■ウナギと縁のある家系
堺駅前の『鰻や 竹うち』の代表取締役・竹内一二さんとウナギの関わりは、ご先祖さまにさかのぼります。
「高松の竹内一族が発祥です。高松のため池の2/3ぐらいは竹内一族のものなんだそうです。今でも水利権があってウナギの養殖や淡水魚の組合に携わっています」
兄弟の多かった祖父は奥さんと一緒に大阪の中央市場の淡水魚を扱う会社に就職し、その後『竹内商店』となるお店を作り独立します。
「父の代には堺東の駅前、ジョルノ専門店街が出来る前の公設市場に川魚を調理して売るお店を出していました。その頃は、ここの堺駅前のお店は、自宅兼問屋だったんです」
当時から、くみ上げた地下水でウナギを生かす場所として使われていました。竹内さんは、環濠の目の前の自宅で少年時代を過ごしました。
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▲旧堺港に続く環濠脇にある『鰻や 竹うち』。お手頃な限定ランチもおすすめです。 |
▲地下水をくみ上げ仕入れたウナギを籠で生かし、この建場で調理します。 |
かつては美しい環濠で泳ぐこともできたといいます。しかし、竹内さんの少年時代は臨海工業地帯で出来た高度成長時代。海はヘドロの海に代わり、環濠も悪臭を放ち、中学校は大気汚染のため窓を閉め切りました。
「幼稚園の頃は、堺の漁師さんが獲れたウナギを籠一杯にいれてよく持ってきたものです。しかし、環境が悪化するにしたがって、淀川・大和川のウナギも油まみれでとても扱える質ではなくなったんです」
質の悪い天然ウナギは安く買いたたかれ、竹内さんが高校生になるころには、『竹うち』の扉に漁師さんは現れなくなりました。
時代は養殖ウナギの時代になります。
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▲『竹うち』で使い続けている伝統のタレ。 |
■超高級魚から大衆魚、そしてレッドリストへ
「文献を調べると、江戸時代にはウナギは超高級料理。そば一杯の10倍ぐらいの値段がしたようです」
そんな超高級魚ウナギが、スーパーで安く買えるようになったのは、養殖ウナギのおかげでした。
「ウナギは『作るもの』になったんです」
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▲この日は静岡産の養殖ウナギを仕入れていました。 |
ところがこの状況も大きく変わります。
「父のころからこうやれば間違いない。そう思っていた事が通用しなくなったんです。4~5年前からでしょうか、シラスウナギの漁獲量が激減しはじめたんです」
ニュースで伝えられたように、ウナギの稚魚であるシラスウナギの漁獲量は、ピーク時200トンを超えていたものが2012年には5.2トンにまで減少しました。
ウナギの養殖は、天然のシラスを育てるため、シラスが獲れなくなると養殖も不可能になります。
そして、とうとう2013年2月には、ニホンウナギは環境省レッドリスト入りしました。
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▲大阪の組合を作ることはできないかと打診された竹内さんでしたが……。 |
「業界的にも危機感が高まり、『全国蒲焼商組合連合会』を立ち上げることになったんです。しかし、東京や神奈川にはもともと蒲焼商組合があったんですが、大阪には蒲焼商の組合がそもそもなかったんです。大阪にも作ってくれないかと頼まれたのですが、これは簡単なことではありませんでした」
大阪に組合が無いのは、無いなりの理由があったのです。
■地焼きの関西風VS蒸し焼きの関東風
今から30年ほど前、全国のウナギの名店をセレクトしたフリーペーパーを作ろうとする動きがありました。大阪からも『竹うち』も含め名店が選ばれました。ところがこれが思いもかけぬ遺恨の元になったのです。
「関東ではウナギを蒸してから焼きますが、大阪ではそのまま地焼きにします。関東と関西の違いは文化の違いでした。同じフリーペーパーに載せることで、江戸風の文化が流れてきて、それが問題になったんです。
文化の争いはアイデンティティーの問題ですから、互いに簡単には譲れません。
いつしかフリーペーパー上では、関西風と関東風の論争が巻き起こり、大喧嘩になってしまったのだそうです。
