与謝野晶子について
与謝野晶子の処女歌集『みだれ髪』に収められた、あまりにも有名な一首である。
現代においてこそ、女性の自立、女性の主張も市民権を得、当然のことであるが、明治34年の世に、女性の立場で艶麗な官能、奔放な情感をうたいあげたこの浪漫的な歌集は非常にセンセーショナルなものであった。
与謝野晶子は明治11年(1878年)大阪堺市の老舗の羊かん屋の3女として生まれた。
堺女学校を卒業、女学校時代から文学、-特に日本文学に親しみ家事を手伝い、帳場に坐りながら寸暇をさいて『源氏物語』などをひもといた。
明治34年、来阪した与謝野鉄幹と出合って、新詩社に加わり、翌年には鉄幹との結婚のため家を捨てる等、私生活に於ける彼女の生き方も作品と同じく情熱的であった。
才能豊かであった彼女は明星派の中心的歌人として浪漫的夢幻的作品を数多く発表し近代短歌に影響を与えたほか、日露戦争の熱狂のなかで女性の立場から否戦の感情を表わした詩「君死にたもうことなかれ」を発表、晩年には現代語訳「新々訳源氏物語」を残す等、教育事業にも携わった。
一方、家庭では11人の子の母、鉄幹の妻として大正、昭和の動乱期を生き抜いた。
昭和17年(1942年)鉄幹におくれること7年、64歳で華やかにも美しい浪漫詩人の生涯を終えた。
この与謝野晶子の歌の世界をより親しみやすく、
楽しもうという試みとして「与謝野晶子 百首かるた」を制作いたしました。
抒情歌人晶子の人生の四季を知るよすがとして、是非あなたのお手元に。