ミュージアム

リニューアル! シマノ自転車博物館(2)

▲世界選手権大会で優勝した5人用競争自転車(1897年/オランダ)。

 

第一回記事

堺東に誕生したシマノ自転車博物館。
前身である自転車博物館サイクルセンターのオープンから30年、2022年3月にリニューアルオープンした新築五階建ての最新博物館は「ノイズレス」というコンセプトで、余計な解説パネルなどは極力はぶかれ、展示されている自転車の存在を際立たせるように配慮されています。それは博物館でありながら美術館のような趣が感じられるものでした。
前回の記事では、シマノ自転車博物館のアドバイザーの神保正彦さんの案内で、メインフロアの歴史ゾーンで黎明期の自転車たちを観てきました。19世紀のドイツで誕生した自転車の原型ドライジーネからペダルがつき、さらに速さをもとめるあまり前輪を巨大化させ安全性に問題のある発展をしてしまった自転車。自転車発明家たちは、一体どうやってこの問題を乗り越えたのでしょうか?

 

 

■自転車を安全な乗り物に

▲ほとんど現在の自転車と変わらないジョン・ケンプ・スターレーによるセーフティ型(1889年/イギリス)の自転車が登場。

 

神保「自転車としての一番の真打は、こちらの形になります」
――何かすごい近いですね。今の自転車に。
神保「この自転車はジョン・ケンプ・スターレーの流れを汲むセーフティ型です。前後の車輪が同じ大きさになり、前輪で方向を決め後輪を駆動して進みます。ギアとチェーンをつかってスピードが出せるようになっています。この時代の人たちは、この自転車が出てきた時に、自分たちの自転車をセーフティ型と呼んだんです」
――セーフティ型。安全な自転車ということですね。
神保「それまでの自転車が非常に危なかったから、それをオーディナリーという風に呼んで差別化したようです」
――セーフティ型が出てからオーディナリー(普通)型と呼ばれるようになったんですね。それまではどう呼ばれていたんですか?
神保「アメリカではハイホイーラー(高い車輪)と呼ばれていました。イギリスではペニーファージングと呼ばれたのですが、これは大きさの違う二つの車輪をイギリスの1ペニー硬貨とファージング(1/4ペニー)硬貨に見立てて、そう呼ばれていました」
――安全なセーフティ型が今の自転車の原型になったんですね。
神保「はい。まだ、フリーホイール(ペダルの回転を止めても車輪が回る仕組み)はなくリア古定式で、タイヤも空気が入っておらずプリミティブではありますが、基本的な形はここにいたって完成したんです」

 

▲初期の空気入りタイヤの自転車クリーブランド(1892年/アメリカ)。これと同じタイプの自転車が明治の堺の町を走っていた。

 

――19世紀末。ここまで80年ぐらいの歴史ですね。
神保「ドライス男爵が歩くよりも早く遠くへと移動の可能性を拡げることで乗り物としての運動性が課題となります。ミショー型では地面から足が離れて、体が完全に車体に乗ることで乗り心地が問題になりました。ペニーファージングで今度は安全性が問題になりました。この運動性、乗り心地、安全性の三つのファクターはすごく自転車の進化をうながしたといえるでしょう」
――三つのファクターの進化圧が自転車を乗り物として進化させたんですね。
神保「この話をね、車の関係の方がいらした時にもしたら、車も一緒ですとおっしゃってました」
――運動性、快適性、安全性はどんな乗り物にも重要な要素なんですね。
神保「運動性、乗り心地、安全性、全部にすごく貢献したのが空気入りタイヤです。空気入りタイヤは1888年にジョン・ボイド・ダンロップという人が発明したのですが、それが出てきてから自転車は、どんどん本当に広がっていきます。そうすると沢山の人が乗りますから、沢山作らなきゃいけない。はい、量産のはじまりです」

 

■規格化され大量生産へ

 

▲初期の折り畳み自転車キャプテン・ジェラール(1895年/フランス)。1分以内に畳んで背中に背負うことができた。

 

神保「この自転車はアメリカの自転車なのですが、まさに工場で沢山作られるという手配になっていて、どういうことかというとパイプのサイズとか、ポストの径、チェーンのピッチですとか、車輪の系統のほとんどが規格化されています」
――なるほど規格化されないと、大量生産できないですものね。
神保「ちょっと別の言い方をすると、自転車というのはかなり早くからモジュラーアーキテクチャー(規格化された構造)をとった製品だったということが言えます。ちなみにドライジーネは木でできてましたから、あれはすり合わせでできてますね。インテグラルなんですね。一台一台手作りなんです。だから互換性というのを発展させていくというのは、自転車の別の進化といえるかもしれないですね」
――規格化というのは、堺の職人文化ともマッチングする感じですね。
神保「この時代になると、堺の町でもこういった形の自転車が走り始めていたようですよ。あと用途という意味では、こういった折り畳み自転車もできています」
――もう折り畳み自転車が登場しているんですか。
神保「19世紀末から20世紀初頭ですね。これは軍用だったようです。イギリスとかドイツなんかでも作られたようですが、軍用では使う場所の地形がわかりませんから、こうした大ギアと小ギア、それから前を小さくして後ろを大きくする、ようするに歯組を変えて登りやすくして、動くスピードが出るようにしていくみたいな、そういう変速ということが出来るようになっています。ただ変速ギアがついていませんので、自分でいちいち合わせる必要がありました。それでもそうやって移動した方が良かったんです」
――性能もそうですけれど、この辺の自転車になると、デザイン的にもすごいおしゃれですね。
神保「これはキャプテン・ジェラールといってジェラール大尉が作ったと言われているんですが、フランスのエスプリみたいなのをちょっと感じますよね」

