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「カランドリエ ミュシャと12の月展」レビュー@堺アルフォンス・ミュシャ館(2)第1章”夏”

 

カランドリエという耳慣れない言葉は、フランス語でカレンダーのこと。
堺アルフォンス・ミュシャ館の企画展『カランドリエ ミュシャと12の月展』は、アルフォンス・ミュシャにとっての記念日と、これまで重視されてこなかったミュシャのカレンダーに注目した企画展。今回の記事シリーズでは、そのレビューをお届けしています。
レビュー1回目は、企画展の第1章の“春”までを取り上げました。2回目の今回は、“夏”を取り上げましょう。
案内は、担当の学芸員髙原茉莉奈さんにお願いしています。

 

■ミュシャの“夏”

“夏”展示のトップには、「四季」の一枚が展示されています。
髙原「この『夏』は当時から評価の高かった一枚です。女性の頭には、パリを代表する花である罌粟の花が飾られ、女性はちょっとけだるい姿勢で水に足をつけています。ミュシャの故郷であるチェコの南モラヴィアの夏を思わせ、ノスタルジーを感じさせます」
――暑い夏に涼をとっている少女のけだるさと、水辺の自然が融和していて魅惑的な一枚ですね。
髙原「1896年に描かれた『四季』の中で、(鑑賞者と)目が合うのはこの一枚だけです。他の春・秋・冬は目が合わないんです」
――(図録を確認する)あ、本当ですね。いつもワンセットで展示されがちな『四季』を今回は一枚ずつピックアップすることで、それぞれの個性を改めて認識できる展示になっている気がしますね。

●6月

▲『ココリコ』誌より6月『ナイチンゲールのさえずり』。タイトルにあるナイチンゲールは描かれていない。

 

――春はパリが最も美しい季節と、罌粟の花(コクリコ)など沢山の花を描いたミュシャでしたが、夏はミュシャにとってどんな季節だったのでしょうか?
髙原「雑誌『ココリコ』誌の挿絵から、6月の絵を見てみましょう。タイトルは『ナイチンゲールのさえずり』。ナイチンゲールは小夜啼鳥と日本では呼ばれている小鳥で、美しい鳴声で知られています。しかし、面白いことに、この絵の中には鳥は描かれていません。鳴声を聞いている女性の姿を描いているのだとしたら、粋ですよね」
――6月の記念日は何を取り上げたのですか?
髙原「6月10日(1906年)の『ミュシャとマルシュカの結婚記念日』です」
――1906年というと、前回の企画展でとりあげられていたミュシャのアメリカ時代ですよね? マルシュカさんとはアメリカで出会ったのですか?
髙原「いえ。1903年にパリで出会います。マルシュカも同じチェコ人の画学生で、ミュシャに憧れてパリのアトリエを訪れます。ミュシャが個人レッスンをするうちに親密になって、ミュシャがアメリカへ行ってからは遠距離恋愛になります」
――先生と生徒の恋だったんですね。

 

▲新婚旅行なのにこもりっきりで描かれたミュシャとマルシュカの合作。インドア派ロマンチストにとっては理想的な新婚旅行だったのか??

 

髙原「こちらの作品は、2人が新婚旅行で一緒に描いた作品です。周囲の飾りをマルシュカが担当したようですが、ミュシャの描き方と違うでしょう。のびやかに描くミュシャに対して真面目というか。性格が出てますね」
――そうですね。写実的というか、きちきちっとした描き方ですね。新婚旅行はどこへ行ったんですか?
髙原「チェコ国内ですが、ずっと雨だったそうで、2人で一緒に絵を描いていたようです。このキャプションにも書いているんですが、実はミュシャの理想の結婚生活は“朝から晩まで2人で並んでイーゼルに向かう”ことだったそうで、さっそく夢が叶ったんですね」
――じゃあ、雨にたたられた新婚旅行もミュシャにとっては恵みの雨。めっちゃリア充だけど、マルシュカさんはそれで良かったのかな(笑)

 

●7月

▲「母と子」は、ミュシャが生涯描きつづけたテーマの1つ。1898年の『母と子』(右)と1930年『聖母子』(左)。

 

