アンニュイの小部屋 アルフォンス・ミュシャと宇野亞喜良(1)
19世紀末のパリで花開いた新しい芸術”アールヌーヴォー“の旗手として知られるアルフォンス・ミュシャ。
堺 アルフォンス・ミュシャ館は、世界最大級のミュシャコレクションを持ち、1人のアーティストだけをテーマにしたミュージアムということもあり、これまで数多くの深掘りした先鋭的な企画展を開催してきました。そのおかげで、一般的にはデザイナーとしてのイメージが強いミュシャですが、ミュシャがデザイナーにとどまらない広さと深さをもつアーティストであることを、私たちは知ることになりました。
そんな堺アルフォンス・ミュシャ館の次なる企画展には、またも驚かされました。まさかの日本を代表するデザイナー・宇野亞喜良とのコラボレーション。題して「アンニュイの小部屋 アルフォンス・ミュシャと宇野亞喜良」。
妖艶で前衛的な作風の宇野亞喜良とミュシャの二人展。一体、どんな意図をもってこの展覧会を企画したのか、担当の学芸員髙原茉莉奈さんにお話を伺い、取材しました。
■宇野亞喜良とのコラボレーション
宇野亞喜良。1960年代に脚光を浴び、寺山修司とタッグを組んだ演劇ポスターなどはあまりにも有名。横尾忠則や和田誠らと「東京イラストレーターズ・クラブ」を設立し、以後現在まで半世紀にわたって第一線で活躍しつづけているデザイナー・イラストレーター。誰もが1度はその作品をどこかで観たことがあるはず。
――前回の取材は、堺緞通とのコラボレーションで話題を呼び、クラウドファンディングも大盛況でしたね。そして今度は宇野亞喜良ですか。どのようにこの企画展は立ち上がったのですか?
髙原茉莉奈「今回はアンニュイをテーマにしたのですが、前回の企画展の後、次どうしようかという時に、昨年は「あやしい絵展」が大阪であったり、その前に「怖い絵展」もありました。そうした感情をテーマにした企画展があってもいいかと思ったんです。というのも、美術を見た時に、どういう感想をもっていいのかわからないという方も少なからずいます。ミュシャの作品を見た時にも、表現される言葉は、たとえば優美・優雅・美麗だったりしますが、それでおしまいにするのはあまりにももったいないと思ったんです」
――確かに。ミュシャは繊細な表現や、優れたデザインで、絵としての美しさがあるのはもちろんですが、決してそれだけのアーティストではないですからね。
髙原「そこで、あまり知られていないミュシャの側面として、アンニュイな絵展という基本コンセプトを思いついたんです。アンニュイとは何かを調べて見ると、19世紀末のランボーやヴェルレーヌなどの世紀末文学。そのあたりに漂う雰囲気のこと、とされていました」
――その辺りの世紀末文学には、退廃的で自分自身の欠落を表現しているようなイメージがありますね。
髙原「ミュシャというと、世紀末芸術というよりは、ロートレックなどに代表されるような“明るいパリ”のイメージで捉えられがちなわけですが、しかしミュシャにはそんな華やかな側面と、世紀末特有の象徴的なの側面もある。そのどちらもをミュシャの女性像に見てとることができるのではないかと思うのです」
――なるほど。ミュシャの作品には、美しさ明るさの中にも深みがあります。
髙原「最初はミュシャだけの予定だったのですが、アンニュイなアートを調べているうちに、宇野亞喜良にたどり着いたんです。実は、宇野亞喜良とミュシャの展覧会が2011年に川崎のミュージアムで行われていたんです」
――へぇー!
