堺市博物館の企画展、堺緞通技術保存協会(以下、技術保存協会)と取材を重ねてきた『織りなす人々』シリーズ。今回は、おそらく「つーる・ど・堺」史上最も入り難い場所。緞通の技術が最も多くの人々に継承され続けている大阪刑務所を訪ねました。お話を聞かせていただいたのは、受刑者に緞通の技術を教える技官の眞野さんです。
「緞通の最後の名職人である辻林峯太郎さんが亡くなり、技術の継承が問題になったときに、技術保存協会と私の前任者の間で話があって、受刑者の作業に緞通を取り入れることになったと聞いています」
今から20年も前の話です。技術を保持していた2人の主婦が2週間通い詰め、その後半年間は定期的に教えにきました。男性向けの刑務所ですから、女性の先生には刑務官もつきっきりで気を遣ったそうです。
「私も産業振興センターに習いに行きましたが、今は古株の受刑者が新しい人に教えるという形で技術を伝承しています」
累犯で比較的刑期の長い受刑者が多い大阪刑務所だから、制作期間が月単位と長い緞通の作業に対応できたのです。
そして、技術を継承するだけでなく緞通は想像以上の効果をもたらしたのでした。
■堺緞通の革命的効果
「刑務所の作業は受刑者の人間形成という側面も大きく、緞通の作業は忍耐力を養うのに良いだろうと考えていましたが実際驚くべき効果でした」
緞通の作業に取組むことで、粗暴な性格だった受刑者が落ち着き、トラブルを起こさなくなったのです。
「受刑者が刑務所内のルールを破ったり、人間関係の諍いを起こす事がありますが、緞通に取り組んだ受刑者は際だった比率でトラブルを起こさなくなるんです。ある者は長年に渡ってトラブルゼロ。これはすごいことだと思います。一般の方だって、何年間も交通違反ひとつ起こさずにすごすのは簡単ではないでしょう」
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▲作業は一日8時間。美しい作品を作る緞通の作業は受刑者からも人気なのですが、向き不向きがあって誰もが続けられるわけではないそうです。 |
なぜ緞通には際立った効果があるのでしょうか?
「受刑者は何かを成し遂げたという経験を持ったことがない者が多いんです。また、緞通は同じ図柄でも同じものにはなりません。人それぞれの個性が出て別の作品になるんです。自分自身の作品を作る喜び、成し遂げる達成感を初めて知ることによる人格形成の効果はとても高いのです」
責任感が養われ、心のコントロールが出来るようになり、感情的になる前に自分でブレーキがかけられるようになるのだと眞野さんたちは考えています。
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▲ある受刑者の初作品。すみれ色の空の情景。なかなか綺麗に見えますが、良く見るとラインがガタガタです。 |
■堺緞通にも革命が起きた
実際の作業も見せていただきました。
現在10台ある織機に対して6名が緞通の作業に取り組んでいます。
伝統産業会館の実演で見せていただいたのと同じように、縦糸にパイルを結びつけては鋏で切り、一列揃うと上から横木で押さえつけ糸を詰めます。
しかし、記録映像や実演で見なかった作業が突然はじまりました。細い棒を取り出し、その先で切ったパイルを細かく整えています。
「棒で毛先を整えて微調整しているんです。技術保存協会から習ったのではなく独自に工夫してやりはじめたんです」
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▲蝶が舞う鮮やかな作品。高いセンスを感じます。 |
▲使う糸を短く切って小分けにして手元においています。これも刑務所でのオリジナルのやり方。 |
独自の工夫はそれだけではありません。
お手本となる図柄には方眼紙のようにマス目がひかれています。
「図柄のマス目1マスが3.8mmで、4本の糸を束ねて使いくるりと縦糸に回して折り返し倍の8本の糸になります。本来は4本を同じ色の糸でするのですが、これを彼らは一本一本違う糸でやるんです。それによって、非常に緻密な表現ができるようになったんです」
写真とみまごうばかりの秘密はこれでした。画素数が一気に八倍になったようなものですから、繊細な図柄も描けるのです。
堺緞通はこれまで明治・昭和と巨大な開孔板綜絖や手鋏の使用など大量生産や高速化の工夫を経て、平成に入り表現方法においても革命的な進化をなし遂げたのです。
