺市博物館
住所:堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁大山公園内

 


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