ミュージアム

岸谷勢蔵-晶子のふるさと堺の風景- レビュー(2)

堺勧業祭絵巻(部分・堺市博物館蔵)

 

千利休、そして与謝野晶子の2人をテーマにした文化観光施設さかい利晶の杜で、一人の画家の企画展が開催されました。画家の名は岸谷勢蔵。与謝野晶子の実家の斜め向いの木綿問屋に生まれ、21才年下です。
直接の交渉は無かった2人ですが、堺を去り東京で故郷堺を想い歌に詠んだ与謝野晶子の心象風景と、岸谷勢蔵の描いた風景は重なり合う……。そんな予感から、2人の芸術家の共演として企画展「岸谷勢蔵-晶子のふるさと堺の風景-」は企図されたのです。
2020年5月16日から企画展は開催され、つーる・ど・堺はお邪魔することになりました。1つ目のコーナー、岸谷勢蔵が堺の商家の年中行事を描いたパネルを紹介した前篇に引き続き、今回も学芸員の矢内一磨さんに案内していただきます。

 

■絵と短歌の共演

 

▲与謝野晶子の実家で和菓子屋の駿河屋と白砂青松で知られた浜寺海岸。

 

2つ目のコーナーは、「色紙絵と短歌でたどる堺の風景」。いよいよ、岸谷勢蔵と与謝野晶子のコラボレーションを観ることができます。
――岸谷勢蔵の色紙絵一枚に与謝野晶子の短歌一首を添えて展示しているんですね。岸谷勢蔵が、与謝野晶子の歌をテーマに描いた絵なのでしょうか?
矢内一磨(以下、矢内)「それが違うのです。この10点の色紙絵は、堺商工会議所所蔵で岸谷勢蔵が堺名所を描いたもので、与謝野晶子の歌を意識して描いたものではありません。しかし、私が絵に合う短歌を探したところ、ぴたっと合うものがすぐに見つかりました」
――それはすごいですね。やはり50m以内のご近所さんだけのことはあります。
矢内「同じ時代を生きた堺生まれの2人のアーティストにとって、重なり合う故郷の原風景だったのでしょう」
――駿河屋の絵には「海恋し潮の遠鳴りかぞへては 少女となりし父母の家」、七まち(旧市街区の北部エリア)界隈の絵には「住の江や和泉の街の七まちの 鍛冶の音きく菜の花の路」といった具合ですか。たしかにぴったりですね。
矢内「20年の年の差は大きく、2人が直接の交流をしていた様子はありませんが、堺の人にとって大切な場所は同じだったのです。岸谷が描いた第二次大戦前の堺の風景は、与謝野晶子が過ごした少女時代の堺の風景とかなり合致するように想われます」

 

▲今でも堺のシンボルの堺燈台、晶子が与謝野鉄幹と同席した浜寺寿命館、鍛冶ら職人の町七まちの町並み。

 

――現代の堺市民にとっても、いかにも堺らしい風景が多いですね。堺燈台の「ゆく春や高灯台のむらさきの 灯かげの海に細き雨ふる」。この絵の今の埋め立て地に迫られた燈台と違って、海に囲まれ船を遠景にしていて、燈台らしい燈台に描かれていていいですね。晶子やこの時代の人たちの見た燈台の風景がわかるのはいいですね。逆に今の人が見たことがない風景もありますね。吾妻橋ステーションは、もう存在しない駅ですよね。
矢内「吾妻橋ステーションは、明治21年に開業した堺で最も古い駅で、今の南海本線堺駅の前身にあたります。昭和30年に龍神駅と吾妻橋ステーションが統合されて、堺駅となりました」
――吾妻橋ステーションの歌は、「ふるさとのその停車場に歩みよる わが足音を数年なほきく」ですか。ふるさとを去った晶子にとって、鉄道は時空を超えて故郷とつながっているものだったのかもしれませんね。私たちにとっても、すでに無くなった堺の風景を見ることが出来るのは、時空を超えた旅をしているようです。

 

▲千利休が修行した堺の古刹南宗寺と、今は堺駅に統合された吾妻橋ステーション。

 

