つるや楽器店 三味線発祥の町唯一の和楽器店(1)

堺は三味線発祥の地。
「ものの始まりなんでも堺」とはいいますが、三味線が堺でできたということが知られるようになったのは、つい最近のことではないでしょうか。三味線なんて和楽器の代表格です。三味線が出来た町として、その関わりはもっと知られているべきではないか!? ちょっとした町なら、観光の目玉にしてもいいぐらいなのに!
と今回は、少々義憤にかられた気持ちになりながら、堺市で唯一の和楽器店『つるや楽器』さんを訪れました。お店は堺区の宿院にあり、由緒ある開口神社や宿院頓宮とは目と鼻の先。歴史エリアのど真ん中というのも、老舗らしい立地です。

 

■三味線職人の仕事

 

以前につるや楽器店の石村真一郎さんとお会いしたのは、sakainoma濱で行われた「大正~昭和初期アンティーク着物ファッションショーin Sakainoma濱」でのことでした。真一郎さんが、ライブのMCとして語られる三味線話は笑いあり、トリビアあり、大変面白いものでした。何しろ「つるや楽器店」は、幕末の文久2年創業。かれこれ160年の歴史があり、真一郎さんは、その6代目に当たるのだから当然といえば当然です。

はじめて訪れたつるや楽器店の店内はどこか昔風。カウンターの向こうは畳敷きになっていて、昔で言う帳場の雰囲気なのです。真一郎さんは、帳場に座って何か作業をしています。湯飲み程度の器で白いものをこねている様子。

――それはなんですか?
石村真一郎「これは三味線の皮を張る糊を練っているんです。寒梅粉といって、餅米を餅にしてカチカチにしたものを、また水で戻して餅状にするんです。皮と木という異質なものを引っ付けるのにこの糊を使うんです」
――すごく手間のかかるものなのに、昔ながらの糊を使っているんですね。
真一郎「瞬間接着剤を使う人もいるんですが、瞬間接着剤は木にダメージがいくんです。でも寒梅粉だと(木製の)胴にダメージがいくことはありません」

ここで5代目の石村隆一さんが登場。隆一さんに、皮張りの実演をしてもらいました。
石村隆一「昔ながらの木の張り台もあるんやけど、準備をするのが大変なんで、金属の張り台を使わせてもらいますね」
――昔のやり方とは何が違ってくるんですか?
隆一「やってることは同じですよ。ただ、昔のやつは、準備が大変で細かい作業が多い。クサビを打って、糸を巻いて引っ張っていく。その方が絵にはなりますけどね」
――機械でいいですよ。どうぞどうぞ。皮はやっぱり猫の皮なのですか?

 

▲5代目石村隆一さん。機械を使った三味線の皮張りをお願いしました。

 

隆一「猫と犬があります。猫と犬で音色が違います。猫はお腹の皮を使うので、乳首があるんですよ。犬は乳首が大きいから、背中から脇にかけての皮を使います。なんの三味線にするかで、犬と猫は使い分けていて、たとえば野外で演奏してバチを使う津軽三味線は丈夫な犬の皮を使います」
――猫の皮の方が薄いんですね。
隆一「そうです。しかも猫は喧嘩をするんで、小さな傷が必ずあって難しいんです。皮を伸ばしていく時に、傷が開いていく音を聞いたら手を止めて、布を当てて素早く乾かすんです。うちの父(4代目)が猫の皮を張る時は、夜に必ずテレビも消して集中してやったものです」
――どうして皮張りは夜にやるんですか。
隆一「昼間に店でやっているとお客様が来たりするでしょう。そうすると手を止めないといけない。皮張りをする時は、手を止めずにやり続けたいので夜に作業をするんですよ」
――すごく神経を使う仕事なのですね。
隆一「皮を良く張るほど、三味線は良く鳴ります。でも、皮の厚みは均一ではないから、同じようには伸びません。薄いところは良く伸びるけれど、厚いところは伸びにくい。そのあたりに気をつけながら、伸ばしていくんです」
――いま、張っているのはどんな三味線なのですか?
隆一「これは、三味線を始めたいという若い子が見つけてきた古い三味線で、なんとか使えませんか? といって持ち込んできたものです。この三味線を作っていた頃は、今と違っていい道具がなかった頃だから、中を今ほど彫れなくて、木が分厚くて、胴自体も小さい。あんまりキツく張ると胴が壊れてしまう。それに彼は若くて、お金もあまり無いようなので、高く無い皮を破れにくようにしてあげないと。だからあまりキツく張らず、手を抜くという意味じゃなくて、良い加減にやってるんです。なので、あんまり撮って欲しくないな(笑) 仕事を適当にやっていると思われたくないので」
――お客様の事情に合せてする仕事は職人さんならではという気がしますが、だからといって見て欲しいのは全力の仕事ですものね。それはともかく、その三味線は古くて小さいとおっしゃってましたけれど、三味線は古い楽器の方がいいとかはないのですか?
隆一「それは無いですね。ヴァイオリンみたいにすでに完成した楽器なら、ストラディヴァリウスのようなこともあるでしょう。でも、私は三味線は、まだ進化している途中の未完成な楽器だと思っているんです」

