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ミュージアムへ行こう!『和紙文化への招待』(1)


堺市の長年の宿願である「百舌鳥・古市古墳群」のユネスコ世界文化遺産登録がついに現実になろうとしています。2019年5月14日、ユネスコの諮問機関イコモスによる世界文化遺産登録勧告があったのです。これで7月に開催されるユネスコ世界遺産委員会での世界文化遺産登録は確実視されることとなりました。
「世界文化遺産はすごいですね。勧告があってから、入館者数がどんと増えました」
そういうのは、堺市博物館の学芸員で、つーる・ど・堺ではすっかりお馴染みの矢内一磨さん。世界最大級の墳墓で、当然国内でも、百舌鳥古市古墳群でも、最大の前方後円墳『大仙陵古墳』(仁徳天皇陵古墳とも)に隣接する、堺市博物館の入館者数はうなぎ登りなのだそうです。この日も平日昼過ぎの取材見学にも関わらず、なかなかの盛況ぶりでした。

しかし、この日の取材テーマは「古墳」ではありません。丁度はじまったばかりの企画展『和紙文化への招待 -日本の手漉和紙技術の現在-』が取材対象なのです。
では、矢内さんの案内で、皆さんを和紙の世界へとご案内いたします。

■和紙はユネスコ世界無形遺産

それにしてもなぜ今「和紙」なのか。実は、「和紙」もユネスコの世界文化遺産に無形文化遺産として登録されており、また堺市博物館にはまさにアジアにおけるユネスコの重要機関である「アジア太平洋無形文化遺産研究センター」が存在するのです。
矢内「ユネスコの無形文化遺産に、『和紙:日本の手漉和紙技術』は記載されています。世の中に紙を知らないという人はおそらくいないでしょう。日本には和紙というものがあって豊かな文化があります。堺市博物館は、古墳の専門店ではなく、総合店です。古墳も取り上げますが、それ以外の多様な堺の文化を紹介する役割があるのです」
ということは、今回の「和紙」でも堺の文化として紹介される部分があるのでしょうか?
矢内「その中で堺らしさを出す工夫をしてみました。ひとつは、湊紙です。(堺区の)湊で作られていた和紙ですが、茶室の腰張紙(茶室の壁の腰ほどの高さまでに張る紙)には、湊紙か伊勢暦が使われました。湊紙はわびた風情があると好まれたのです。もう1つは堺とも関係の深い高野山の高野紙です。これは南海高野線『極楽橋』駅から2駅手前の『紀伊細川』駅の近くにある西細川などで作られていた高野細川和紙が消滅の危機にあったのですが、現在高野細川和紙の技術継承による地域振興の試みが行われており、それを取り上げました」

▲『紙漉重宝記』のパネル展示から。

それでは、さっそく企画展の展示品を見ていきます。
まずは入り口近くには、江戸時代に出版された、紙漉き技術の解説書『紙漉重宝記』という本を、ページごとにパネルにしたものが展示されています。これは18世紀末に島根県益田市の紙問屋国東治兵衛(くにさきじへえ)が記し、大坂で出版されたものです。地元の石州半紙の作り方が丁寧に解説されています。
矢内「当時の手漉き和紙の技術は秘伝とされるのが普通でしたが、国東は紙漉きは腕力のない女子どもでもできる技術だからと、産業振興のためにこのような本を作ったのです。これを見ると江戸時代の技術は今の技術とほとんど変わらないことがわかります」
ユネスコの無形文化遺産には和紙は、まず2009年に石州半紙(島根県)が登録され、その後2013年に本美濃紙(岐阜県)、細川紙(埼玉県)が登録されました。

■全国の個性派の和紙たち

 

▲石州半紙で作った人形。

それぞれの和紙はどのような特徴があるのでしょうか。
島根県西部の石見地方(石州)では10世紀初めには、すでに製紙が行われていました。江戸時代には、石州で漉かれる半紙という規格が喜ばれ、石州半紙(せきしゅうばんし)の名が広まりました。
矢内「石州半紙の特徴は丈夫さです。障子紙や書画用紙として用いられました」
展示には石州半紙で作られたわらべ人形が飾られていました。布製の人形が多い中、ほとんど和紙で作られているという人形です。
この石州半紙には重要文化財の指定の要件に沿って作られた「鶴」という最高級のブランドがあります。そしてその「鶴」よりも更に手間をかけたものが「稀」というブランド。石州半紙の逸品です。どちらも曇りのない乳白色の美しい和紙で、もはや芸術品の域です。

▲まるで絹織物のような本美濃紙。

 

そのお隣には、本美濃紙の展示です。
矢内「美濃和紙の中でも、本美濃紙が無形文化遺産に登録されています。美濃和紙の特徴は美しさです」
美濃地域では、古くから和紙が漉かれており、702年の美濃国の戸籍用紙が正倉院に残されているそうです。
展示されている本美濃紙は、絹織物のようなつややかさを見せています。「美しさの美濃」の看板に偽りはありませんでした。
現代では、この本美濃の和紙でお皿や靴下まで作られています。

 

▲小川和紙のくす玉展示。通常天井高くに吊されたくす玉を目の高さで展示しています。

 

ついで埼玉県の細川紙です。これは、埼玉県比企郡小川町及び秩父郡東秩父村に伝承されてきた小川和紙の中の一部です。
矢内「細川紙は江戸時代に高野山麓にある細川村で漉かれていた和紙の技術が伝わったという伝承があります。高野山の細川村の和紙の水準は高く、そのブランドにあやかったのかもしれません。たとえば瀬戸物は、瀬戸で作って無くても瀬戸物というでしょう」
丈夫な石州半紙、美しい本美濃紙に対して、細川紙はどんな特徴があるのでしょうか?
矢内「細川紙は、非常に丁寧に作られていますね」

 

▲解体した『月次風俗諸職図屏風』から出てきた下張りの紙は歴史の空白を埋める貴重な資料だった。

 

この細川紙のように、江戸時代になると日本全国で和紙の産地が生まれます。
矢内「江戸時代に紙の需要が爆発的に増えて、絶えず追いつかない状況でした」
和紙は、江戸時代には、日常品として障子紙や帳簿、本、トイレの紙にも使われるようになります。人口も急増した時代ですから、需要の爆発もうなずけます。今回の企画展の展示には、和紙が貴重で使い古しの和紙がこんな所にも使われるのかと驚くような展示があります。

それは屏風の下張り紙として利用されていたという展示です。
矢内「(堺市博物館所蔵の)『月次風俗諸職図屏風』を解体修理した際に、木組みの下張りに使われていた紙を調べると、美濃大垣藩の今では貴重な文書であることがわかったのです。これまで分からなかった歴史の空白を示す資料で、岐阜新聞で大きく取り上げられました」
紙に書かれていたことも貴重な資料だったというわけです。きっと日本のあちこちの屏風の中や壁の中に貴重な歴史の資料が隠されていることでしょうね。

さて前篇では、ユネスコの無形文化遺産に登録された3つの手漉き和紙を中心に、和紙の歴史と特徴を取り上げました。後篇では、手漉き和紙の技術を地域振興につなげようとする取り組みを紹介します。

堺市博物館
堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内
072-245-6201

 


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