堺酔人酩物伝5 ~発足!! 鳥井駒吉の会(2)~
堺の歴史的偉人の一人、鳥井駒吉。
アサヒビールや南海電車の創業者で政界でも活躍し、文化人としての顔も持つと、まさに万能の超人です。その鳥井駒吉の曾孫である鳥井洋さんが、残された資料をもとに出版された「大阪・堺の一人の人間鳥井駒吉」によれば、信心深い篤志家でもあり、地元堺の小学校から、全国の被災地に惜しみなく寄附や義捐金を送っています。
それだけの人物でありながら、今ひとつ知名度が浸透していない鳥井駒吉でしたが、没後110年の2019年、変化が起きました。鳥井駒吉の生家のほど近い山之口商店街で、鳥井駒吉を顕彰する“鳥井駒吉の会”が発足したのです。(前篇)
鳥井洋さんに加えて、この“鳥井駒吉の会”の発起人であるギャラリーいろはにのオーナー北野庸子さんに登場いただき、発足の経緯について伺うことができました。それはちょっと不思議なお話でした。
■お稲荷さんに導かれた出会い
今回の取材は、山之口商店街にあるギャラリーいろはにのテラスで伺っています。ギャラリーいろはにのオーナーの北野さんといえば、商店街や与謝野晶子関係のイベントでも活躍されたりしていることもあり顔の広い人ですが、鳥井洋さんと出会ったのはつい最近のことだったのです。
北野「うちのお客様で不思議な方がいて神様が見えるので一度見てあげると言うのを、結構ですと断っていたんだけど、まぁまぁと言って見てくれたら、私に『お稲荷さんがついてる』とおっしゃるんです」
――お稲荷さんですか。この近くでお稲荷さんというと……目と鼻の先の開口神社さんにもお稲荷さんがお祀りされてましたっけ?
北野「ええ。それでこの際だから開口神社のお稲荷さんにお参りしにいったの。そしたら、お稲荷さんの向こうに、石碑のようなものが見えたのよ。木も生い茂ってるし、石もごろごろしていてる所をかき分けて見に行ったら立派な石碑で神社の縁起のようなことが書いてあって、後ろを見たら『鳥井駒吉が建てる』と書いてるじゃありませんか」
――長年ギャラリーをやっておられた北野さんも知らなかった石碑だったんですね。
北野「それで私はびっくりして、商店街にあるさかい観光ボランティアガイドの詰め所にいったらボランティアの柿澤さんがいらしたので、開口神社の鳥井駒吉の石碑を知ってますか!? って話をしたら、『もちろん知ってますよ』と。でも外から見えないし、足場も悪いので観光客の方をご案内しても怪我をさせてしまってはいけないからと、ガイドツアーのコースから外してるんですと、そんな話をしてたんです。そしたら、横に座っていた方が立ち上がって『わたしは、その鳥井駒吉の曾孫です』と名乗ってくださったのが、鳥井洋さんだったんです」
鳥井「丁度、鳥井駒吉の華美芝居(紙芝居)の件で、堺観光ボランティアと所へ来ていたのです」
――すごい、偶然ですね。お稲荷さんの霊験なのかと思ってしまいますね。それまでお2人は会ったことはなかったのですか?
鳥井「はじめてです」
北野「それで、開口神社の石碑を見ていただいて、どうにかしようということで相談して『鳥井駒吉の会』を立ち上げることにしたのです」
■「鳥井駒吉の会」とアサヒグループ130周年
――「鳥井駒吉の会」では、どのような活動をされるのでしょうか。
北野「3年計画で、開口神社の石碑をどうにかしようと考えているのですが、まずは鳥井駒吉のことを知ってもらうために、ギャラリーいろはにで来年(2020年)の2月21日~3月4日まで展覧会をすることにしました。そして、鳥井駒吉研究の第一人者である、堺市北図書館館長代理の竹田芳則さんの講演会を、開口神社の瑞祥閣で行います」
――展覧会では、どのような展示をする予定なのですか?
