ユネスコ世界文化遺産の国内推薦が決まった百舌鳥・古市古墳群の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)に隣接する堺市博物館。その建物の中にあるアジア太平洋無形文化遺産研究センター(IRCI)は、独立行政法人国立文化財機構の7施設の内の1つであり、同時にユネスコと協力して事業を推進するカテゴリー2センターでもあります。2010年にユネスコとの間に協定が結ばれ、中国・韓国と三国で分担をして三国にカテゴリー2センターが設置されることになりました。
世界民族芸能祭を開催するなど、かねてより無形文化遺産に関心を示していたこともあり、堺市が誘致に手をあげて、2011年に堺市博物館内に機関が開設されました。
研究者というよりは研究コーディネーターとして、アジア太平洋地域の無形文化遺産をテーマに、各地の無形文化遺産継承者や研究者・現地の政府関係者などと交渉し、研究を振興・促進するのがIRCIの仕事。しかし、アジア・太平洋地域は、決して平穏ではなっく、不安定な要素を抱えた地域でもありました。
IRCIの活動について、
前回に引き続き岩本渉IRCI所長にお話を伺いました。
■ポストコンフリクトの時代
2011年の設立から、ユネスコの助言を得ながら、IRCIが中長期的に取り組んできた大きなテーマの1つは「ポストコンフリクトと無形文化遺産」というテーマでした。コンフリクト(conflict)とは対立・衝突・葛藤などを意味する言葉で、長期間に渡る戦闘・混乱状態などを指します。シリア、パレスチナから、ウイグル、ミャンマー、インドネシアと、アジア地域の地図に「紛争」をマークすれば隙間なく埋まるでしょう。また、太平洋地域も、温暖化に伴う海面上昇や津波被害などに見舞われています。
「災害や紛争の起きた後、ポストコンフリクト(紛争後)に無形文化遺産がどうなっているのか。東チモール、スリランカでの調査を行いました。今度の調査を計画しているアフガニスタンなどは、ポストコンフリクトどころかコンフリクトの真っ最中です」
実際に状況は楽観的なものではありません。
「有形の文化遺産だとものが見えるので、かなり残っている。でも無形文化遺産は、ほっとくと消えてしまう。変化してしまう。それについての研究はそんなに進んでいなかった。今、一所懸命に、どんな研究が進められているかを調べている所です」
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▲岩本渉IRCI所長。堺で開催された国際シンポジウムにて。(写真提供:IRCI) |
そもそも無形文化遺産は、変化しやすいものです。
「伝統工芸やお祭りは、社会環境や国民生活が変わると変わる。質が変わる。それを押しとどめていいのかは議論があるところです。やはり、それは文化の担い手であるコミュニティや個人が中心になって考えていくことでしょう。一方では、代表的なもののリストを作って、保護や継承を体系的にやっていくことも重要」
たとえば明治時代には海外にまで輸出した堺緞通も今や継承者はわずか数名です。また、和食にせよ祭りにせよ時代につれて徐々に変化してきたことでしょう。
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▲災害マネジメントに関するワークショップにて。(写真提供:IRCI) |
社会の緩やかな変化に対して、災害は突然大きな変化をもたらします。
気候変動にさらされている太平洋地域のフィジーやバヌアツでは、現地の研究者にあって自然災害に対して人々が言い伝えをどうやって守っているのかをヒアリングしています。それは無形文化財を自然災害後にどう役立てるかというという視点でもあって、日本人にとっても身近な話でしょう。
「東日本大震災でも”津波てんでんこ”といいましたね。津波が起きたら、てんでばらばらにまず逃げろという言い伝え。生き延びる知恵として防災に役立つものです。また震災後、お祭りを復興させることで、都会に行っていた若者が戻ってくる。地域を盛り上げるということもあります。無形文化遺産は遺産として素晴らしいということもあるけれど、地域復興と結びつくものでもあります。だから、単に自分たちの世代が満足するだけじゃなくて、次の世代が満足するか、次の世代への責任を踏まえて持続可能なもの、持続可能な発展を議論する必要がある。無形文化遺産をテコに地域づくりをしていくとか」
