刃付け屋さん開業す 高田充晃(2)
古刹に囲まれた寺町の一角にある築65年の町家を改装して「高田ノハモノ」を開業した刃物職人の高田充晃さんにお話を伺っています。
前篇では、仕事場をみんなが集う場にしたいという思いから、友人や子どもたちと一緒になって、民家を工場へ改装した話を伺いました。後篇では、もはや世界に名が知れ渡った「堺の刃物」作りに携わる職人として、刃物の話、刃物業界の話などに話題が移ります。
■刃付け屋さんの仕事
――独立して新しい仕事場になりましたが、使い心地はいかがですか?
高田「場所も違えば、機械の違いもある。研ぐ包丁の違いもあって悩ましい所があります。最初は苦戦しましたが、半年たってある程度の流れが出来ました。今は1ヶ月の間の研げる本数をどうやって増やしていくか。どこの工程を省略したら、品質を下げることなく出来るのか。そんなところが毎日の課題です」
――ここでちょっと読者の皆さんに説明が必要かと思うのですが、高田さんは刃物職人さんの中でも、研ぎ師とか刃付け屋さんというお仕事ですよね。
高田「そうです。刃を研ぐ仕事です。研ぎ師といいますが、刃付け屋さんという言い方は好きですね」
――堺の刃物屋さんは独特の分業制になっていて、鉄を叩いて刃物の形を作る鍛冶屋さん、それを研いで刃をつける刃付け屋さん、柄を作る職人さん、柄を付ける職人さんといった風に分れています。その中で、高田さんは刃付け屋さんになるということですね。
高田「刃付け屋さんですが、柄付けはしますし、問屋的なこともします。もちろん小売もしますよ。仕事としては、今は8割~9割ぐらいが、問屋さんからの刃付けの仕事。刃付けの下請けですね。残りの1割~2割が『高田ノハモノ』としての仕事になります。この割合を5分5分に、そして逆転させたいですね」
――「高田ノハモノ」としてのお仕事って、どういう風にしてやるんですか?
高田「鍛冶屋さんから生地(きじ)を買ってきて、僕が刃付けをして、買ってきた柄を付けて売ります。鍛冶屋さんによって、扱っている生地は違うので、この生地やったらこの鍛冶屋さんとなります」
――鍛冶屋さんが作るものを生地って言うんですね。生地は何が違ってくるんでしょうか?
高田「使っている鋼材が違いますね。両刃か片刃か、形状、厚み、材料、流儀も違います。これが欲しいんやったら、この人に頼むという感じです。それぞれが専門があります。違う生地をお願いしても、それなら別の人に頼んでくださいとなります。僕も刃付け屋として両刃の洋包丁が専門です」
――そこまで分業がされているのですね。堺というのは、まるで町全体が一つの工場のようですね。そんな中で「高田ノハモノ」の特徴、ウリとはどんなものでしょうか?
高田「いい質問だね(笑) 自分で言うのって難しいなぁ。まず、両刃の研ぎでは1番のものを作りたい。そう思って研いできた。研がれ方の美しさは、ライン、形状の美しさでもある。見た目の美しさは使い方や切れ味にも関わってくる。僕は自信をもって、お客様に渡せる製品作りをしている。自分自身では自分は1番だと思っているよ。もちろん、いつも100点はとれないけれど、日々精進だね」
――高田さんは、パッケージにまでこだわりますよね。
高田「箱やパッケージも喜んでもらえるものを提供していきたいと思っている。この箱は、京都の組紐屋さんで使っているのを見て気に入りました。どこの箱屋さんか調べてお願いすることにしました。この箱の角の仕上げが美しいし、紙も角度を変えると模様が浮き上がって見えるでしょ。それを2種類。ほら、箱を開ける時も、ワクワクする感じを味わって欲しい。わかってくれるかな?」
――この箱捨てられないですね。
高田「でしょう。僕は箱フェチだから、捨てずに何かに使ってもらえる箱にしようと思って、ロゴも脇の方に目立たないように入れるだけにしたんだ」
――箱フェスならではのこだわり。至れり尽くせりですね(笑)
■世界に堺の市場が生まれた
――堺の刃物作りは分業制という話をお聞きしましたけれど、現在堺には一体何軒ぐらいの刃物屋さんがいるのですか?
