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月森正幸 由美子 包LEATHER

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プロフィール

月森正幸
堺市美原区出身(当時は美原町)。靴修理に長年携わった後、独立。
月森由美子

兵庫県出身。神戸ものづくり職人大学で製靴を学ぶ。

 
■草や土を裸足で歩く靴
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▲おとぎ話に出てきそうな革靴『まじょん』。『包LEATHER』の商品にはユニークな名前がついています。

 

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▲『トッド』はしっかりと体重を支え長く歩くのに向いている靴です。 ▲『トッド』の色違い。『包LEATER』では色違いのカラーオーダーが出来ます。
童話の中の魔女や妖精たちが履いているような革靴が目の前にあります。
縁が自然にめくれあがる『まじょん』。カラフルな水玉柄が目をひく『トッド』。
この遊び心あふれる革靴を作っているのが『包LEATHER(ホウレザー)』の月森正幸・月森由美子さんご夫妻です。
「自分達が履きたい靴を作っています」
世の中にはおしゃれな靴や機能重視の靴と色々ありますが『履けない靴は靴じゃない』というのが『包LEATHER』の靴作りの方針。
「邪険に履いて欲しくはないですが、気兼ねなく履ける靴として扱って欲しいんです」
「靴箱にしまう前にまたすぐに履いちゃうかんじでね。よそ行きじゃなくて日常の中のとっておきの靴」
正幸さんの言葉をよどみなく由美子さんが引き継ぎます。
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▲由美子さん。職人の先生が言葉で教えてくれなかった理由が「長年積み重ねた感覚は言葉では伝えられない事があると、ようやくわかりました」 ▲正幸さん。「製靴と修理はまったく別物」。鶏ガラのようになった靴を修理するのが好きで「もとより綺麗に丈夫になるのが楽しいんです」
「日本はアスファルトだらけですけれど、草や土の上を裸足で歩いている感覚の靴を作りたいんです」
デザイン面だけでなく、機能面の制約が多いのが「靴作り」です。合わない靴を履けば足を痛めたり、時には体調を崩すかもしれません。
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▲タンニンのなめし革を使用。牛革が主で、鹿革、ラム革を使うことも。内張は豚革。
「曲がらないといけない所は曲がるように、支えないといけない所は支えるように」
平面の革を立体に組み上げ、多くのパーツごとに最適の革素材を選んで加工する独特の難しさが靴にはあります。
「モノサシを持って計算することもあれば、ハンマーを持っての力仕事もある」
文系、理系、体育系と色んな要素の作業がある製靴ですが、2人の仕事の仕方は他にはない独特のものでした。
■戦友2人の靴作り
作業の種類があまりにも多いため靴職人は役割分担するのが基本で、夫婦でコンビの靴職人は少なくありません。
しかし、月森さん達はまったく役割分担をしていません。
「作業を片方がメインで片方がサポートという形でやっていて、『ちょっと変わって』みたいな感じでスイッチすることもありますから、どちらがやってもクオリティが変わらないようにしています」
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▲2人が共同で使っている道具入れ。共有する道具もありますが、ミシンや革包丁、カッターなどは個人所有だとか。
靴のアイディアも2人がそれぞれ出しています。
まずアイディアを形にした靴を作り、それを前に話し合って新しいアイディアを加えて修正し、作り直した靴を履いてみてまた修正し……、といった作業を何回も繰り返します。
「話し合ううちに変わっていくことの方が多いんです」
「自分たちで履いてみて大丈夫だ、となって商品化するんですが、2人ともからokが出ないと商品化しません」
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▲由美子さんのミシンは製靴用ミシン。力作業になる靴を持つ手を右手にするため、普通のミシンとは逆向きになっています。 ▲正幸さんのミシンは八方ミシンという修理用ミシン。ピタッと止められるように電動ではなく手動ミシンです。

 

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▲出来上がった靴を修理できるよう八方ミシンは「送り足」の部分が自在に可動するようになっています。
対等な職人2人で喧嘩にはならないんでしょうか? と問うと、即答です。
「毎日喧嘩してますよ」
「2人とも頑固ですからねぇ。折れません」
もちろん相手の意見の方が納得できるなら認めますが、出来ないときは折れないし、無理に商品化することもしません。
「別の事をしているうちに、新しいアイディアが出てきてうまくいったりするんです」
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▲「靴職人は一人一本以上持っている」という包丁。革をそぐのにも使っていました。 ▲正幸さんはエヌティーカッター(左)。由美子さんはオルファカッター(右)で刃だけエヌティーカッターを使います。
お互いの性格も随分違います。
「たとえば広いテーブルの上全部を整理するのなら妻の方が得意。どこか一点だけを綺麗にするなら僕の方が得意」
「車を運転するのも私は毎日違う道を通ったり、たんぼ道を行ったりするのが好き。夫は目的地に向かって最短コースを毎日通る」
俯瞰するのが得意な由美子さんと、顕微鏡的な細かさのある正幸さんのコンビは、お互いに無いものを補い合っています。
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▲製靴教室を開く靴職人も多い中、製靴一筋の2人。「教えるのは別の才能ですから、私には無理」「職人の技術を覚えるのと、商売としてやっていくのはまた別ですしね」
「同じ仕事をしても互いの気づかない事が見えて2倍の発見があるんです」
「夫婦というよりは、戦友の感覚に近いですね」
そんな2人はどのようにして出会い、パートナーとなったのでしょうか。
■ルーツは京都に
正幸さんは美原区出身(当時は美原町)。高校卒業後吹田市で靴修理の仕事に携わっていました。
一方、由美子さんの出身は兵庫県の「山崎の近く」の自然豊かな地。靴屋さんで販売のアルバイトをしながら「いつか自分で靴を作る」と夢を語っていたそうです。

