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岸谷勢蔵-晶子のふるさと堺の風景- レビュー(1)

 

画家岸谷勢蔵は、全国的に名の知られた画家ではありませんが、堺に住んでいる限り、名は知らずともどこかで彼の絵を見たことはあるのではないでしょうか。岸谷勢蔵は、戦前戦後の堺の風景や暮しをひたすら描き続けてきた画家で、堺の歴史を振り返る時、その作品が使われることは少なくありません。

そんな岸谷勢蔵を取り上げた企画展「岸谷勢蔵-晶子のふるさと堺の風景-」が、新型コロナウイルス感染対策の影響で休館していた「さかい利晶の杜」が5月16日に再オープンして最初の企画展として開催されています(6月14日まで)。この企画展で明らかにされた岸谷勢蔵の魅力についてレポートします。

 

■与謝野晶子の「原風景」を描いた画家

 

▲エントランスにあるジオラマ。手前は今さかい利晶の杜になっている堺市民病院。画面奥には岸谷家がある。

 

環濠に囲まれた堺旧市街エリア。江戸時代に再建された近世以降の堺の中心地は、長らく宿院周辺でした。阪堺電車の宿院電停から徒歩1分程度の距離にあるさかい利晶の杜のエントランスには、戦前の宿院界隈のジオラマが設置されています。この頃は、さかい利晶の杜の位置には、堺市民病院がありました。このジオラマの範囲内で生まれ育った有名人といえば、もちろん館のテーマにもなっている千利休と与謝野晶子の2人。さらには近年注目を集めているアサヒビールの創始者鳥井駒吉、ジオラマの範囲をやや外れて女流画家の島成園などもあげられるでしょう。

実は今回の企画展の主役である岸谷勢蔵もその一人です。

今回も企画展の案内人をお願いした堺の名物学芸員矢内一磨さんによると、

矢内一磨(以下、矢内)「与謝野晶子と千利休は300m圏内のご近所さんと言ってるのですが、岸谷勢蔵の生家はもっと近くて、与謝野晶子と50m圏内のご近所さんと言えます。岸谷家は大町東1丁にある木綿問屋で、今の大阪信用金庫のお隣にあったと思います。晶子の実家の駿河屋の斜め向いの位置関係です」

――さかい利晶の杜からも目と鼻の先ですね。

矢内「それだけではありません。今年は岸谷勢蔵没後40年なのですが、亡くなったのは当時この場所にあった堺市民病院なのです。だから岸谷勢蔵の息子さんが、この企画展のことを非常に喜んでくれました」

――びっくりする縁ですね。まさに亡くなった場所で企画展が開催されるなんて。では、この企画展のテーマや狙いはどういうものなのでしょうか?

 

▲2階の企画展示室に岸谷勢蔵作品が集まりました。

 

矢内「岸谷勢蔵は与謝野晶子より21才年下になります。直接交渉は無かったようですが、堺から出た晶子が東京で懐かしんだ風景を、岸谷勢蔵は描いています。晶子が歌で詠んだ心象風景と、岸谷が絵で描いた風景は重なっていると言えます。また、岸谷勢蔵の作品は、これまでも堺市博物館の企画展などで使われてきました。この企画展は決して大きな展覧会ではありませんが、岸谷勢蔵の作品23点と、まとまった数の作品を展示することができました」

――確かに私も岸谷勢蔵の絵を使った展示はよく見てきましたが、岸谷勢蔵の作品をテーマにした展示を見るのははじめてかもしれませんね。

矢内「では、展示をご案内しましょう」

 

 

■堺の暮しを後世に遺す

 

▲岸谷勢蔵のパネル展示と、解説の学芸員矢内一磨さん。

 

最初のコーナーは壁一面を使ったパネル展示です。

矢内「岸谷勢蔵は、堺の商家の1年の行事や日常の暮しを丁寧に絵にしていました。たとえば、1月の正月三が日には雑煮を番頭さんが炊きました。雑煮のお餅の中にお金を入れておいて、それにあたった人をみんなではやし立てるということをしたそうです。また、三が日の朝の挨拶は「お早う」と言わずに「いねおあげ」と言った。元旦には、一列に並んだ家族に対して、上席番頭が「大福にお祝い申し上げましょう」と大声で祝辞を述べる。ちなみに晶子の歌には一番頭という言葉が出てきますが、これは上席番頭の事のようです」

――番頭さんが大活躍というのも、商家ならではですね。岸谷家と晶子の実家の駿河屋ではどちらが商家としては大きかったんですか?