高田「それは難しい質問だね。よく尋ねられるし、ちょっと確認してみるよ」
そう言って、高田さんは確認の電話をいれてから、数字をあげてくれました。
高田「組合とかに入っている所もあれば、そうでもない所もあって、正確にはわからないのだけど、鍛冶屋さんで15軒程度、刃付け屋さんで30軒程度。難しいのは、問屋さんの中には、刃付けは少ししているという所なんかもあるから」
――意外に軒数が少ないんですね。高田さんのように独立された方というのは珍しいんじゃないですか?
高田「そうだね。すごく珍しがられたよ。ここしばらく独立した人はいなかったんじゃないかって。親子でやっておられる所が、手狭になったからと別の仕事場を構えた所はあるけれど、屋号は同じだからね」
――平成最後の独立ですけど、実は平成最初の独立だったりして(笑)
高田「そうかも(笑)」
――では、今後についてはどう考えているんですか?
高田「僕はものづくりが好きだから、自分が作っていて喜べる、楽しめるものづくりをしたい。今はまさに世界中の人に作品が渡って喜んでもらえている。今も先もそれだね。自分の技術を誰かに伝えたい、後世に残したいとまでは、まだ考えられないね」
――高田さんは、お子様が3人いらっしゃいますよね。
高田「息子が3人いる。1番上は高校生で工業高校に行っていて、卒業したら働こうと思っているみたいで、こないだ奥さんと就職できるかな? みたいな話をしてたんだ。奥さんは、就職が無理だったら、ここで働けばいいなんて言っていたんですが、僕はそれだダメだって言ったんです。まずは社会に出てもまれないと、ろくな大人にならない。他所で何年か働いて、それでも刃物職人になりたいというのなら、『高田ノハモノ』に来れば良い」
――なかなか厳しいですね。
高田「うちもまだ余裕がないですしね」
――一方で、先ほども海外の話をされていましたが、堺の刃物業界自体は景気が良くて忙しいのではないですか? 包丁を買いに来られる海外のお客様の姿をよく見ます。
高田「そうですね。海外の需要は上がってきています。僕はもう包丁ブームではなく、市場が形成されたと思います」
――もう一過性の物ではないということですね。
高田「これまでのアメリカ、ヨーロッパのお客様だったのが、中国やカナダ、メキシコに、ヨーロッパでも北欧や他の地域から注目されています。他の国では真似できない日本の刃物が認知されていっているのだと思います」
――ちょっと繰り返しになりますが、そんな日本の中でも堺の分業制は他にない特徴なのではないですか?
高田「そうですね。ないですね。他の町でも、鍛冶しかしない人、刃付けしかしない人が例外的にいるというのはありますが、堺のように分業制度になっている所はないでしょう。先日、東京の合羽橋で刃物の小売をしているお店にお願いして店頭に1日立たせてもらったんです。すごく勉強になりました。僕の包丁を置かせてもらっていて、向こうの人も気を遣ってくれて、こちらがお薦めですよと言ってくれるんです。8割は海外のお客様で、どんなニーズがあるのか直接聞くことが出来て良かったです。その日、売れたうちの1本は若い男の子とお母さんが一緒に買いに来てくれていて、お店の人が丁度、この包丁を作った職人さんが来てますと紹介してくれたら、驚かれて、ぜひにとお話することができました」
――お客様にとってもめったにない機会ですものね。どんな話を?
高田「その男の子はこれからカナダに行って料理人の修行をされるということで、いい包丁を買いもとめたいとお母さんといらしていたんです。僕が包丁の説明をして、鍛冶屋さんが叩いた生地に、僕が刃を付けて、柄も職人さんが作ったものを僕が付けたんだよと言ってね、それぞれのエキスパートが作ったものが一つに合わさったものだと。そんなこと知らなかったと感動されて買って行かれました。カナダで頑張ってね。堺に来ることがあったら、ぜひ工場に遊びに来てねって言うと、ぜひ行きますと言ってくれました」
――いいですね! 高田さんの包丁で料理人になって、堺に来てほしいですね。今日はありがとうございました。
「堺の包丁」は、世界に輝くブランドになりつつありますが、鍛冶屋さんと刃付け屋さんを合わせても50軒にならないというのは驚きでした。そんな中、久しぶりに誕生した新しい刃付け屋さん「高田ノハモノ」は、たしかな技術にこだわりの美意識を備えた新時代の刃物屋さんといえるのではないでしょうか。
そして、そんな刃物屋さんが、下町の町家の中にあるというのも、また「刃物のまち 堺」らしさを感じさせます。新しい伝統としてずっと受け継がれていってほしいですね。
高田ノハモノ
堺市堺区神明町東2丁3−11
電話: 080-6899-0765
web:http://www.takadanohamono.com/