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世界最大級のミュシャ・コレクション(1)

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東京の国立新美術館で開催された「ミュシャ展」は、アート愛好者の間で大きな話題になりました。アール・ヌーヴォーの旗手として知られ、優雅な女性と植物の装飾が印象的なアルフォンス・ミュシャは人気の高い作家で、展覧会は記録的な入場者数となりました。展覧会の目玉はミュシャの母国チェコからはじめて海外へ持ち出された20点の大作≪スラヴ叙事詩≫でしたが、それ以外に多くのミュシャ作品を提供したのは、実は堺 アルフォンス・ミュシャ館でした。
しかし、堺では同時代を生きた与謝野晶子の存在もあってミュシャは親しまれているけれど、堺 アルフォンス・ミュシャ館の存在はあまり知られていないのではないでしょうか?
今回のつーる・ど・堺では、堺 アルフォンス・ミュシャ館を訪ねて、ミュシャと堺 アルフォンス・ミュシャ館の隠れた魅力に迫りました。
 
■ロマンティックな想いでから生まれた美術館
堺 アルフォンス・ミュシャ館は、JRの阪和「堺市」駅の目の前、陸橋でつながった高層マンションの中にあります。
お話を伺ったのは、館の学芸員・川口祐加子さん。最初の疑問、どういう経緯で堺にアルフォンス・ミュシャの美術館が出来たのかについて尋ねました。
「『カメラのドイ』という企業を御存じでしょうか。残念ながら今はお亡くなりになってしまったのですが、創業者である土居君雄さんが、ミュシャコレクターで、死後遺族の意向で堺市にコレクションが寄贈されたのです」
『カメラのドイ』は業界に大きなシェアを占めたカメラ販売の企業で、本社は福岡にありました。土居さんも広島市出身で、なぜ堺市にコレクションを寄贈したのか不思議に思えます。
「土居さんが新婚時代を過ごしたのが堺市で、そのころの思い出がとても良かったからと、堺市にコレクションが寄贈されることになったのだそうです」
この「堺市の良い思い出」とは、土居さんがミュシャのコレクターになったきっかけとも関係していそうです。
「最初は土居さんが海外出張の時に、お土産としてミュシャのポスターを買ってこられたのだそうです。奥様がミュシャを気に入られたこともあって、土居さんのコレクションがはじまったそうです」
寄贈は「ご遺族の意向」とのことですが、具体的には奥さんのことなのだろうなと想像してしまいます。
夫から贈られたミュシャのポスターとの出会いの記憶を大切にされていた奥さんにとっては、堺で過ごした新婚時代の思い出とミュシャが分かちがたく結びついていたのでしょう。なんともロマンチックな話に思えてきます。
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▲ミュシャの出世作となった演劇ポスター≪ジズモンダ≫。1895年、リトグラフ・紙。
■謙虚な美術館の大コレクション
「土居さんは30年ほどかけて、ミュシャを中心に約500点にも上るコレクションを集めました。アルフォンス・ミュシャの実の息子さんとも親しくなり、コレクションのアドバイスももらって、どんどん充実させていったのです」
ミュシャというとポスター作家のイメージが強いのですが、土居さんはポスターに限らずデッサンや油絵、彫刻まで幅広い作品を集めました。
「世界中にミュシャのコレクションはありますが、版画やポスターが多いなか、このコレクションではポスター以外の作品、一点ものの作品もご覧いただける。コレクション約500点もあって、年に3回の企画展でテーマを変えて展示しているので、いついっても同じ展示……なんてことはありません。だから、(チラシでも)世界有数のミュシャ・コレクションと銘打たせてもらっています」
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▲音楽家から発注された≪ウミロフ・ミラー≫(1903-04年、油彩・カンヴァス)。テーマは「音楽」と思われ、邸宅の暖炉を飾っていた。

 

90年に土居君雄さんが逝去され、ミュシャのコレクションが堺市に寄贈されたのは94年のことです。しかし、せっかくの大コレクションを備えた堺 アルフォンス・ミュシャ館の存在は、堺市民にすらあまり知られていませんでした。
「堺市の広告下手」とはよく言われることですが、それは堺市にコンテンツが多すぎて、他のまちならそれだけで目玉になるようなコンテンツも堺市では埋もれてしまうということがあるかもしれません。
堺 アルフォンスミュシャ館も、さかい利晶の杜が出来るまでは、与謝野晶子文芸館と同居していました。
与謝野晶子とアルフォンス・ミュシャは直接の関係はありませんが、ほぼ同時代の作家で、与謝野晶子が寄稿した雑誌『明星』は、当時の西洋芸術を紹介する中で挿絵にミュシャの作品を掲載していたり、ミュシャ風の人物像を表紙にしていました。晶子とミュシャは、アール・ヌーヴォーに影響を受けた日本の作家が、与謝野晶子の装丁を手掛けていたといったという間接的な関係に留まります。しかし二つの美術館が同居していたことで、堺市民にとっては、2人のアーティストのイメージは強く結びついてしまったかもしれません。
「3階が与謝野晶子文芸館で、4階が堺 アルフォンス・ミュシャ館でした。しかし2015年にさかい利晶の杜がオープンして、与謝野晶子文芸館がそちらに移り、展示スペースが増えたのは良かったです」
移転以降は、堺 アルフォンス・ミュシャ館は、3階が複製品やアール・ヌーヴォーの家具、デジタルコンテンツの体験スペース、4階が企画展のスペースとなり、以前に比べれば充実した展覧会が催せるようになりました。
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▲3階では、複製品やアール・ヌーヴォーの家具、そしてデジタルコンテンツを楽しむことができる。
そんな堺 アルフォンス・ミュシャ館にとって、一番の追い風となったのは、やはり2017年の春に開催された国立新美術館のミュシャ展の影響です。
「66万人弱の来館者があったそうで、これは今年開催された展覧会の中で、おそらく世界トップ10に入るほどの数字です。その影響で、堺アルフォンス・ミュシャ館の来館者も増えました。東京で堺にアルフォンス・ミュシャの美術館があることを知って驚いたという方もおられました」
このミュシャ展のより大きな驚きは、ポスター作家やデザイナーとしての印象が強かったミュシャの画家としての側面がクローズアップされたことかもれません。目玉となった20点の大作「スラヴ叙事詩」の魅力に、67万人弱もの人々が足を運んだのですから。
次回第2回では、デザイナーとしのミュシャ、画家としてのミュシャ。2つのミュシャがなぜ生まれたのか、その謎に迫りたいと思います。
堺 アルフォンス・ミュシャ館(堺市立文化館)
堺市堺区田出井町1-2-200 ベルマージュ堺弐番館2F~4F
○3F、4F、堺 アルフォンス・ミュシャ館
○2F玄関、チケットカウンター、ショップ
TEL 072-222-5533
FAX 072-222-6833

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