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▲『竹うち』の蒲焼は、もちろん関西風。(写真提供:竹うち) |
大阪には、関西風のウナギ屋さんもあれば、関東風のものもあり混在しています。大阪で組合がなかったのは、文化的な違いや、30年前の対立が残っているからでした。
「私も関西風の方が美味しいとは思っていますが、今では食べやすい関東風の良さも認めています。ですが、簡単には一緒にやれない歴史的な重みもある」
根深い文化の違いや過去の遺恨があっても、過去のしがらみの薄い竹内さんらの世代なら、大阪での組合も出来るかもしれません。
「先日、大阪にある関東風のお店で、関西風のお店が何店舗か集まって会合したんです。これはいままでだとありえない画期的なことでした」
大阪に組合が出来るのはまだ時間がかかる、長い目で見てほしいと竹内さんは考えています。
■環境問題がライフワーク
竹内さんがこうした困難な問題に取り組むのは、今にはじまったことではありません。
「大和川の水質改善など環境問題には取り組んでいました。JC(日本青年会議所)には年齢制限のある40才まで所属していて、水関係の交流会や、大和川流域の団体が集まった大和川サミットにも参加しました」
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▲竹内さんは堺のまちづくりイベントや勉強会にも頻繁に足を運んでいます。 |
そんな竹内さんでも、うなぎが絶滅危惧種に指定され混乱しました。
「情報が錯綜し、何が本当かわからなくなったんです」
竹内さんは、世界的な権威のウナギの研究者のセミナーに出席したり、養殖に関する業界紙の購読を始めるなどして、情報収集に励みます。
「もちろん亀井先生のことは知っていました。しかし、情報を整理できていないのにお会いするのはよくないと思っていたんです。私たちはそれまでウナギを食材としてしか見ていませんでした。経済活動、いうなれば社会科学です。亀井先生は、ウナギの文化的側面で、人文科学の分野になります。私は、ウナギの生態を研究されている学者さんから自然科学の分野の知識を学ぶことで、ようやく亀井先生とお会いできる態勢が整ったと思いました」
『うなぎの食文化を守りたい』という強い思いを持ち、竹内さんの活動は手探りで一歩一歩進んでいます。
「一時は私たちもウナギは完全に終わったと思っていましたが、最近は完全養殖技術の確立もあり『完全に食べられなくなることはない』と私たちの間では認識しています。ですが『食べていいですよ』だけでは、また乱獲につながるかもしれない」
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▲ウナギ保護を訴えるポスターや冊子も作られています。 |
竹内さんらの考えるのは、三つの取り組みです。
一つは、漁業制限。稚魚のシラスウナギや卵を海に戻る親ウナギの漁獲量を制限する。これはノルウェイで漁獲量を制限したことにより、漁業資源が回復したという先例があります。
「日本でもようやく九州で漁獲量の制限がはじまります」
その一方で、養殖したウナギの卵からウナギを育てる完全養殖の実用化も必須です。
「技術的には確立しましたが、実用化はまだです。資本を投入してほしいと政府に働きかけているところです」
完全養殖が実用化すれば、一筋の希望の光が差し込みます。
「一番遅れているのが河川の環境問題でしょう。高度成長期から治水・利水一辺倒で来たつけを今支払っているんです。自然の動植物にとってもいい環境を作ることが、ウナギにとってもいい環境を作ることになると思いますね」
こうした活動をするためには、個人や企業の努力だけでは到底無理で、政府や関係省庁にも動いてもらう必要があります。
そのためにも大阪に組合を作り、影響力を高めねばなりません。
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▲竹内さんら市民の活動もあり、美しさを取り戻した環濠、大和川にも鮎が戻ってきた。しかし、道のりはまだほど遠いようです。 |
「美味しいウナギを、子供や孫の世代になっても食べてほしい」
そんなウナギ屋さんとしての想いと共に、竹内さんのモチベーションになっているのは、やはり幼いころから環濠の近くで生まれ、公害問題に直面する月洲中学校で育ったという思い出でした。
「あの経験があるから、環境問題はライフワークだと考えています」