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特別展「百舌鳥古墳群 巨大墓の時代」レヴュー(2)

 

堺市博物館の特別展「百舌鳥古墳群 巨大墓の時代」を、学芸員橘泉さんに案内していただいています。
前回(1)は、特別展の2本の柱のひとつ、「古墳とは何か。古墳時代とはどんな時代か」というテーマを念頭に展示を紹介しました。
最古の古墳とされる箸墓古墳からはじまって400年ほどの古墳時代の間にも、古墳自体も変化し、古墳の中には時代の変化を表すものが副葬品として収められていました。
そこからうかがえるのは、文化的にも豊かな古墳時代の生活でした。墳墓の形や埋葬方法などでも共通のものが全国へ広がり、それは日本(倭)が国家形成への階段を登り始めたことを表していました。

今回(2)の記事からは、そうして全国に広がった古墳群を取り上げた展示を見ながら、堺市民にとっては最も身近な百舌鳥古墳群とはどういう古墳群なのかに迫ることにしましょう。

 

■日本各地の古墳群

日本全国には約16万基(以上)の古墳があるそうです。
特別展では古墳のマメ知識として各都道府県別の個数ランキングも掲示されていたのですが、1位はなんと兵庫県で18851基。2位は鳥取県で13016基です。
――1位2位は意外でした。面積も広い兵庫県はまだしも、鳥取県はそれほど大きな県という印象はありませんし、出雲もお隣の島根県ですよね。
橘「兵庫県も鳥取県も多いのは古墳時代後期の古墳なのですが、後期になると小さな古墳が沢山できるようになって、1つの古墳群で300とかの古墳があるんです」
――すごい数ですね。百舌鳥や古市の古墳群は巨大古墳はあっても、古墳の数自体は40~50基程度ですから、随分違います。この特別展では、どんな古墳群が紹介されているのでしょうか?
橘「まずは、奈良県の馬見古墳群から見てみましましょう」

●馬見古墳群

橘「奈良盆地の西部の馬見丘陵に築造された古墳群が馬見古墳群です。古墳時代前期の4世紀から6世紀ごろまでの古墳群になります」
――古墳時代中期の百舌鳥古市古墳群よりは早い時期の古墳群になるんですね。
橘「副葬品を比べてみると、馬見古墳群は銅鏡などが多く出土していて、百舌鳥古墳群とは違いがあります。古墳の形をみてみると、馬見古墳群には墳丘長100m以上の前方後円墳以外に、墳丘長100mを越える帆立貝型古墳が2基あります。百舌鳥古墳群には全長100m超の帆立貝型古墳はありません。これは前方後円墳の規制と関連するとも考えられます」
――たとえば有力者だけど、王ではないとか、そんな人物のための古墳なのかもしれませんね。

 

●古市古墳群

百舌鳥古墳群からまっすぐに東。羽曳野市から藤井寺市にかけて東西4km、南北4kmに広がる古市古墳群。時期は4世紀後半から6世紀中葉。45基の古墳が現存しています。

橘「こちらは古市古墳群の津堂城山古墳からでてきたもので、矢のお尻につける金属製の矢筈(やはず)です。現在の弓道に使う矢筈とほとんど同じ形をしています。これは非常に珍しいもので、矢の先の鏃は沢山見つかるのですが、矢筈が見つかることはほとんどありません。木製の矢筈で今に残らなかったのかもしれません」
――手裏剣みたいなものがありますね。
橘「これは巴形銅器と名付けられているのですが、何に使われていたのかよくわかっていません」
――でも、すごくデザイン性が高いですよね。
橘「他にもありますよ。こちらには魚をモチーフにした剣の飾りといわれている魚佩が峯ヶ塚古墳からみつかっています」
――これもカッコイイデザインですね。古墳時代の人はおしゃれですね。

 

▲手前に魚佩(魚形の飾り)。左に鈴。

 

橘「峯ヶ塚古墳からは鈴も見つかっています。ほとんど今の鈴と同じ形です。日本人は古代から鈴が大好きで、色んな物に鈴をつけてます。古墳時代から鈴が大流行してます。こちらの珠金塚古墳からは、金のビーズも見つかっています。金はやっぱりすごいですね。今も色あせていません」
--埴輪も古市古墳群のものは、立派な埴輪が展示されていますね。
橘「円筒埴輪と盾形埴輪を組み合わせた埴輪もありますよ。この模様をみてください。古い埴輪ではしっかりと描かれていたものが、なんだか適当に描かれています」
――最初は模様にも意味があってしっかり描かれてたのが、世代が替わって形骸化したんでしょうかね。

 

●百舌鳥古墳群

▲出土品には清廉さを貫いた宮川さんも、これだけは心が動きそうになったというカトンボ山古墳出土の子持ち勾玉の実物も展示。

 

堺市の堺区・北区・西区にかけて、東西4km、南北4km広がる百舌鳥古墳群。時期は古市古墳群とほぼ同時期。4世紀後半から5世紀末にかけられて古墳が築造されました。
大王を埋葬したと思われる巨大墓が、古市古墳群と百舌鳥古墳群とで交互に造られたと考えられています。もともとは100基以上の古墳があったようですが、現在は44基の古墳が残っています。

――古墳研究者の宮川徏さんの著書「よみがえる百舌鳥古墳群」では、戦後の土砂採取や宅地造成で百舌鳥古墳群の多くの古墳が破壊されたと書かれていました。潰された大塚山古墳やカトンボ山古墳の副葬品も展示されていますね。
橘「そうです。工事で破壊される時に、森浩一さん(考古学者)の調査が行われたのですが、緊急だったため不十分な調査になったのが悔やまれます。完全に宅地になってしまった大塚山古墳は、埋葬施設が8つもあり、そのうちの多くが埋葬者がいなかったようです。副葬品も多く見つかっているのですが、どの副葬品がどの埋葬施設のものかが明確でないものもありますし、工事で破壊されてしまったものも多くあるでしょう。そんな中で、大塚山古墳からは、沢山の櫛が見つかっていて、櫛の出土品が日本一なんです」
――櫛ですか。そういえば日本神話にはよく櫛が登場しますね。
橘「魔除けの効果を狙っていたのかもしれません。他にも百舌鳥古墳群からは、滑石という柔らかい石を加工したものが出てくるのですが、これもなんのために収めたのかはわかりません。滑石で造った小さな刀とかが沢山出てくるんですが、全部形が違うんですよ」
――なんでしょうね? 鉄道模型マニアの人が車両ごとのディテールの細かさを楽しむような感じで造形の違いを楽しんだんでしょうかね? 古墳時代にもモデラーみたいな人がいたんじゃないですかね? カリスマ埴輪職人とか。百舌鳥の職人は上手いから発注してたのに、最近イマイチだな、とか?
橘「そんなこともあったかもしれませんね(笑)」

 

▲仁徳天皇陵には、2万5千から3万本もの埴輪が使用されたそうです。

 

古墳は知れば知るほど謎が増えていくようです。学芸員さんというのは、古墳を良く知っている人であると同時に、古墳の何がわかっていないかを良く知っている人なのかもしれません。
次回は、そんな古墳の中でも百舌鳥古墳群と古市古墳群の間にある一際ミステリアスな古墳と、全国各地の古墳群へと目を向けていきましょう。

 

堺市博物館
堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内
072-245-6201


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