髙原「正確に言えば、川崎市民ミュージアムとホールの共催企画で『宇野亞喜良とアール・ヌーヴォーの作家たち』というテーマ展示だったようです。その時の宇野氏によるスペシャルギャラリートークの記事があって拝見したところ、宇野亞喜良さんが『こう並べてみると、ミュシャの作品も自分が描いたと思うかも知れないし、ミュシャが現代に生きて自分(宇野)の絵を見たら、ミュシャは「これは自分が描いた」と思うかもしれない』といった風な事をおっしゃっていたことがわかりました」
――それは宇野亞喜良だから言えるセリフですね。
髙原「それでミュシャファンと宇野亞喜良ファンは重なるんじゃないかとインスピレーションを得ました。調べて見たら、愛知県の刈谷市美術館が2010年に大規模な宇野亞喜良展を開催していて、その後、宇野氏に寄贈により充実したコレクションを所蔵していることがわかったんです。もう時間がなくて無茶な話だったのですが、去年の12月に刈谷市美術館に出品をお願いしに行きました。そしたら快く作品を貸していただけることになったんです」
――それで奇跡のコラボレーションが生まれたんですね。
髙原「コロナ禍ということもあり、宇野亞喜良さんには直接お会いすることは出来ませんでしたが、電話でお話することが出来ました。宇野亞喜良さんは、誰からもいい評判しか聞かない素敵な方として知られているのですが、本当でしたね。この企画展も『好きにやってください』とのお言葉をいただきました」
――いいですね! 宇野亞喜良さんにお墨付きもいただいて髙原さんがどれだけはっちゃけた企画をされたのか楽しみが増してきました。そろそろ展示を見せていただけますか?
■ミュシャの光と影
髙原「今回の企画展はミュシャと宇野亞喜良が交差する8つの視点を切り口とした、5つの小部屋という構成になっています。最初はミュシャと宇野亞喜良それぞれの小部屋から、しだいに入り交じった小部屋になっていきます。堺 アルフォンス・ミュシャ館は、あくまでもミュシャの専門美術館ですから、二人展という形とはいえ、ミュシャの作品が80点、宇野亞喜良が50点という作品数です。ミュシャだけでも、これまでの企画展に負けない点数なんですよ」
――これでもか、というボリュームですね。作品が多すぎて展示品の作品リストの文字が細かい!
髙原「まずルーム1は『世紀末の光と影』ミュシャの小部屋です。入り口に入って正面に《ハーモニー》を飾りました」
――《ハーモニー》は、ミュシャ渾身の大作《スラヴ叙事詩》につながる作品で、堺アルフォンス・ミュシャ館所蔵の中でも指折りの大作ですね。なぜこの位置に展示したのですか?
髙原「《ハーモニー》は喜びと悲しみが描かれている作品で、向かって左に喜び、右に悲しみが描かれています。それに合せて、まず左手にはミュシャの華やかな側面をあらわす花の作品をそろえています」
――多くの人がミュシャでイメージしそうな、美しい花と女性の装飾的な作品ですね。
髙原「《ハーモニー》を越して右側には、神秘的な作品をそろえています。たとえば信心深いミュシャが自費出版した《主の祈り》です。これは、主の祈りの7つの言葉に対して、それぞれ3枚ずつで表現した作品です。1枚は言葉をそのままデザインに組み込んだ作品、1枚は言葉に対するミュシャの解釈を作品にしたもの、もう1枚は言葉を視覚化したもの。こうした右側の影にあたるような作品を見てから、もう1度左側の作品を見て欲しいんです。するとどうでしょうか。華やかな女性の微笑みの中にも、憂い、憂鬱があるのが見えませんか? 光と見えた部分にも影がある。それがミュシャのアンニュイだと思うのです」
――光から影へ、そして光へ。見た人は、絵の印象がどう印象が変わるか、お客様ご自身で確かめてほしいですね。
髙原「ここで今回の企画展を楽しむための第一の視点として『グラデーション』。丁度この角度から、宇野亞喜良の作品《『ミケランジェロの言葉』ポスター》と、《ハーモニー》を同じ視界に納めることができます。《ハーモニー》は左右にグラデーションのある作品で、《『ミケランジェロの言葉』ポスター》は上下にグラデーションのある作品で、どちらも群像が描かれているという共通点もあります」
――ミュシャと宇野亞喜良の大作を同時に見ることが出来るなんて贅沢ですね。
■才能が化学変化を起こす
髙原「ルーム2、二つ目の小部屋は『典雅な倦怠感』で宇野亞喜良の部屋です。まずは、こちらの《For Ladies》は、寺山修司とのコンビで当時の10代の女の子向けの本です」
