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テーマ展示『ミュシャの教室』レビュー@堺アルフォンス・ミュシャ館

左ページの写真はミュシャを囲む生徒たち。

 

堺アルフォンス・ミュシャ館で企画展『ミュシャとアメリカ』(1)(2)と平行して開催されているコーナ展示『ミュシャの教室』について今回はとりあげます。『ミュシャとアメリカ』もなかなかに斬新なテーマでしたが、『ミュシャの教室』とはまた目新しい。いったいどんな展示なのか、担当の学芸員・髙原茉莉奈さんに案内していただきます。

 

■教育者ミュシャ

コーナー展示『ミュシャの教室』は堺アルフォンス・ミュシャ館の3階、かつては与謝野晶子記念館だった場所で開催されています。

--企画の意図から教えていただけますか?
髙原「はい。これまであまり注目されてこなかったミュシャの教育者としての側面を取り上げてみました。ミュシャはアメリカ時代もニューヨークやシカゴの美術学校で教師をしていました。実はパリ時代にも教師をしていたのです。ミュシャのアトリエに絵を教えてほしいと人が集まってきたんです」
--押しかけ生徒のせいで先生になっちゃったんですね。あれほど絵が上手ければね。
髙原「その経緯も面白いんです。パリ留学をしていたミュシャですが、パトロンからの留学支援を打ち切られてしまいます。学校アカデミー・コラロッシにも通えなくなり、退学して生活を成り立たせるために挿絵の仕事などをはじめるのですが、そのミュシャのアトリエにクラスメートたちが押し寄せてきたのです。そうすると今度は、ミュシャはついにアカデミー・コラロッシでクラスを受け持つようになってしまうんです。その後サラのポスターを描いていて一番忙しい時期にも先生をしていました」
--退学した学校の先生になっちゃうなんて、ミュシャは自分で運命を切り拓く人ですね。先生としてはどんな先生だったのですか?

 

▲ミュシャの装飾資料集。『ミュシャの教科書』は説明文は一切無いが、絵だけで語られる優れた教科書なのだろう。

 

髙原「こちらの展示は、4階でも展示されていた『装飾資料集』です。デザインのアイディア集になっていて、1セット72枚。インテリアやアクセサリー、人物のデザイン案が描かれていて説明文は一切ありません。もうひとつ特徴的なのは製本されておらず、バラバラのページをリボンでくくるようになっているのです」
--お手本にしやすいし、沢山の人が一斉につかえる工夫ですね。
髙原「まさにミュシャの教科書といえます。この装飾資料集は好評で、学校や図書館でも購入されましたし、第二弾も出ました。第二弾は人物しばりだったのですが、ミュシャらしくスラヴの民族衣装も出てきますし、人物像をいかに幾何学模様に当てはめるかというアイディアも盛り沢山です」
--勉強になりますね。一冊ほしい。
髙原「ミュシャの考えも面白くて、教育の視点から語られているミュシャの言葉を8つ選んでパネルにしてみました。例えば『全てのものの中に自分の特別な用途のための何らかのアイディアを見るのだよ』」
--あらゆるものから学べるという話ですね。
髙原「ミュシャは絶えず自然の研究に取り組み、雑草でも花でもほんの小さな生物でも示唆に満ちていないものはないと述べています」

 

▲ミュシャの装飾資料集から。幾何学模様の中に女性がうまく入り込んでいる。この中にも2:3の比率が潜んでいる。

 

--これも面白いですね。『目はカーブや曲線を見ることを好むものなのである』。
髙原「目のメカニズムの話らしいんです。目の6個の筋肉は、直線を見る時は引き締まり、カーブや曲線では6個の筋肉は反復運動をして、目はそれを心地よいものとして知覚する、というのがミュシャの持論です」
--解剖学に行き着いてるのは、ダヴィンチっぽいですね。あ、比率の話もある。『木の真ん中を見てはいけません。地面からちょうど5分の2の高さのところを見るのです。
髙原「ミュシャは構図の法則として『2:3の比率』を提唱しています」
--ダヴィンチの黄金比は、1:1.618でしたね。ダヴィンチよりちょっと大まかな比率だけどすごく近い比率だ。
髙原「こうした所から見ても、ミュシャは理屈でわかりやすく伝える良い先生でした。説明も丁寧で親切。教えるのが上手かった。ヒューマニズムのある先生でもありました」
--すごい良い先生ですね。