北野「2015年に『鳥井駒吉と堺の酒造展』が町家歴史館山口家住宅と清学院で開催されていたのですが、その資料の一部をお借りして、酒造業の過程を目でみてわかるように展示します。それに、鳥井洋さんがお持ちの鳥井駒吉の掛け軸や書も」
――鳥井駒吉は、お茶に俳句に短歌、書画を嗜む一流の文化人でもありましたよね。
北野「さらに展覧会の時には、ビアパーティーをしようと思いついたんです。それで、アサヒビールさんにパーティー用の缶ビールや、展覧会でディスプレイ用の商品などを提供していただけないかと思って、お手紙を書いて、東京まで会いに行くことにしました」
鳥井「これがその手紙です」
――「鳥井駒吉の会」。代表は鳥井洋さんで、事務局が北野さんですね。
北野「驚いたことに、この手紙を出してすぐに東京から連絡があって、アサヒグループの方が飛んで来られたんです。実は今年はアサヒビールの設立130周年に当たっていて、そのための企画を考えておられた所だったんですって」
――すごいタイミングだったんですね。
北野「それから、鳥井洋さんに連れられて、堺のみんなでアサヒビールの工場見学にも行きました。すると、アサヒビールで亡くなった社員の方の供養塔が敷地内にあったんです。その供養塔は、アサヒビールの方だけじゃなくて、関連企業の方も供養されているんですって。鳥井駒吉さんの利益は社会に還元するという精神が、今もアサヒビールには生きているんだと思いました。それと、見学に来た私たちにも、献花されませんかと花を渡されたのですが、その時一緒に来ていた妙法寺の佐々木さんご夫妻が、さっと前に進み出て朗々とお経を唱えてくださったのも素晴らしかったです」
■鳥井駒吉の石碑
ギャラリーいろはにから徒歩で1分。お2人に連れられて、開口神社に向かいました。
開口神社の境内に鳥井駒吉が建てた石碑があるというのですが一体どこにあるのでしょうか? 足は、境内の南東の片隅にあるお稲荷さんへ向かいます。
――これが、北野さんがお客様からのお告げで向かったというお稲荷さんですね。
鳥井「外から見た方が良くわかりますよ」
境内の外に回って、玉垣の隙間から見ると、お稲荷さんの後に大きな石碑が建っているのがわかりました。よく見ると石碑の裏に「鳥井駒吉」の名前も見えます。
今度は表に回ってみます。まずはお稲荷さんに挨拶をして、脇から生い茂った木々をくぐり抜けるようにして、回り込みます。足下には石もゴロゴロしていて足場は確かに良くありません。
北野「表から行くのは一苦労ですよ。私が元ワンダーフォーゲル部でなかったら、絶対に行こうと思わなかったでしょう」
難路を乗り越えると人の背丈よりも高い石碑とご対面となります。表面には、開口神社のご祭神である「塩土老翁神(しおつちおじのかみ)」のことなど、開口神社の由緒について細かに記載されていたのです。
北野「鳥井駒吉さんは奥ゆかしくて、自分が石碑を建てたことは、碑文の後半に少し書かれてるだけなんです」
――開口神社にとっても大切で、郷土の偉人である鳥井駒吉が建てた、こんな立派な石碑ですから、史跡としても価値がありますよね。こんな目に見えない場所に押し込めておくのはもったいないですね。
北野「『鳥井駒吉の会』では、3年計画で資金をためて、この石碑を境内のもっと見やすい所へ移設したいと考えています」
――あれだけの石碑ですから、移設費用も安くはないでしょうね。
北野「はい。結構な金額になりますので、なるべく多くの方に鳥井駒吉の事をしていただいて、ご協力いただきたいと思っています」
鳥井洋さんと北野庸子さんが出会うことで、鳥井駒吉を巡る状況は大きく進展したようです。「鳥井駒吉の会」の発足によって、ようやく鳥井駒吉の名も、広く知られることになるのではないでしょうか。
やっぱりこれは、信心深かった鳥井駒吉が、お稲荷さんを通じて北野さんと鳥井洋さんを引き合わせた……今回は、そういうことにしておきたいと思います。
鳥井駒吉の会
堺市堺区甲斐町東1丁2-29
TEL 072-232-1682