三味線は、まだ完成していない。進化途中の楽器である。それはなかなか衝撃的な言葉でした。では、ここで、三味線の歴史を振り返ってみましょう。

 

■三味線の歴史

▲皮の表面を軽石でこすって無駄な薄皮を削る作業。

 

真一郎「三味線が生まれたのは、1500年代半ば。一番堺が栄えていた時代で、海外から色んなものが入ってきていました。三味線は、中国、琉球、堺と伝わってきた蛇味線(三線)が元になっています。蛇味線はニシキヘビの皮を使っていましたが、日本ではニシキヘビが手に入らないので、猫と犬の皮になりました。ひょっとしたら当時に色んな皮を試したかも知れませんが、今に残るのは猫と犬ですね」
――当時の堺といえば、千利休が堺近郊にあった塩穴村の皮職人に雪駄を作らせたという話がありますが、三味線が出来たのも堺に皮職人がいた事も関係あるんではないですか?
真一郎「そうだったかもしれませんが、今となってはわかりませんね」
――では、三味線とは、一体誰が作ったものなのでしょうか?
真一郎「三味線を作ったのは、石村近江検校という人物だと伝わっています。石村近江は琵琶法師で、検校とは盲官(盲人の役職) の最高位でした」
――石村ってことは、石村さんたちのご先祖なんですか!?
真一郎「いや、直接の繋がりは無いと思います。この業界は石村姓を名乗るところが多いんですよ」
――石村検校にあやかってということなんでしょうね。
隆一「当時の日本には弦楽器としては琵琶があって、三味線には蛇味線には無かった要素が琵琶から取り入れられています」
――え、なんですかそれは?
真一郎「三味線は、独特のビィインという濁った音がするでしょう。本来弦楽器であればよろしく無いんですよ」
隆一「あれは、琵琶にもあるし、インドのシタールという楽器にもあります」
――どうやってやっているんですか?
真一郎「三味線の一番太い糸、一の糸と触れるか触れないかのところに『さわり』という山があるんです。一の糸がさわりに触れることで、他の2本の糸と和音の共鳴現象が起きて、音の広がりが出るんです」
――三味線って、三線がローカライズしただけではなくて、三線と琵琶のハイブリッド楽器だったってことですね。これは知りませんでした。当時は盲人の職業として琵琶法師があったわけですから、そういうつながりで石村検校が三味線に琵琶の機構を組み込んだんでしょうね。

 

▲三味線が琵琶から取り入れた共鳴機構「さわり」。

 

恥ずかしながら「日本の弦楽器」程度の認識しかなかった三味線は、想像もしていなかった複雑な歴史や構造をもった楽器でした。この奥の深い三味線のお話、次回は和楽器店の仕事に注目します。
第2回へ続く)

つるや楽器店
住所:〒590-0954 堺市堺区大町東3丁1−6
TEL :072-232-0521
web:http://tsuruyagakki.hp4u.jp/

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