 

■日本人とミュシャ

 

▲アカデミー・コラロッシの集合写真。黒田清輝・久米桂一郎が写っており、中央の腕組みをしている人物はミュシャではないかと指摘されている。

 

髙原「今回もう1つ注目したかったのは、日本人の画家とミュシャの関係です。ミュシャが先生をしていた時期に、同じアカデミー・コラロッシで学んでいた日本人がいたのです。鹿子木孟郎という人物です」
--日本人留学生がいたんだ。
髙原「当時のパリには、美術の学校としてフランス国立アカデミーがあったのですが、外国人や女性には入れなかった。そこで私塾が流行ったのです。その頃の二大画塾というのが、アカデミー・ジュリアンとアカデミー・コラロッシ。ジュリアンは旧派、古典的で、厳しい教え方が特徴です。コラロッシは新派、印象派風で、放任主義でした。ミュシャは最初はジュリアンに入るのですが、1年でコラロッシに入りなおしています。鹿子木はその逆で、コラロッシからジュリアンに移っています」
--わざわざ厳しいところへいったんだ。。
髙原「鹿子木は岡山の武士階級の出身で、求道的な方が気質にあっていたのかもしれません。逆にコラロッシは先生もあまりやってこなくてほったらかしで、お金持ちのおぼっちゃんが集まってきました。このコラロッシには、他に黒田清輝も通っています。黒田清輝は後に白馬会を作って、そこから印象派が日本の主流になるので、丁度フランスとは逆になるのも非常に面白いですね」

 

▲偉大な彫刻家オーギュスト・ロダンと交友があったミュシャは彫刻も学んでいた。良く知られている通りロダンと与謝野晶子は親交があった。晶子とミュシャは友達の友達という関係になる!?

 

--ミュシャはそうした派閥的なものには属していたのですか?
髙原「ゴーギャンとは仲が良かったようですが、派閥には属していませんでした。ミュシャは、ただただ自分のスタイルを追う人でした。いうなれば、つきあいはいい一匹狼みたいな人です。絵もガチガチの古典でもなくわかりやすく描いている。柔軟にビザンティン様式やケルトの組紐なども取り入れている」
--ヒューマニストというか、コスモポリタン的な側面がいつも見えてきますね。
髙原「一方でミュシャは芸術は民族的なものから出てくるとも言っています。自己の内面的なものは、民族的な生活から出てくる。だから、アメリカで教師をしていた時も、アメリカはフランスの真似をしなくていい。アメリカの理想を吸収すればいいんだと言っています。そして自分は技術的な事は教えられるけれど、芸術は自分で見つけるものだとも」
--ミュシャは偉大なる芸術家にして、すぐれた教師。それは自身が世界中のあらゆるものから学んでいる良き生徒だったからかもしれないですね。今回の『ミュシャの学校』のおかげでミュシャの人物像が随分見えてきたように思えますね。

コーナー展示『ミュシャの学校』は、企画展『ミュシャとアメリカ』と響き合う部分もあり、ミュシャという人物・芸術家を理解する手がかりともなる展示でした。8つのパネルに刻まれたミュシャの言葉はどれも新鮮なものだし、パネルのデザインも密かに凝っているのもミュシャ的? ……かな?
ともあれ、ミュシャのコレクションは堺の宝だし、でかいミュシャ美術館ぐらい建てるぐらいのことをして、人類の未来に貢献してはどうかと、今回も思わされたのでした。

 

 

会期:開催中→2021年3月21日(日)まで
会場:堺アルフォンス・ミュシャ館
開館時間:午前9時30分から午後5時15分(入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日(休日の場合は開館)、休日の翌日(2月12日、2月24日)
観覧料:一般510円(410円)、高校・大学生310円(250円)、小・中学生100円(80円)
*( )は20人以上100人未満の団体料金

 

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