こうした無形文化財の有用性がようやく気づかれる中、アジア地域では日本は比較的進んだ存在でした。
「文化財保護法が出来たおかげで、日本では無形文化財を保護する仕組みが出来ていたんです。市町村の教育委員会から県の文化課までしっかりした措置がとられている。国の指定がなくとも、県指定の文化財になるとか、法制度がしっかりしていた」
しかし、他のアジア諸国ではこのような整備された状況ではありませんでした。
「メコン地域の、タイ、ミャンマー、カンボジア、ベトナム、ラオスを対象に昨年度まで研究していました。無形文化財保護のために、法律というものがどれだけ重要で、法律の中にどういうものを書き込まないといけないかについてです。しかし、これらの国では、そうした法律がなかったり、できたばっかりだったのです」
法整備の面でも、日本は蓄積があり他のアジア地域をリードすることが求められる存在でした。
■ポストコンフリクトからネットワーク構築へ
昨年度からは「無形文化財遺産の保護と災害リスクマネジメント」を一つのテーマにして活動してきたIRCIですが、このテーマによる活動は来年度で終わり、現在次の中長期に向けたテーマを練っている所です。
「これからやっていきたいのは、アジア太平洋の国の中には、沢山の無形文化遺産に関する研究所がある。そこで働いている研究者を育成するのに役立てないかということです。たとえば、無形文化遺産と教育と産業というテーマで共同して研究する。狙いははっきりさせていおいて、人材育成として若手の研究者を使っていく。こうしたことをいくつかの研究所とネットワークを結んでやっていくことで、全体の底力を上げていきたい。無形文化遺産は有形のように研究は進んでいません。日本のIRCIの役割は研究の振興と奨励だから、それこそが役割ではないか。そのためには、研究テーマも重要ですが、その国の研究者や研究所と組んで良かったとどうやって思わせるか、それも重要でしょう」
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▲ユネスコの世界文化遺産登録を目指すのは、堺の文化や歴史を世界中の人に知ってほしいから。(写真提供:堺市博物館) |
これまでの無形文化遺産研究の中で、地域全体の研究レベルの底上げが必要だということが見えてきたのでしょうか。しかし、研究の振興は日本に与えられた役割ですが、ネットワークの構築となると、それは韓国のカテゴリー2センターの役割のようにも思えます。役割が重なってくるのは当然のこととして、日中韓の3センターでの協働はうまくいってないのでしょうか?
「過去5年間はスタートしたばかりでお互い様子見だったところはあります。理事会には人を派遣しあってお互い様の関係で、みんな互いに無関心ではありませんが、協働の強化には手がついていない。これから1~2年もすれば状況は変わってくると思います。今年の12月には韓国で政府間会合もある予定です」
三国のパートナーシップも容易ではないでしょうが、まず三国のネットワークがつながり活性化することで、アジア地域全体のボトムアップになるのなら、それは素晴らしいことで、ユネスコの精神に適うことのようにも思えます。
■心の中に平和の砦を築く
所長の岩本さんは、実は長年教育行政に携わっており、その縁で前職はユネスコ本部に勤めていたそうです。
「ユネスコ憲章には、有名な一文として『(戦争は人の心の中で生まれるものであるから、)人の心の中に平和のとりでを築かなければならない』というものがありますね。ユネスコ本部にいたころは、たとえば子どもたちが鉄砲をもって戦っていたところへいって、大使に会って話をしたりしていると、その精神が実感として沸いてきました。アフガンの大使は、アフガンは昔は文化を愛し、美しい国だったのに大変な目にあったと。私たちが無形文化遺産の調査をするというと、それは素晴らしいことだから、協力したいとおっしゃってくれました」
ユネスコは二度の世界大戦の反省から、平和を築くためには異なる国や地域が相互の文化を知ることが大切だということで生まれたものです。
