「今年もホタルが出ましたよ」
そう電話がかかってきたのは、梅雨を前にした5月の頃。電話の主はホタル研究家の岡本欣也さんでした。岡本さんは、戦争直後に近くを流れる百舌鳥川やジデンジ川で川遊びに親しんだ子供時代を送りました。苦しい時代でしたから家で魚を飼いたいという夢はかなわなかったのですが、そのうっぷんを晴らすかのように長じて魚や昆虫などの水生生物の飼育を趣味として、家は水槽だらけの水族館さながらになり、更には独学でホタルの人工繁殖に成功。その技術には大学の先生や市の施設も教えを請いに来るほど。また、長年の功績をたたえて、堺市功績者表彰(環境保全関係)受賞 (堺市長表彰)や環境大臣表彰(地域環境保全功労者)受賞も果たしています。
そんな岡本さんですが、近所の子どもにとっては、魚や昆虫を見せてくれる「ホタルのおっちゃん」です。丁度、子どもたちもホタルを見に来るというので、久しぶりに岡本さんのお宅を訪ねました。
■子どもたちの理科体験
岡本さんのお宅は相変わらずで、路地に面した外壁が全て水槽で埋め着くされているような有様です。
「新しい水槽ももらってきたんや」
と大きな水槽も増えていました。すると、そこに賑やかな一団が自転車に乗って登場します。
「おっちゃん、ホタル見せてー」
ご近所の三家族のお母さんと子どもたちです。さっそく小さな子どもたちは水槽に群がります。
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▲背の低い子どもたちのためにブロックの踏み台を作って水槽を見せる岡本さん。 |
「これなにー?」
「それはオイカワ」
子どもたちや親御さんとのやりとりは、さながら路上の生物学校です。もちろん、それは堅苦しいものではなく、疑問に対して岡本さんが逐一答えていくといったもの。
「おっちゃん。水槽の水はどうやって換えてるの?」
「ホース一本でやってるよ。ポンプも使わない。やってみせよか」
「口で水を吸ったりするんじゃないの!?」
「そんなんせんでええよ」
岡本さんはそういうとホースの片方を水槽につけました。すると勢いよくもう片方から水が噴き出し、生徒たちは驚きの声をあげます。
秘密はただひとつ。ホースが水で満たされていただけです。圧力差によって液体が移動する「サイフォンの原理」を使ったわけです。岡本さんがいるだけで、路地裏が理科の実験室に早変わりしました。
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▲サイフォンの原理で水を汲みだす岡本さん。大人もどよめきます。 |
そんな中、子どもたちをひきつけたのはザリガニでした。水槽の中のザリガニに次々に手を伸ばしザリガニを手に取ります。
両手に一匹ずつザリガニを持ってご満悦の子どももいれば、おっかなびっくりで思わず放り出してしまった子どももいます。アスファルトの上を逃げ出すザリガニを慌てて捕まえる一幕も。
すっかりザリガニに夢中になった子どもたちですが、今日の目玉は岡本さんが育てた「ホタル」です。
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▲最初はおっかなびっくりでも、いつしか両手でザリガニをキャッチ。 |
■とりどりのホタルの瞬き
「ホタル見よか」
岡本さんが家の裏手から、ホタルをいれた籠を持ってきました。
子どもたちが籠を覗き込むと、薄暗いケージの中にホタルの放つ光が浮かび上がります。
「この中におるんはゲンジとヘイケ。それにヒメボタル」
「ヒメボタルって?」
「ヒメボタルは陸生のホタル。オレンジ色で点滅しているのがヒメボタル」
日本には実は50種類ほどのホタルがおり、その中でも発光するホタル14種類ほどの代表格がゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタルです。
ホタルの中にヒメボタルというホタルがいること、そして陸生のホタルがいることもあまり知られていないでしょう。変わったホタルを見た体験は子どもたちにも初めてのことだったようです。
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▲岡本さんが飛ばした三種類のホタルたちが見せる光の軌跡。 |
その後は、皆で岡本さんの家の裏に回って、ホタルを孵したゲージを見学したり、メダカを見たり、更には絶滅も危惧されているあのお魚も登場します。
「ウナギもおるで」
と、岡本さんは水槽の中から大きなウナギを掬いだしました。発泡スチロールの箱に移されたウナギに、子どもたちばかりかお母さんたちも群がります。
「おっちゃん。このウナギは蒲焼にできるの!?」
「蒲焼になるところを助け出したんや。そろそろ食べごろやで」
花より団子、ホタルよりウナギ。ぷりぷりしたウナギはどうやら子どもたち以上にお母さんたちを引き付けたようです。……主に食欲からですが。
もちろん子どもたちも、ウナギには引き付けられたようで、ウナギの体表に手をのばします。
「田ウナギもおるよ」
と、岡本さんは別の水槽から小さな田ウナギをタモで掬って箱の中に入れます。田ウナギはウナギとはついてますが、ウナギとはまったくの別物です。タウナギ目タウナギ科に属する魚で、ウナギとは類縁関係は遠いのだそうです。
ホタルだけでなく、様々な生物に触れることが出来た子どもたち。路上の教室は子どもたちにとってもいい思い出になったことでしょう。
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▲大きなウナギと小さな田ウナギ。子どもたちに一番印象に残ったものは? と尋ねると皆口々に「ウナギ!」。すっかりホタルは主役の座を奪われてしまいました。 |
■自然が縁遠くなる中で
お母さんの一人は、子どもたちを連れてきた理由についてこう言いました。
「私は女兄弟だから縁がなかったけど、男の子だし、虫や生き物を触らせた方がいいかなと思って」
岡本さんが子どもの頃は、この辺りの百舌鳥川やジデンジ川でもホタルを見ることも出来ましたが、今は護岸工事でコンクリート張りの川や暗渠になり、すっかり自然は縁遠くなってしまいました。
岡本さんには子どもたちに自然に触れてほしいという思いがあり、幼稚園児から高校生まで幅広い年齢層の子どもたちと、生物を通じて接しています。水槽をもっていって魚や昆虫を見せることもあれば、生物部の部員たちにホタルの人工ふ化の指導をすることも。そんな岡本さんの「教室」からは、国立大学の学者になった子も巣立ちました。
「生物が好きすぎて結婚できるんやろか? と心配してたんやけど、こないだ子どもが出来たって知らせてくれたんや」
と、「生徒たち」のことを語る岡本さんは嬉しそうです。
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▲岡本さんお手製の生物パネルを見る子どもたち。また将来の科学者が誕生するかも!? |
先日お会いしてから手術も経験したという岡本さんですが、まだまだお元気です。
「今度また大きな水槽をもらうことになって楽しみなんです」
心は百舌鳥川の川べりで遊んでいた頃の少年のままなのでしょうか。新しく魚や昆虫たちを育てる話をしている時の岡本さんが一番イキイキしているようにも思えたのでした。