連載第13回 舞姫 3
新連載・石田郁代著
舞ごろも(1916年刊)
文/写真 石田郁代
友禅(友禅)をなつかしむこと限りなし春が来るため京思ふため
上揚の歌は、歌集『舞ごろも』に収載の一首。『舞ごろも』は晶子の第14番目の歌集で東京天弦書房より、1916年(大正5)に出版された。詩が58篇、短歌172首の詩歌集でもある。
装幀は樋口五葉。275頁の紙装。晶子38歳の作品である。家には10人の子どもたちがいて、子育てまっ最中、執筆はねじり鉢巻、懸命に働く肝っ玉母さん…がイメージされる詩歌が散見する歌集だ。
歌集の題名が<舞ごろも>だから、みだれ髪や舞姫のように、舞妓がみやびやかに身をまとう舞衣を想像して、歌集の頁を繰ると、その期待は裏切られる。舞姫が一首も詠まれていない。
トップページの歌碑の歌は、大正5年1月1日大阪毎日新聞に「春の歌」と題して掲載された歌碑の一首。繁忙な師走のひととき、ふと筆を休め懐かしく京都を思い浮かべて詠んだのであろうか? 作歌「春の歌」は生活が偲ばれる首もあるが、新春にふさわしい歌を選んでいる。その2首。
正月に紅(くれない)の帯負はぬこと 少し恨めど歌などを書く
ささやかに雲立ちのぼる少女子の羽子(はご)の板より雲立ちのぼる
歌集には、題名を説明するような自序がある。
自序・『舞ごろも』の初めに
(前略)わたくしの生活はわたくしの命の焔の舞です。わたくしはこのみずからの命の悲痛、激動、愛執、驚喜の舞のために、耻を越えて無い袖をも振らねばなりません。わたくしは斯うして舞ひながら、兎にも角にも人生解放の公に馳せ参じる一人の新しい踊子でありたいと思って居ります。
千九百十六年五月
與謝野晶子
『定本与謝野晶子全集』第三巻260頁)
身の中にアマリリスより紅き花咲かせて
二人見るとしぞ思ふ 『舞ごろも』
上記の歌のように、往年の晶子を思わす恋の歌も収載される歌集『舞ごろも』であるが、詩篇(58篇)中の一篇を下記に紹介する。拙稿をアクセス下さった皆さまが、この詩をお読みになって何かを感じ下されば幸いである。
駄獣の郡(だじゅうのむれ)
与謝野晶子
歌集『舞ごろも』大5.5
初出 読売新聞 大4.12.12
ああ、此国の
恐るべく且つ醜き
議會の心理を知らずして
衆議院の建物を見上ぐる勿れ。
禍(わざはひ)なるかな、
此處に入(はひ)る者は悉(ことごと)く變性す。
たとへば悪貨の多き國に入れば
大英國の金貨も
七日(なぬか)にて鑢(やすり)に削り取られ
其正しき目方を減する如く、
一たび此門を跨げば
良心と、徳と、
理性との平衡を失はずして
人は此處に在り難し。
見よ。此處は最も無智なる、
最も敗徳なる、
はた最も卑劣無作法なる
野人本位を以て
人の価値を
最も粗悪に平均する處なり。
此處に在る者は
民衆を代表せずして
私黨を樹(た)て、
人類の愛を思はずして
動物的利己を計り、
公論の代りに
私語と怒號と罵號とを交換す。
此處にして彼等の勝つは
国より正義にも、聰明にも、
大膽にも、雄辯にもあらず、
唯だ彼等互に
阿附し、模倣し、
妥協し、屈従して、
政権と黄金(わうごん)とを荷(にな)ふ
多數の駄獣と
みづからの變性するにあり。
彼等を選擧したるは誰か、
彼等を寛容しつつあるは誰か。
此国の憲法は
彼等を逐ふ力無し、
まして選擧権なき
われわれ大多数の
貧しき平民の力にては……
かくしつつ、年毎に、
われわれの正義と愛、
われわれの血と汗、
われわれの自由と幸福は
最も臭く醜き
彼等駄獣の群に
寝藁の如く踏みにじらる……
(『定本与謝野晶子全集』第十巻281頁~284頁)
かつて23歳で歌壇デビュウしたとき、晶子は『みだれ髪』で舞姫について詠み、ついで歌集『舞姫』も出版して京情緒あふれる舞姫を歌い上げた。その後34歳のときで約半年間、西欧諸国を巡歴し西洋文明を吸収した彼女は、その新しい知識を自らの文学上で花咲かせた。
もはや、舞姫を眺める晶子ではなく、自分自身が、〈舞ごろも〉をひるがえして踊る舞姫になっていた。
自序が語るように歌集『舞ごろも』は、多くの詩篇を擁した晶子の社会観を一歩高めた作品だと思う。
歌集『舞ごろも』より新春の歌を3首
正月は馬の蹄(ひづめ)の音もよし間近(まぢか)にものの本繰るもよし
正月に紅(くれない)の帯負はぬこと少し恨めど歌などを書く
都邊(みやこべ)の玉を敷くしてふ路よりも白くめでたき正月の箸(はし)
(『定本与謝野晶子全集』第三巻266~7頁)