堺意外史

『堺かるた』の会 会長 南英樹さんの「堺意外史」

『堺かるた』に詠(うた)われている名所旧跡を訪ねて

●(お)とにきく浜寺公園松ばやし

阪堺電車の終点、浜寺公園駅前駅で降りてすぐ右手、信号をわたると、もうそこは浜寺公園。門を入って広い大通りの真ん中でしばらく立ち止まり、周りを見る。

やはり目につくのは、松の木々。正面遠くには大噴水、さらにその向こうには年々華やかになっているバラ園、桜の木も見える。右方面の松林の奥にはプール、左方面の松林の間には子どもたちの遊具。
とに角、広い。すぐ左側にある浜寺公園管理事務所をたずね、所長さんにいろいろと聞いてみた。
「松の木は何本くらいありますか?」
「約5,000本です。」
「浜寺公園の由来は?」
「むかしは堺の浜から高石の高師の浜までを〝高師の浜〟とよんでいました。その後三光国師というお坊さんが〝大雄寺〟というお寺を建立。高師の浜寺とよばれ、いつの間にか〝浜寺〟になったそうです。明治六年の太政官布告(だじょうかんふこく)により、わが国で最古の公園『浜寺公園』となったのです。」
「ふーん、知らなかったです。」
「同じく明治6年、大久保利通がたまたま高師の浜を訪れた際、多くの松の木が伐採されているのを見て、次の歌を詠みました。
音に聞く 高師の浜のはま松も
世のあだ波は のがれざりけり
※あだ波=たいした風もないのに立つ波、軽々しい行為のたとえ

この歌を知った当時の堺県令は、すぐに伐採をやめさせたそうです。また、この歌は「惜松碑(しょうせきひ)」として、今も浜寺公園内に残っています。」
「このように、明治、大正、昭和と多くの人々に愛されてきた浜寺公園の松林ですが、昭和21年太平洋戦争が終結した後、進駐軍の宿舎用地として接収され、多くの松が伐採され、砂地は芝生地に変えられました。
昭和33年に返還された公園では松の植栽などの再整備をすすめ、現在は5,000本もの松林が復活しています。ただ、万葉の時代から愛され、数々の名松が存在した浜寺公園高師の浜、残念ながら現在は残されていません。しかし、その中で〝鳳凰の松〟(二代目)が育っているのはうれしいですね。」
「惜松碑」は浜寺公園の中央入口を入って、すぐ右側にあった。

大きな石に、大久保利通の和歌が刻み込まれている。そして、その近くには二代目といわれている〝鳳凰の松〟もあった。
なるほど、浜寺公園の松林は、すごい歴史を持っているのだな、と思いつつ、広い公園内を一周した。
※参考文献「むかしの堺」「浜寺公園記」

惜松碑(せきしょうひ)

消えゆく運命にあった白砂青松の
命を救った大久保利通が詠んだ一首の和歌が刻まれている

<行き方>

阪堺線浜寺駅前もしくは南海線浜寺公園駅下車、浜寺公園内正門から徒歩5分

<近くのグルメ情報>

●café らるご
諏訪森の古いお屋敷を再生した「遊」にある、日替わりでオーナーが変わるお店です。毎日違ったジャンルの個性的なランチやお茶を楽しめます。
〒592-8349 堺市西区浜寺諏訪森町東3丁319-2 お屋敷再生複合ショップ「遊」
TEL 261-1098
http://largo.secret.jp/

●喫茶ハピル
「café らるご」と同じく「遊」にある、ゆったりがここちよい沖縄テイスト喫茶店です。沖縄スイーツや雑貨を楽しめます。
〒592-8349 堺市西区浜寺諏訪森町東3丁319-2 お屋敷再生複合ショップ「遊」
TEL 320-2428
http://blog.hapiru.main.jp/

●福栄堂
創業明治40年。当時、関西のリゾート地として栄えていた浜寺公園の松林の根元に生えていた松露(キノコ)を模して作ったことが由来の「松露だんご」が名物。今も昔から変わらない手作りの味です。
〒592-8346 堺市西区浜寺公園町2丁141
TEL 261-1677

●手作りパン Breadio(ブレッディオ)
素材と味にこだわって毎日手作りしているお店。Bread(パン)+Studio(工房)を合わせた造語がBreadio(ブレッディオ)。パンを楽しむ工房として、食卓を豊かにするお手伝いを。
〒592-8346 堺市西区浜寺公園町2丁141
TEL 263-2201
http://www.breadio.jp/

<紹介した人>
●南英樹/『堺かるた』の会 会長

星省二のペンネームを持つ作家・詩人でもある。
元小学校校長。堺市伝統の文化誌「はとぶえ」を発行している「はとぶえ会」に所属した経験を生かし、子どもたちの郷土愛育成のため『堺かるた』普及に努めている

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