堺酔人酩物伝5 ~発足!! 鳥井駒吉の会(1)~

 

堺の歴史上の偉人の中でも、業績の大きさに知名度が追いついていない人物の1人に、鳥井駒吉がいます。
アサヒビールの創業者であるばかりか、南海電車の創業者の1人で、堺県議会議員や大阪府議会議員、堺市議会議員なども務め、文化人としても一流。これといってまとまった資料がなく、断片的にしか人物像がわかってこないのですが、失敗知らずのパワフルな万能の超人のような人で、あまりにも優秀すぎ成功しすぎで影や疵もなくてお話にするにしても、伝記作家も困ってしまいそうです。鳥井駒吉は、すごすぎて有名にならなかったのではないか、とすら思ってしまいそうです。

つーる・ど・堺では、2015年に鳥井駒吉の曾孫にあたる鳥井洋さんにお話をお聞きしたこともありますが、仏壇から発見された「鳥井君半生涯」という原稿が発見されたばかりで、鳥井家にもアサヒグループにも資料は残されていないということでした。

それから4年。2019年になって、“鳥井駒吉”というトピックスに、新展開があることを知り、数年ぶりに鳥井洋さんにお会いしてお話をきくとになりました。

 

■「大阪・堺の一人の人間 鳥井駒吉」出版

 

▲ギャラリーいろはにのオーナー北野庸子さん(左)と鳥井駒吉の曾孫にあたる鳥井洋さん(右)。

 

鳥井洋さんとお会いしたのは、堺区の山之口商店街にあるギャラリーいろはにです。ギャラリーいろはにも、何度もつーる・ど・堺でとりあげてきたアートギャラリーです。なぜギャラリーいろはにで会うことになったのかは、後ほど明らかにすることにして、まずはギャラリーオーナーの北野庸子さんのサポートも得ながら話を進めることにしましょう。

――この本を出版したのは、いつでしょうか?
鳥井「お会いした次の年です。2016年ですね」
――本の内容は、仏壇から見つかった「鳥井君半生涯」の内容をそのまま印刷したものではなさそうですね。
鳥井「そうです、同じ内容のものではありません。見つかった原稿はパソコンで打ち直したもらったのですが、昔の文章なのでそのままだと分かりづらいものなのです。それで、これまで色々調べてわかったことと、原稿の内容から確かだと思えることなどを抜粋して一冊の本にしたのがこれです」
――では、大きな新事実としてはどんなことがありますか?
鳥井「鳥井駒吉の業績が色々明確になってきました。たとえば、大浜公園に水族館があった話はご存じですよね」
――はい。第五回内国勧業博覧会の大阪会場と堺会場があって、堺会場になったのが大浜のお台場で、水族館などが作られそれが後に遊園地になったんですよね。
鳥井「博覧会の第二会場を中之島にするか堺にするかで紛糾したそうですが、堺の豪商たちが堺へと積極的に勧誘して堺に決まったのです」
北野「堺の町衆の伝統ですね。みんなで決めていく」
――その豪商の中に鳥井駒吉さんもいたんですね。
鳥井「その中の1人というより、鳥井駒吉が中心になってひっぱったようです」
――ということは、鳥井駒吉がいなければ、その後の遊園地も大浜公園も、堺港の乙姫さま(龍女神像)もなかったってことですね。
鳥井「そういえばそうなりますかね(笑)」

 

■今も感謝される篤志家・鳥井駒吉

 

▲鳥井駒吉が毎日お参りをしたという開口神社。

 

鳥井駒吉には、アサヒビールや南海電車など実業家としての横顔だけでなく、日本では珍しい篤志家としての一面がありました。今回明らかになり、冊子にまとめられた資料を見ると、小学校や波止場などの公共物、被災地や窮民などの弱者に対する献金や寄附を途切れることなく行っています。

――堺市の小学校関係に絞っても、小学校資金への寄附だけではなくて、個別に櫛屋小学校、宿院尋常小学校、市尋常小学校に、お金、本、幕などを送っています。災害への援助となると、鹿児島、和歌山、奈良、岐阜、愛知、富山、北海道と全国にまたがっています。見栄や自己満足からくるようなものとは、一線を画すものと思われますが、なぜ鳥井駒吉は慈善活動に力を注いだのでしょう。
鳥井「鳥井駒吉は、“利益は社会に還元するもの”という考えをもっていたようで、それは彼の信心深いという性格からきているようです」
北野「住居のあった(堺区)市之町(西)から、開口神社(甲斐町東)まで毎日お参りされていたんですって」
鳥井「父の伊助が信心深い人で、それを駒吉は受け継いだのでしょう。伊助は奈良県にある長谷寺の参道を整備したいという計画をもっていたのですが果たせず、息子の駒吉が取り組みました」
――どうして堺の伊助さんが、奈良のお寺に?
北野「堺が始点になっている長尾街道は長谷寺まで続いています。堺と奈良は昔から関係が深いですよね」
鳥井「奈良から堺にお輿入れに来る方も多かったですよね」
――奈良も含んで堺県だった時代もありましたね。
北野「先日、鳥井さんと堺観光ボランティアガイドの柿澤さんたちで、長谷寺に調査にいかれたんですって。そうしたら、えらいお坊さんたちがずらっと正装で出迎えに来られて、すごい歓迎だったんですって」
鳥井「こっちはこんな(ポロシャツにスラックス)格好やったのにね(笑)」
――長谷寺の皆さんは、鳥井駒吉が参道を綺麗な石畳にしてくれた恩をずっと長い間忘れずにいてくれたんですね。
北野「鳥井駒吉に助けられた人たちはずっと覚えておられるのですけれど、堺の人が誰も鳥井駒吉の事を知らないんですよ。サントリーの鳥居さんですかって言われたり」

 

世界的な大企業や地域になくてはならぬ鉄道会社を作り、地元への貢献も高いにも関わらずいつの間にか、故郷堺の人々の記憶から薄れていった鳥井駒吉。しかし、没後110年も経ち、鳥井駒吉を顕彰しようという動きが出てきたのです。
それが、“鳥井駒吉の会”。会がどうして出来たのかには、ちょっと不思議な話があって、それは先ほどからお話に加わっていただいている、ギャラリーいろはにのオーナー北野さんに登場いただく必要があります。

後篇へ。

 

鳥井駒吉の会
堺市堺区甲斐町東1丁2-29
TEL 072-232-1682


灯台守かえる

関連記事

Remodal

Remodalテスト

Write something.


PAGETOP

remodal