 

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▲『バッタくん』。履きつぶす靴ではなく、メンテナンスをしながら長くつかってもらう靴を目指し、素材もへたれにくいものを使っています。 ▲使い込んだ『トッド』(左)と同じ革を使った新品の『はっとり』(右)。今10年前販売した靴が次々メンテナンスに帰ってきているそうです。
2人が出会ったのは京都・知恩寺で行われている『手づくり市』。革小物を出品していた正幸さんのお店に、由美子さんがお客として訪れたのが出会いで、靴好きの2人は意気投合しました。

「今はすごい人出の『手づくり市』ですが、14~5年前は今の1/10ぐらいの規模で、ヒマな時は三線や太鼓を演奏したり、出展者同士でゆるーく楽しくやっていました」

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▲今でも京都はルーツだという2人。「普通、確立していない仕事に世間は冷たいものですが、京都は私たちみたいな仕事も受け入れてくれる懐の深さがありました」
そうこうするうちに由美子さんは靴作りを学んでいた『ものづくり大学』を卒業し、正幸さんも離職。
2人がヒマになったタイミングが同じだったのをきっかけに、10年前に京都の町屋をアトリエに製靴業を始めます。

 

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▲『ポネーイ』(左)と『ぱぷちょ』(右)。ペットの大型犬に二度もかじられたお客様もいたとか。犬からみると美味しそう!? ▲鹿革を使った『ふっさ』を履かせてもらいました。柔らかく軽くて、もふもふした履き心地。
メーカーに勤めたり、個人の靴職人に弟子入りする気はありませんでした。
「メーカーは厳密に作業の担当が決まっていて一日中同じ工程をするんです」
「個人の職人さんも、実は役割分担があるんです。靴の底(ソール)を作る『底付師』と、上の部分(アッパー)を作る『甲革師』に分かれています。弟子入りするとそれぞれの作業しか出来なくなる」
自分たちがデザインした自分たちの履きたい靴を全部作りたい2人にとってはどちらも選べない選択で、独立は必然だったのです。
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▲独立した時には7種類の靴をラインナップしていました。その後慌ただしく、7年間新作を作る余裕はありませんでした。
京都のメディアが『手作り市』を敏感に取り上げてくれたことも幸いし、次々と注文が舞い込みます。
「最初の半年ぐらいは赤字続きでしたが、受注に困った事は無くて、ずっと靴を作りつづけていられました」
口コミのお客様も増え順調でしたが、数年後新たな転換の時を迎えます。
■子供が教えてくれた
町中にある町屋のアトリエは壁も薄く作業するには不便なものでした。
「音もするし埃もでる。夜は作業が出来ません。周囲に気兼ねして使いづらくなってきたんです」
そんな2人に喜びが訪れます。子供を授かったのです。
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▲自分たちの子供に履かせたいと作ったモカシン『ぱおんぷ』。柔らかいラム革を使っています。フリンジの下には音符のおならをしている象さんのステッチが♪
「子供を育てるなら町中よりも田舎で育てたかった。そこで故郷の堺エリアに帰ってきたんです」
実家の美原町に隣接する堺市東区に見つけたアトリエは360度を道路に囲まれ、周囲に田畑の多い理想的な場所でした。
手に入れたのは使い心地のいいアトリエだけではありません。
職人の生活は昼夜もなく、没頭すれば食事もおざなりになりがちでした。
「子育てをするうちに、夜には眠って三食をちゃんと取る規則正しい生活になったんです。ご飯が美味しい事を子供に教えてもらいました。体調もずっと良いままです」
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▲自社のロゴキャラを側面にデザインした『バッタくん』(下)と、ハイカットの『とのさまバッタくん』(上)。

 

「それまでは生活が心配でとりあえず手を動かすことで現実逃避していたんです」
しかしそんな仕事はだらだらとして集中力の欠如したものになりがちでした。
「ここ3年ぐらい、スケジュールをきっちり組み切り替えが出来るようになって、仕事の効率も随分良くなりました」
「普通のサラリーマンがすぐ出来ることに、10年かかりましたね(笑)」
今は月の20日は受注した仕事をこなし、残りの10日で新作のためにあてるというスケジュールが確立しました。
■新作への意欲が湧く10周年
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▲友人のTシャツデザイナーが描いてくれた新しいロゴ『Mr.Hou』。 ▲これまで使っていたロゴ『バッタくん』。
マイペースな生活を2人は気に入っています。
「収入は低いですけど、もともとお金にそんなにこだわりがあるわけじゃないし、ずっと靴を作り続けられたら楽しいですね」
「今年の12月で10周年になります。これをきっかけにロゴも変えて、新作も考えられたらと思っています」
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▲新作の『ヤドゥ』。つま先の空いたサンダルははじめて。サンダルは中敷きがしけないのでちょっとした工夫が。

 

今年、堺のハーベストの丘で開かれたフリーフェスティバルにも出店しました。
「(職人じゃない)ショップ系の人も出るような地元のイベントに出るのははじめてだったんです」
「地元の人たちと知り合えるきっかけになり嬉しかったです」
堺に来てからは、家と保育園とアトリエの3箇所を回るだけの生活でしたが、ようやく地域にも目が向き始めました。
「地域を盛り上げることにも参加していきたいですね」
独立して10年、堺へ来て6年。
戦友2人の生活も、第3章に入ろうとしているのかもしれません。
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▲南海高野線『萩原天神』駅から徒歩10分ほどのアトリエ。

 

堺市東区高松98-1
TEL/FAX 072-320-8798

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