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ミュージアムへ行こう! 「「源氏物語」を解き明かす晶子」 レビュー(2)

実家の和菓子屋『駿河屋』の帳場で古典作品に親しみ身につけた教養が、後の芸術家与謝野晶子を生む土壌となりました。この古典作品がどこからやってきたのかというと、実は祖母と父の蔵書だったのだそうです。食卓でも歴史上の偉人トークが繰り広げられるほど、教養の高い家庭だった鳳家(晶子の旧姓)ですが、和菓子を作るのには教養が不可欠という理由もあったようです。

堺市の文化観光施設「さかい利晶の杜」では、与謝野晶子の「新新訳源氏物語」出版80周年を記念して、企画展「「源氏物語」を解き明かす晶子」が開催されています。前回の記事に引き続き、その内覧会のレビューの第2回は、第二章「読み継がれる「源氏物語」」を紹介していきます。案内は引き続き学芸員の森下明穂さんです。

■日本精神の源流

 

▲晶子愛読の絵入版本「源氏物語」(右)と、「日本古典全集」(左)。

現存する世界最古の長編小説とも言われる「源氏物語」。1000年以上も読み継がれ、未だにファンを獲得し続けている世紀の名作、いや10×世紀の名作といえるでしょう。流布していた写本や版本を与謝野晶子も読みふけっていました。この名作が連綿と読み継がれてきたのには、節目節目でバトンを受け継いできた人々の努力を忘れるわけにはいきません。
そして、晶子も生涯3度も「源氏物語」の現代語訳に挑戦しており、現代に向け「源氏物語」を広げた最大の貢献者の1人なのです。
「源氏物語」に対する晶子の評価は絶大なものです。
「文学らしい文学はこの物語によって初めて我国に起こったのであり、これが後世にも比類のない程の偉大な価値を国文学の上に持っているのみならず、我国のどの芸術にも、また我国の趣味生活一般にも、この物語が直接間接に影響しているのである。源氏物語を読まないというのは、日本人にして日本精神の大きな本源の一つを知らないことであり、英人が沙翁(※シェイクスピア)を読まないのと同様にはずかしい事なのである」(与謝野晶子「最近の感想」『横浜貿易新報』1933所収)

 

▲晶子の肉声が聴ける!! 晶子が朗読する「桐壺」を記録したレコード。

 

そんな思いを持っている晶子ですから、「源氏物語」や他の古典作品の普及のために、尽力しています。
森下明穂(以下、森下)「晶子は「新訳源氏物語」のために、絵入版本を愛読していました。そして夫の与謝野寛(鉄幹)と共に、日本古典全集を出版しました。日本人が安価に古典を読むことが出来るようにです。この古典全集はすごく売れて、与謝野家の家が建ちました。最初の版には挿絵が無かったのですが、晶子は絵入版本から絵を拝借して、挿絵を入れています。やはり文章だけだと読みづらいですからね」

展示の中には、非常に貴重なものとして、晶子が「源氏物語」の「桐壺」を朗読したレコードも展示されています。さかい利晶の杜に足を運んだことがある方ならピンと来るのではないでしょうか。2階の与謝野晶子記念館で聞くことが出来る晶子の肉声はこのレコードから録られたものだそうです。

 

■海外にも広がった源氏物語

 

▲海外でも晶子による源氏物語現代語訳が紹介されている。

 

古典全集が家が建つほど売れたというのは、当時の日本人の読書熱の高さを表しているようです。与謝野晶子の新訳源氏物語は最初金尾文淵堂から出版されましたが、その後様々な出版社から出版されました。中には無理に一冊にまとめたため文字の大きさが3mmほどのものもありました。

「源氏物語」の外国語訳も、晶子の当時からあり、今では英訳だけでなく、仏訳、中国語訳、台湾語訳など、20カ国語にも訳されているそうです。企画展でも、アーサー・ウィリー版の英訳「源氏物語」が展示されています。これも美しい装丁です。また、与謝野晶子著『新訳源氏物語』が掲載されているメトロポリタン美術館の図録も展示されています。
しかし、晶子は翻訳文学は別物と考えていたようです。
「翻訳文学というのは原作そのものではなくて、原作を他の国語で模写した別種の創作である。国語を異にする以上、たとえ同じ作者が書いたにせよ、原作と同一のものができない事はいうまでもない。(略)
文学は意味だけを読むものではなくて特種な言語に即して読むものであるから、紫式部の言語の美を離れて源氏物語は存在しない」(与謝野晶子「最近の感想」『横浜貿易新報』1933所収)

もちろん、日本でも与謝野晶子以外にも、様々な文学者・芸術家が、それぞれの表現で「源氏物語」にチャレンジしています。
森下「谷崎潤一郎版の「源氏物語」は、当時人気で非常に売れました。しかし、文章は難しくて読みにくいところがあります。こちらには、様々な作品が展示されています。これは有名ですよね。漫画「あさきゆめみし」(大和和紀)。それに瀬戸内寂聴さんや、俵万智さんも万智訳として源氏を詠んでいます」

 

▲晶子以後も、様々な作家が「源氏物語」の現代語訳や作品化に挑戦している。

国境も越え、これほど多くの創作者に愛されるほど「源氏物語」の魅力は深遠なものです。晶子は最初の「新訳源氏物語」に満足しておらず、再挑戦を試みました。実業家でもある小林天眠の支援を受けながら100ヶ月の目標で2度目の現代語訳に取りかかります。しかし、この「源氏物語講義」は日の目を見ることはありませんでした。その顛末については、以前つーる・ど・堺でレビューしたさかい利晶の杜での企画展『ミュージアムへ行こう! 「与謝野晶子を支えた実業家たち」』でも紹介しました。完成が見えてきた晶子の原稿は、関東大震災の被災で焼失してしまったのです。

心血を注いだ労作が燃え尽きてしまったことを、晶子がどれだけ嘆いたか。しかし、諦めるわけにはいきませんでした。晶子は「源氏物語」に3度目の挑戦をします。
次回、後篇ではついに「新新訳源氏物語」について扱った第三章について紹介します。

 

さかい利晶の杜
堺市堺区宿院町西2丁1番1号
072-260-4386
http://www.sakai-rishonomori.com/

 


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