 

▲婦人用自転車クレセント(1903年/アメリカ)。衣服が汚れないような工夫に加えて、デザインもおしゃれなものに。

 

――これはそのままその辺の町を走っていても、あ、おしゃれな自転車走ってるわ、みたいな感じになりますね。
神保「おしゃれという意味では、こちらはアメリカの女性用の自転車です。女性用というと、今では当たり前なんですけれど、やはり元々は男の人が乗り始めて、19世紀の末ごろには女性も乗り始めるんですけれど、色々言われたようです。はしたないとか」
――時代を感じますね。
神保「やっぱりアメリカですね。この量産されるようになった自転車なんですが、ループ形状のフレームであったり、サドルの形状とか、スカートを巻き込まないドレスガードとかの女性用の機能もさることながら、このチェーンケースの唐草文様など、デザインも優雅です」
――凄いな。これは綺麗です。

 

■多様化していく自転車

 

▲スターレーのセイフティー自転車を進化させたローバー(1896年/イギリス)。空気入りタイヤやローラーチェーンなどを装備し、快適に走ることができた。

 

神保「こちらはイギリスのローバー型、第二世代です。自転車は量産されるようになりますが、それなりの値段もしたと思います。今ではサンダル代わりみたいに使われる場合もありますけれど、もっともっと大事なものだったのかなと思いますね」
――それは高価なものだったんでしょうね。
神保「レバーの形状とか、作りこみを見ると、やはり丁寧にいいものを作ろうという思いが伝わってきます」
――確かに。これはよっぽどしっかりした作りですね。
神保「これもイギリスの自転車です。乗り心地をすごく意識して、フレームの構造もショック吸収型なんですけれど、何よりもサドルがすごい」
――ハンモックになってますね!

 

▲ツーリング自転車ダーズリー・ベダーセン(1900年/イギリス)。ハンモックになったサドルがいかにも乗り心地がよさそうです。

 

神保「この自転車はね。実は内装変速機が後ろの車輪についていて、ギアは一対なんですけれど、ペダル1回転で動く後車輪の回転は3通りに変えられるようになっています。今では、町中をはしっている内装式の変速機っというのは普通になっています。ママチャリとかああいうタイプの自転車でありますよね」
――変速機がこんなに早くからできてるんですね。
神保「あれが内装変速機だとしたら、こちらはイタリアのロードバイクで、外装変速機っていうんですけれど、ギアが後ろに三枚ついていますね。チェーンを脱線させて、隣のギアに移動させることでギア比を変えていくというタイプです。内装式は街乗り利用に多くて、外装式はスポーツタイプに多いです。外装式の方が効率がいいので、早く走ろうという場合にはどうしても外装式になります」

 

▲外装変速機を装着したロードレーサー・デイ(1935年/イタリア)。

 

神保「こちらは完全にお仕事用ですね。オランダのミルク運搬用の自転車です。30リッターのミルク缶を左右に積んで60キロとかなり重くなるのですが」
――がっしりした自転車ですね。
神保「いつもここでお話するのは、自転車って、その地域の地域性、人々の暮らし、それから体格に結構依存するんです。例えば、この自転車はイタリアの山間の村ではちょっと使えませんよね。これだと上るのも下るのも難しいですよ。オランダ=ネーデルランドの平たい土地というのが、すごく伝わってくるなと思います。だから、日本の軽快車も日本ならではの使い方にどんどん収斂していっている。そういうドメスティックな状況であったり、使い勝手ということで、自転車はできているんです」

 

▲酪農の盛んなオランダのミルク運搬車(1930年/オランダ)。

 

 

――なるほど。納得です。
神保「それに対して競走用というのは、比較するとインターナショナルなものになります。つまりフランスでもイタリアでもそんなに違わない」
――一つのルールでレースをするんですから、そうなりますよね。
神保「で、日本ではどうだったかというと、江戸の末期に日本に入ってきます。沢山ないということもあって貸自転車として使われるようになります。明治半ばぐらいになると、日本でも作られるんですけれども、ほぼイギリス製とかアメリカ製の模倣品です。サイズ的なこともあって、イギリス製に近い形が多く作られたようですね」
――この背景の写真がその頃の日本の様子ですか?
神保「この写真は実は横浜の馬車道です。人々は着物を着て、草履を履いたりしていますが、自転車は沢山写っていますね」

 

▲イギリスの技術で作られた日本製自転車ラージ号(1916年/日本)。

 

ここまでが2階のメインフロアーの3つのゾーンのうちの最初のひとつのAゾーン=歴史ゾーン「自転車のはじまり」でしたが、展示されている自転車が多様なこと、また美術品のような展示とも相まって見ごたえ十分でした。なお、このゾーンで30分ごとに上映しているムービー「発明家たちの夢」も良い出来で、1階のムービーと合わせての視聴がおすすめです。
引き続き他のゾーンも案内していただきましょう。

第三回へ続く)

 

 

シマノ自転車博物館
住所:〒590-0073 堺市堺区南向陽町2-2-1
電話:072-221-3196
web:https://www.bikemuse.jp/

開館時間: 午前10:00~午後4:30(入館は午後4:00 まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は火曜日)、年末年始

 

 

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