ーー10代の女の子といいますが、この気だるさのある作品は、大人になる前の女の子が境界線上にいる、思春期の際どい感じがありますね。不安定で、不安感があります。
髙原「人の中に何かが入り混ざって行ったり、姿を変えていくメタモルフォーゼ(変身)は宇野亞喜良の絵の特徴です」
ーー半人半獣、半神半獣など、神話的なモチーフは西洋絵画では一般的だし通じるところがあるかもしれませんね。
髙原「面白いことに、宇野亞喜良はあえて原作を読みこまないで、世界観を作っていくのだそうです。文章を視覚化することを目的とせずに、絵を見た人が自分の感情を移しこめるように描いているのです。だから読者は自分だけの宇野亞喜良の世界を堪能できるんです」
ーー読者が想像の翼を広げることができるようになっているんですね。ミュシャの作品もメタファー(暗喩)が多用されていて見る人が色んな解釈をすることが出来ますよね。
髙原「2人の作品を並べて鑑賞して欲しいのが、二つ目の視点として『蛇』。ルーム2の宇野亞喜良作品《マックスファアクター(EGYPTIAN LOOK)》ポスターと、ミュシャの《蛇のブレスレットと指輪》を見てください。宇野亞喜良のマックスファクターのエジプト風の女性の腕には蛇が巻きついており、よく見ると両端に蛇の頭があります。ミュシャもこの作品をデザインする時に、《メディア》の絵を参考にしながら、2つの蛇の頭を向かい合わせるアイディアを加えました。これは、古代ギリシャのブレスレットを参照した可能性があるんです。ちなみに、《蛇のブレスレットと指輪》は、サラ・ベルナールが手にした後は、エジプトの王女が所有していました」
ーー蛇というモチーフをどう表象するのか、アーティストのアイディアが時代を超えて交錯しているのが面白いですね。
髙原「視点3としては『アイディア』です。ミュシャの『メディア』の演劇ポスターに描かれた蛇のブレスレットを主演のサラ・ベルナールが気に入ったことから、衣装としてブレスレットの製作を依頼し、実際に舞台でも使われました。同じく宇野亞喜良による演劇ポスターを見てください。これは寺山修司の演劇実験室◎天井棧敷「新宿版千夜一夜物語」ポスターです。この作品も例によって脚本が出来上がってない状況で描かれました。ポスターに宇野亞喜良が描いた自分の乳房からミルクを絞り出してカップに注ぐ女性を見て、寺山修司はそのアイディアを実際の舞台にも取り入れました」
ーーミュシャも宇野亞喜良も、アーティスト同士のアイディアが化学反応を引き起こして作品が形を変えていった、グレードアップしていった例、まさにコラボレーションですね。
このルーム3は今回の企画展の核心の一つと言えるでしょう。あらゆる視点から、演劇ポスターというジャンルでミュシャ作品と宇野亞喜良作品が対置され貫かれています。視点4は「男装」、視点5は「シンボル」、視点6は「装飾画」。
「男装」では、サラ・ベルナールの男装劇《ロレンザッチオ》のポスター、寺山修司の男装劇「星の王子様」のポスターが取り上げられています。両者に共通する抑制されたエロティシズムが見どころです。
「シンボル」では、同じくサラ・ベルナールの《椿姫》ポスターと、寺山修司の《毛皮のマリー》のポスター。両ポスターに作者が潜ませた男女の性のシンボルにあなたは気づくでしょうか?
「装飾画」では《トスカ》ポスターと劇団女王陛下の公演「Les Aventures Arabesques」のポスターを。ミュシャが作品の中に装飾を取り込んでいるのはよく知られていますが、宇野亞喜良の作品にもアール・ヌーヴォ風の装飾が取り入れられています。宇野亞喜良も自身を装画家という言われ方を好むと言っています。
ミュシャと宇野亞喜良。こうして視点を通じて2人の作品を見ると、意外な共通点を見出し、鑑賞を楽しむことが出来るでしょう。またそれだけでなく、ミュシャはサラ・ベルナール、宇野亞喜良は寺山修司というその時代最高の舞台人とのコラボレーションによって作品が生まれ、互いに高め合っていたということに気づきます。
企画展の視点は残り2つ。次回の記事では、この2つの視点で作品を鑑賞しながら、2人のアーティストの作品世界に深く触れることとしましょう。
(第2回へ続く)
会場:堺アルフォンス・ミュシャ館
開館時間:午前9時30分から午後5時15分(入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日(休日の場合は開館)、休日の翌日(2月12日、2月24日)
観覧料:一般510円(410円)、高校・大学生310円(250円)、小・中学生100円(80円)
*( )は20人以上100人未満の団体料金