「もちろん時間はとてつもなくかかります。鍋島緞通で1ヶ月かかる大きさのものが、半年か8ヶ月もかかるんです。とても商業ベースではできません」
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▲細かな設計図になっているお手本。受刑者によっては斜めのラインの長さを細かく計測した図を作ったりしていました。 |
▲糸一本単位で細かく線画しているのがよくわかります。 |
そして同じ図柄をお手本にしても、同じ作品にならないのは、お手本の図柄の色をどの色の糸で表現するかはその人に委ねられているからです。
「お国柄や個性というのは作品に現れますね。日本人の作品はどちらかというと淡い色で表現しますが、アジア系だと色使いが派手になったり、仕上がった作品はまるで別物になりますね」
これまで作られた緞通の中でもことのほか見事な秋の紅葉のお寺の情景。同じ図柄のものを別の受刑者が織っている最中でしたが、途中の段階ですでに随分印象が違います。
「今織っている者の方が繊細で、賞を取った者の方が荒々しいんですが、その粗雑な感じがかえって芸術性の高い作品になったように思いますね」
■受刑者のこだわりに技官も突き動かされ
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▲受刑者の作品の展覧会・矯正展で、最高の賞である法務大臣賞を平成22年に受賞しました。 |
堺緞通は矯正展での受賞の常連となり、「緞通は出来が良くて当然」と高いハードルを課せられるまでになりました。
「人前に出すものだからと、受刑者も作品に妥協せず、完成度にすごいこだわりを見せるようになります」
大仙古墳周辺の航空写真を緞通にした作品を織り上げる際には、現地調査を依頼しました。
「実物を知ると知らないでは、作品に大きな影響を与えるんです。写真では緑色に見える部分が芝生なのか生垣なのか、建物や壁の材質が実際は何なのかを知りたい。でも、彼らは現地を見に行くことが出来ませんから、代わりに現地を見に行ったこともあります。」
製作者がこだわるだけでなく、技官も手を抜きません。
「もちろんです。受刑者が妥協していないのに、我々が妥協するわけにはいきませんから」
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▲受賞した作品とその元になった写真をお手本に、別の受刑者が作品作りに挑みます。 |
▲賞を受賞した作者より繊細な表現ですが、その分インパクトにかけるかも? とのこと。 |
こだわり抜いて作った作品ですから、作品の評価は気になって当然です。
「緞通を買っていただいたお客様からお手紙が来ることがあるんですが、そのお手紙に書かれたことをかいつまんで伝えるんです。製作者にとって一番関心があるのがそうした声なんです」
お手紙には、「末永く使って楽しみます」「家宝にします」「本当に素敵な作品をありがとうございました」といった喜びの声が寄せられていました。
■地域の理解を得て
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▲刑務所内には29の工場があり、最大時は100近い業者の作業を請け負っていました。 |
日本全国の都道府県に少なくとも一つは刑務所があるのですが、大阪刑務所は東京の府中刑務所と並んで大きな刑務所です。
「木工や金属加工、洋裁や雑工などの作業を行っています。民間の業者から委託されて作っている製品も数多くあります」
こうした製品の一部は、大阪刑務所近くの販売所でも購入することができます。
販売所には、安くて質のいい製品が多いと近隣の住人にはファンも多いとか。
ただ、刑務所は営業活動を派手にして存在をアピールする施設ではありません。
「刑務所は特殊な施設ですから、地域貢献というのは馴染みませんが、地域の理解を得たいと思います」
と刑務官の言葉。
消失の危機にあった堺緞通が刑務所の中で伝承されるだけでなく、表現技法としても大きな進化を遂げていたこと、そして受刑者の人間形成に大きな役割を果たしていたことは驚きでした。
ひょうたんから駒的な思わぬ福音ではありましたが、堺緞通がこれからも多くの人を喜ばせたり発展していくことを願います。
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