矢内「それは、岸谷家の方が規模が大きいと思われます。木綿問屋でしたからね」

――駿河屋は和菓子屋さんですものね。

 

▲2月に行う不思議な行事「成木責」。

 

矢内「続いて、2月も面白いですよ。庭にある実の成る木の幹の皮を少しむいて、小豆を入れて「なるかならんか」と言うと、周囲の子どもたちが「なります、なります」と唱和するなりきぜめという行事を紹介しています」

――なりきぜめとはどういう字を書くのでしょうか?

矢内「成る木に責めるで、成木責と書きます」

――木を責めて実を成らせるための呪術的な儀式みたいですね。これは堺だけの習慣ですか?

矢内「いえ、堺だけでなく広く行われていたようです。3月はひなまつりに、4月には浜遊びや、母の里へ桜鯛を贈る習慣があったとか」

――桜鯛の話は、上の世代の時にはあったとききました。春になると桜鯛の群れが海で島のように盛り上がるのを魚島と呼んで、桜鯛をご近所に配る習慣があったそうです。

矢内「それははじめて聞きました。桜鯛に関しては、江戸時代に堺奉行が徳川家康に贈ったという記録が残っています」

――堺では古くからの習慣だったんですね。

矢内「5月の菖蒲湯、6月には梅を干す。7月の住吉大社のお祭りの時には、今も祇園祭の時にやりますが、屏風を出してきて、屏風祭りをしたんですね」

――豪商が自慢の屏風を披露したんですね。

矢内「8月はお盆や、夏の大掃除。9月は八朔におはぎを食べる。10月は月見。11月にはお米を買って、12月には大根を干して漬物を作る。お餅つきには、ちんつきさんといって、もちつきをする人を日雇いで雇ったんです」

――年末限定の日雇い仕事ですね。こうして見ると今に残る行事や習慣もありますが、まったく無くなってしまったものも少なくないですね。生活様式が激変してしまったので仕方が無い面も多いですが。

 

▲12月にはお餅つきで、ちんつきさんを雇う。

 

矢内「すでに無くなってしまった日用品や日頃の生活習慣についても描いてますよ。手持ちの灯りで、動かしてもろうそくが水平を保つがんとう。食事をする時は、家が大きいですから、拍子木で合図をしたとか」

――それにしても、岸谷勢蔵の絵は人間描写が簡潔ですが活き活きとしていて魅力的です。

矢内「それは、私もいままで気づかなかったことです。岸谷勢蔵の絵といえば風景画ばかりに注目していましたから。今回他の職員や一般の方から、人物が可愛いという感想を聞かされて、その戯画的な魅力に気づきました」

 

▲昔の懐中電灯といえるがんとう。

 

明らかに壁に飾って鑑賞するための絵とは違う目的で描かれた岸谷勢蔵の絵の数々。こうして岸谷勢蔵のこれまでにあまり知られていなかった絵の魅力について気づかされると、今度は岸谷勢蔵がどのようにこの絵の技術やセンスを磨いたのか、そして何を目的に描いたのかが気になってきます。

 

次回の記事では、矢内さん渾身の岸谷勢蔵と与謝野晶子のコラボレーション展示を紹介します。矢内さんの解説を聞きながら、画家岸谷勢蔵の謎に迫っていくことにしましょう。

 

 

さかい利晶の杜
堺市堺区宿院町西2丁1番1号
072-260-4386
http://www.sakai-rishonomori.com/

 

企画展「岸谷勢蔵-晶子のふるさと堺の風景-」

会場:さかい利晶の杜 企画展示室
会期:2020年5月16日(土)~6月14日(日) ※休館日5月19日(火)
開館時間:午前9時~午後6時(最終入館午後5時30分)
観覧料:一般300円、高校生200円、小学生以下100円

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