矢内「岸谷勢蔵も、自分が見聞きした事物のみを記録したのではありません。古老から堺の町の古い習俗を聞き取り、それを絵画と文筆に残したのです」
――岸谷勢蔵は取材能力の高い方ですね。このコーナーで見た岸谷勢蔵の絵は風景画の印象が強いですが、彼の絵はどちらかというと歴史資料のイメージがあります。
矢内「では次のコーナーで歴史資料として貴重な絵を見ることにしましょう」

 

■町の記録者・岸谷勢蔵

 

▲岸谷家の土蔵内部。木綿問屋岸谷家の富貴ぶりがうかがえる。

 

3つ目のコーナーは「町並みと暮しを記録する」です。正面に掲げられた大きな古民家の室内が目にとまりますが、まずはカラフルな絵巻を見ていきましょう。
――これは南蛮行列ですか!!
矢内「これは堺ではじめての南蛮行列です。昭和10年に開催された堺市勧業祭が行われ、その様子を岸谷勢蔵が9メートルを超える絵巻にしました。勧業祭を盛り上げるために、南蛮人に仮装した市民による南蛮行列が行われたのです。行列に参加している虎やラクダは、天王寺動物園から借りてきて、クジャクらしき鳥は水族館から借りてきたそうです」
――これは元祖コスプレじゃないですか? 住吉大社の御渡の時も、仮装行列をしていたし、堺市民って昔っからコスプレ好きなんじゃないですか(笑)」
矢内「そうかもしれませんね(笑)」

 

▲第一次疎開地区記録・原画(部分・堺市博物館蔵)

 

矢内「こちらは、戦争で建物が強制疎開される宿院など疎開地区の町並みを描いたものです」
――建物疎開についてはピースメモリークラブの方々が、詳細な調査をされて展示されているのを見たことがあります。堺市から依頼されて岸谷勢蔵たちが描いたんですよね?
矢内「そうです。堺では市が中心となって、疎開地区の記録を絵画・写真・聞き取りなどによって、まとめていきました。岸谷勢蔵は絵画の担当で、ここに展示している図は、岸谷が手元に残していた詳細な原図(堺市博物館蔵)で、清書本は堺市立中央図書館が所蔵しています」
――細かく書き込みがされていますね。
矢内「岸谷勢蔵の絵は、戦前の堺の姿を知るうえで、大変貴重な資料となっています。さかい利晶の杜の1階にある観光案内展示室のジオラマ模型は、この資料をもとにして製作されました」
――あのジオラマは岸谷家も再現されていますよね。岸谷勢蔵さんも喜んでいるんじゃないですか。
矢内「そうですね。岸谷勢蔵が亡くなった堺市民病院の跡地に出来たさかい利晶の杜で企画展が出来たことを、息子さんも喜んでいらっしゃいましたし、縁がありますね」

 

▲岸谷勢蔵の絵をもとに再現されたジオラマ。

 

――そして、こちらがその岸谷家の様子なんですね。堺の建て倒れといわれますが、堺の商家がどれだけ裕福だったのか良くわかりますね。それにしても、しっかりとした技術で精密に描かれているように思えます。この企画展を見ながらずっと疑問に感じていたことがあります。それは岸谷勢蔵とは一体何者なのか? ということです。彼はいわゆる職業画家ではないのですよね? 一体どこで絵の技術を学び、何で生計を立て、何をモチベーションや目的として絵を描いていたのでしょうか?
矢内「そうですね。岸谷勢蔵は職業画家ではありませんでした。与謝野晶子さんが、生活のために芸術制作をしていたのとは全く違います」

失われた堺の風景や人びとの暮しをひたすら描き続けた岸谷勢蔵とは一体何者なのか? その秘密には次回の記事で迫ることにしましょう。

 

さかい利晶の杜
堺市堺区宿院町西2丁1番1号
072-260-4386
http://www.sakai-rishonomori.com/

 

企画展「岸谷勢蔵-晶子のふるさと堺の風景-」

会場:さかい利晶の杜 企画展示室
会期:2020年5月16日(土)~6月14日(日) ※休館日5月19日(火)
開館時間:午前9時~午後6時(最終入館午後5時30分)
観覧料:一般300円、高校生200円、小学生以下100円


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