髙原「7月の『ココリコ』誌の挿絵のタイトルは『暑さ』です」
――『四季』の“夏”に似てますね。水辺に足をつける少女。
髙原「ちょっと飛ばして8月の『ココリコ』誌を見てください。こちらのタイトルも『暑さ』」
――8月の『暑さ』は、諸肌脱いで全身で『暑さ』を表現してますね。これは暑そう。では、7月の記念日は?
髙原「1860年の7月24日、『アルフォンス・ミュシャが生まれた日』です。ミュシャはチェコの南モラヴィア地方にあるイヴァンチッツェという町に生まれました。父アンドレアスは裁判所の官吏で、結核で亡くなった前妻との間に3人の子どもを抱えていました。ミュシャの母アマリエは、夢の中に現れた天使から『かわいそうな孤児たちの面倒をみなさい』という啓示を受け、アンドレアと結婚しミュシャを生みます。それが1860年の7月24日です。小さなミュシャは歩き始める前から絵を描いたそうです」
――それで7月の作品が、この『母と子』というわけですか。
髙原「キリスト教の聖母子像を彷彿させる『母と子』は、ミュシャが好んだ題材です。若い頃から晩年までかなりの作が残っています。展示してあるのは1898年の『母と子』、晩年の1930年『聖母子』です」
――作風がやっぱり変化してますね。晩年の方は、絵画的で《スラヴ叙事詩》を彷彿させます。
髙原「ミュシャが亡くなったのは1939年7月14日で、夏に生まれて夏に亡くなりました」

 

●8月

▲『白い象の伝説』と、挿絵のモデルをつとめてポーズをとるゴーギャン。

 

――8月の記念日は?
髙原「ミュシャと親交のあったゴーギャンについて取り上げました。8月24日(1893年)で『ゴーギャンがパリに帰ってきた日』です。SNSの企画の時は、ゴーギャンの誕生日なんかを取り上げていたのですが、企画展の主旨からは外れるので、ミュシャにとっても大切な日としてこの日です」
――ゴーギャンとは、また人気の大物アーティストが出てきましたね。彼の帰国はミュシャにとってはどのように大切だったのでしょうか。
髙原「ゴーギャンは、西洋文明を離れてタヒチで2年間の創作活動を行い、個展を開くべくパリへ帰ってきたのですが一文無しでした。以前から知り合いだったミュシャはゴーギャンに自身のアトリエを使うように申し出たのです」
――ミュシャいい人伝説にまた1エピソードが加わりましたね! ミュシャとゴーギャンが同じアトリエで作品を作ってたなんて驚きです。
髙原「その証拠といいますか、その頃ミュシャが描いた児童文学『白い象の伝説』の挿絵とゴーギャンを写した写真を見てください。同じポーズでしょう。ミュシャはゴーギャンをモデルにしてこの挿絵を描いていたんです」
――おお、本当だ。これは驚きの発見ですね。若き日の偉大なる芸術家2人がこうやって助け合っていたなんて。
髙原「肝心のゴーギャンの個展はパリの人々に受け入れられず失敗に終わりますが、ゴーギャンはくじけません。タヒチの事を誰も知らないのが原因だと分析して、異国の文化を知ってもらおうと考えたのです。彼はタヒチの紀行文『ノア ノア』の出版を企図し、挿絵として木版画の連作を制作しました。これは、ミュシャが『白い象の伝説』の挿絵を描いていたことが関係しているかもしれません。また一方で、ミュシャもゴーギャンから影響を受けた可能性があります。『白い象の伝説』は、言葉を理解できる白い象を主人公に異国を舞台にした冒険小説ですが、ミュシャ自身はアジアを訪れた事はありません。ゴーギャンからタヒチの話を聞き、その話からインスパイアされて挿絵を描いたのかもしれません」
――生活や創作活動だけでなく、作品の中身にまで互いに影響しあっていたと考えると、2人が再会した日というのは、美術史的に重要な日というと大袈裟すぎますが、2人の芸術家にとってポイントになる1日だったということは言えそうですね」

 

▲《書籍『白い象の伝説』(第25章)挿絵<下絵>》 1893年 墨、水彩、紙。象をサーカスにスカウトしたイギリス紳士とサーカスの団長のどちらもゴーギャンがモデル。この絵にも描かれているイギリス紳士もゴーギャンがモデルの可能性がある。

 

妻、母、友人とミュシャのエピソードがたっぷりつまった第2回は、“夏”の展示紹介だけで終わってしまいました。次回は“秋”ですが、どうもミュシャはこの季節に意外な感情を抱いていたようです。

会場:堺アルフォンス・ミュシャ館
開館時間:午前9時30分から午後5時15分(入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日(休日の場合は開館)、休日の翌日(2月12日、2月24日)
観覧料:一般510円(410円)、高校・大学生310円(250円)、小・中学生100円(80円)
*( )は20人以上100人未満の団体料金

 


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