SHOP

駄菓子のワンダーランド 「河中堂」

kawanakadou00_face00.jpg
▲3代目(戦争前後で代表がかぶっているので「3.5代目かも?」)の河中一朗さん。デザインの仕事をされる前は、技術者として半導体を作っていたそうです。
ひなびた下町にはまだ残っているでしょうか、子供たちの集まる駄菓子屋が。名物のおっちゃんやおばちゃんがいて、10円、20円を握りしめて買った駄菓子。不思議に何よりも美味しく感じたあの味。
三国ケ丘駅からほど近い梅北町にある「河中堂」さんは、戦中創業の老舗の駄菓子卸しのお店です。三代目になる河中一朗さんにお話を伺いました。
■駄菓子のワンダーランド
ピンク、赤、黄色にコバルト、スカイブルーの色とりどり。目に飛び込んできたのは蛍光色のカラフルな駄菓子のパッケージで、宝の山のように積まれています。
「ごちゃごちゃしているでしょ。綺麗にしてスーパーみたいになるとまた違うと思って。お客様からも『また場所が変わった!』なんて言われるんですけど、探しだし発掘する楽しみがあるでしょ」
河中さんが言うとおり、フロアの棚に所狭しと並べられた駄菓子の数々は、目的のものを見つけるのは大変そうですが、秘密の迷路を前にしたようなワクワク感があります。
さっそくお子様連れのお客様が入店され、お目当てのお菓子を探してお菓子の迷宮へと消えていきます。
kawanakadou01_shop01.jpg
▲所狭しと並べられた”駄菓子”、”駄菓子”、”駄菓子”!!
「一般売りを始めたのは3年前です。ホームページを作ってインターネットに商品情報を載せ始めたら、一般のお客様から『実際に見てみたいので、直接行ってもいいですか?』と問い合わせがあったのがきっかけです」
河中さんは、小売りスペースにこだわりました。
「空間、時間を楽しく面白くしたいんです。はやっているお菓子というより面白いお菓子にこだわって、どう喜んでもらおうかと考えています」
実はホームページを作った河中さんが家業を継いだのは4年前で、それまでは広告やデザインの仕事をしていました。ホームページを作ったり、他にないお菓子の詰め合わせセットを作りプロモーションするのはお手の物です。
しかし、「楽しさ」を優先するのは、河中さんが始めたことではありません。先代、先々代と創業の時より受け継がれた企業の伝統なのです。
■焼け跡の子供たちに夢と楽しさを伝えたい
先々代は、戦時中に木のおもちゃの製造販売をしていました。
「戦争で鉄の供出があったので、木のおもちゃが人気で爆発的に売れたそうです。しかし先々代が兵隊に行って帰ってきた時には、木のおもちゃのブームはすっかり終わっていたんです」
戦争は終わったものの日本全国の都市は焼野原になりました。そんな中、「河中堂」は安価なチョコレートの販売をはじめました。
「『ギブミーチョコレート!!』そう言って子供達が米兵のチョコレートに群がった時代です。おもちゃもお菓子も『子供達に対して夢や楽しさを伝える』という企業コンセプトにぴったり合ってました」
kawanakadou02_dagashi02.jpg
▲舐めると色が変わる仕掛けが楽しい「迷探偵キャンディー」。

 

その後「河中堂」は、広く大阪・堺の駄菓子屋さんにお菓子の卸しをするようになります。大阪・堺で子供時代を過ごした方は、知らないうちに「河中堂」の卸したお菓子を食べていたかもしれませんね。
しかし、駄菓子屋の数は減っているのでは?
「地域の子供が減っているという状況や、店主の高齢化もあって店を閉められた所もあります。しかし一方で代継されたり、中には定年退職された後で子供と触れあいたいと駄菓子屋を始めた方も何人もおられます」
そんな風に人を引き付ける、駄菓子屋には他の仕事にはない魅力があるのかもしれません。
「子供たちは、駄菓子屋でお小遣いをどう使うか、お金の勉強をしたものですよね。僕も昔はこんな安い値段で誰が作っていたのか気にしていませんでした。今にしてわかるんですが、あの時のあの気持ち。懐かしさってお金には代えられないと思うんです」
お金に代えられないものを伝えていきたいと「河中堂」はお菓子にかかわってきました。
「お金に代えられないものを根本にいる子供たちに伝えてきたい。50円とか20円の駄菓子は子供に近い存在です。ものがいっぱい溢れている時代だからこそ伝えていきたいし、面白い楽しいじゃないと伝わらないでしょう。お菓子を媒介にして、親から子へ、子から孫へと伝えていきたい。それは僕が先代、先々代からお菓子のことを伝えられたようにです」
kawanakadou02_dagashi03.jpg
▲昔なつかしい「カタヌキ」。親子でチャレンジなんてどうですか?

 

■堺はお菓子のメッカ
他業種から転職したての頃は、河中さんはお菓子のことを何も知らなかったといいます。しかし、先々代から色んな話を聞かされたのだそうです。
「『あたり前田のクラッカーと藤田まことがCMをしていてな』とか、僕も大好きな『都こんぶ』は昔『ゴールドコンブ』という商品を発売してなんばにネオンサインを出していたとか」
kawanakadou03_dagashi04.jpg
▲「堺懐かし銘菓詰め合わせ」に封入されているのは、前田のクラッカー/日清シスコのココナッツサブレ/中野の都こんぶ/フルタのハイエイトチョコレート 。全て堺のお菓子です。

 

あまり知られていないようですが「前田のクラッカー」も「都こんぶ」も実は堺のお菓子メーカー。全国的に知られた息の長いお菓子なのに、地元の認知が低いのは残念なことです。河中さんは、堺の懐かしいお菓子を集めた詰め合わせのセットを作りました。
「この堺の詰め合わせセットは、シニア世代に受けました。シニアの方が孫にあげると喜んでもらえるんです」
まさに河中さんが聞いたように、お菓子を通じて堺の懐かしい話を孫に語って聞かせたのでしょう。
kawanakadou03_dagashi05.jpg
▲昔お土産に適したものが中々ないと言われるのが堺で、日持ちのするお菓子ならお土産に悪くありません。「ビスケットに印字できる技術があって、千利休の肖像画が印刷されたビスケットを作ったんです。これは伝統産業会館などでも評判が良かったです」

 

河中さんの目標は、お菓子を通じてもっと大阪や堺のことを知ってもらうこと。
「お菓子メーカーは多いですから、各企業を食でつなげるようなことがしたいですね」
また、一般のお客様向けに小売りを始めたことも地域に対する意識を変えました。
「店を開けたことで、町が賑やかになりました。もっと梅北町という町も賑やかにしていきたいですね。すぐ近くに『三喜屋珈』さんもあるので、一緒に盛り上げていけたらなと思います」
kawanakadou04_face02.jpg
▲企業コンセプトを受け継ぎ発展させてきた河中さん。
「河中堂」に行けば、大人になった私たちはお菓子の大人買いだって出来ますが、硬貨を握りしめて向かうのはいかがでしょうか。自ら童心にかえるもよし、子供や孫と一緒に駄菓子選びに熱中するのもよし。”お金には代えられない”何かを、駄菓子の世界で堪能してください。

 

kawanakadou04_shop02.jpg
▲店先から楽しげな「河中堂」さんへぜひ一度足をお運びください。
河中堂
堺市北区百舌鳥梅北町2丁58-1
TEL.072-259-5551
FAX.072-259-7689

灯台守かえる

関連記事

Remodal

Remodalテスト

Write something.


PAGETOP

remodal