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▲岩本さんのデスクには、構造主義の文化人類学者レヴィ・ストロースの著作が。 |
岩本さんはいいます。
「無形文化遺産が大事だというのは、狭い意味での郷土愛や愛国心を育てるだけで終わってはいけない。日本に山鉾や山車というかけがえのない遺産があるとしたら、例えばモロッコにもかけがえのない無形文化遺産がある。お互いが、考え方もよって立っている宗教も違う中で、お互い話し合う、感じ合う、持っている価値観が違うけれど認め合う。色んな意見を持っている人、色んな宗教観を持っている人がいてはじめて世界は成り立つんだという啓蒙なんです」
堺市が、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録を目指すのなら、まずはその精神から周知していく必要があるように思います。
では、有形・無形の文化遺産の観点から、堺はどんなまちに見えているのでしょうか。
「堺は、古くから地域に根を下ろしている人もいれば、新しくニュータウンに住んでいる人もいます。そういう人たちが堺市に住んでいることが楽しいと思えるように、地域のお祭りや神社、祭礼などがどういうものか、もういっぺん堺ってどういう所なのかを見てみましょう。堺には、今に受け継がれているものがある。線香一つ、刃物一つとっても素晴らしいものがある。物というだけでなく、生活に関わっているものなんだと。堺市の理念としても、有形の文化遺産と無形の文化遺産とを相まって堺の文化を作っていくという意識はあると思う。たとえばアンコールワットの中で無形文化のお祭りが開催されたりする。堺の古墳でお祭りがあるわけではありませんが、いかに市民生活に結び付けていくか、見習うべきものだと思います」
岩本さんには、教育の成果として忘れられない思い出があるのだといいます。
「それは奈良のことなのですが、奈良は世界遺産教育が進んでいます。奈良の新薬師寺というお寺の近くで小学生の発表会があって、そこでこんなことが言われたのです。新薬師寺というのは、色々修復がされすぎていて、世界文化遺産にはならなかった。でも、地域のお寺である新薬師寺は私の世界文化遺産なんだと。子どもたちの方が、世界遺産と私たちということを掴んでいる。文化が自分たちの生きていることにどう関係があるかわかっているんです」
教育に長く関わってきた岩本さんだけに、胸に響くエピソードだったのでしょう。
「自分たちの文化を大切にすることは、違う文化を持っている人を大事にすることにつながっていく。多様性を大事にしていくということです。多様性はお役人にとっては(個別対応しなくてはいけないので)大変なことでもあるんですが、それぞれに対応していくことで、お荷物じゃなくて、とんでもない宝になる。あそこに行けば色んな言葉で話している。それが堺の宝になるんじゃないか。(排外主義者のように)違うものは出ていけと言っていたら、自分たちが世界からつまはじきにされてしまいますよ」
国際貿易都市として、多国籍多言語の人が行きかった堺には、歴史的にも多様性を受け入れる素地は少なくないでしょう。そんなまちにIRCIがあるのは、相応しいことではないでしょうか。
「IRCIがなぜ研究をしているのか。なぜセンターがあるのか。専門家のための機関ではありますが、それが地域の住民の理解や愛情を育んでいるのだと、それをメッセージとして出していかないとと思っています。それが堺市への恩返しを担っていくのでは、と思います」
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▲堺市博物館の敷地内にあるIRCI。その看板には燦然とユネスコのロゴも輝いていました。 |
IRCIの活動は、今日明日市民の生活に変化をもたらすものではないかもしれません。しかし、長い月日を重ねるうちに成果が大きな影響を及ぼしていくものではないでしょうか。
大仙公園には、古代に築造された古墳もあれば、昭和46年に建造された堺市平和塔もあります。大空襲などの戦火にあった堺市民が、平和のためにと願い築いた塔です。古代から現代までの連綿とした歴史の象徴がある大仙公園に、平和の種をまき、平和の砦を築くユネスコ機関IRCIが設置されたのは、歴史が未来へとつながるという意味でも、とてもふさわしいことだったように思えたのでした。