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花と景観の中、登録文化財兒山家一般公開

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陶器川の流れが育んだ田園風景の中に数百年も根を下ろしたお宅があります。堺市中区の兒山家。残念ながらすでに無くなった兒山本家の住宅で400年、今も残る通称東兒山家住宅で200年もの歴史を刻んでいます。
兒山家は登録文化財にも登録されているのですが、長らく一般公開されていませんでした。それが12年ぶりに一般公開されるというではありませんか。つーる・ど・堺ではこれまで、兒山家にある「ナヤミュージアム」と、周辺の景観を守る「楽畑」を取材してきました。今回の一般公開も、もちろん見過ごすわけにはいきません。

 

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▲画面向かって右手を陶器川が流れ、大きな楠に守られた兒山家周辺の緑を育んでいます。
■文化財の価値
快晴の空に兒山家の本瓦葺きの屋根が美しく映えます。緑鮮やかな楠の巨木の下を通り、兒山家を目指し三々五々人々がやってきました。公開の扉が開きます。
立派な建物や、「ナヤミュージアム」で展示されている古い農具、当主・兒山さんが教授を務める「山村御流」の生け花の作品などを眺めているうちに、兒山家の中庭でギャラリートークが始まります。
第一回のギャラリートークは、「文化財とヒト・マチ」と題して長年建築に関わってこられた西村征一郎(京都工芸繊維大学名誉教授)さんが、文化財の価値について語られました。
「(日本は)高度成長期にゴミみたいな建築を沢山作りました。現代社会は生き物として人間にとって不都合なものが多すぎます。そんな中で、人は上から下まで文化財にどういう姿勢で挑むべきかが問われているのです」
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▲東兒山家の中庭でのギャラリートーク。西村征一郎さんの話に多くの聴衆が耳を傾けます。
「環境・住宅がなぜ必要なのか。それは環境・住宅が人を作り、人が環境を作るからです。建築が人を作り、人が建築を作る。建築を学ぶ学生なら誰もが知っているこんなことを、プロになると企業のためと本来の目標がすぐに薄らいでしまう」
1975年にはじまったユネスコの世界遺産でも、いかにいい環境を作るのが大切かが謳われています。
しかし、日本では、手軽に文化財に触れ、文化を楽しむ環境があまりにも貧弱です。
「京都のお寺の拝観料の高いこと。日本の展覧会の入場料の高いこと。家族で楽しもうとするとどれだけお金が必要か」
そして、多くの人は文化財は自分たちと関係のないものだと思い、文化財保護を訴えると金をせびりに来たのかと思う。文化に対する精神があまりにも貧困なのが日本の現状です。
そんな中で、兒山家住宅がどれほど価値があるのか。
「美術館になってしまうと意味がありません。今生活と密着している状態がどれほど大切なことでしょうか。現代でも百数十年の歴史を刻んだ建物が今も残っている不思議。堺では風景として古墳が今も意味を持っています。堺の歴史や風景をそこに住んでいる人が『いいわね』と共有するところから、共同体のチーム的な意識が出来るはずです」
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▲緑に映える東兒山家の本瓦の瓦屋根。美しいだけに、文化財の周辺だけでも電柱の地中化を出来ないものか……。
西村さんは兒山家の屋根を見渡します。
「本瓦の屋根とトタン屋根を比べてごらんなさい。コストやデザインの問題でなく、重みのある風格のある風情を歴史が守ってきたんです」
そして、今回の一般公開では山村御流の作品展示がされていますが、西村さんはかつて山村御流の作品と精神に感銘を受けたのだそうです。
「説明書きを書き写したのですが、『花は野にあるよう。枯淡、素朴に、出来るだけ素直に』と。生けるのは花瓶やガラス瓶でなくともよい。自分自身が感じる気持ち『ホンマモン』。山村御流の生け花を兒山家で見ることが出来るのが素晴らしいんです」
こうした文化財を今後私たちはどうしていけばいいのでしょうか。
「文化財というのは国民共有のものです。文化財の保存や修復は国民のために行うのです。予算がないから出来ませんではいけない。最終的にはお金も必要なんだけれど、精神がないと意味がない。人がいないと良い町にはなれないのです」
文化の良さを広げることが基本的な原則です。
「文化財は公開するのが原則で、それもできるだけ安い値段で多くの方に接してもらう。そうすることによって、輪がつながっていくのではないでしょうか」
■陶器の自然を集めた山村御流
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▲近所にお住まいの親せきご一家と兒山万珠代さん(写真左端)。
西村さんも感銘を受けた山村御流の生け花は、兒山家のあちこちに展示されています。兒山家当主であり山村御流の教授である兒山万珠代さんにもお話を伺いました。
「今回使っている花は、一部買ってきたものもありますが、多くはこの近く、陶器川周辺で採取してきたものばかりなんですよ」
現地のものにこだわったのは花だけではありません。
「こちらの花器は地元の作家、初代・前田竹房斎のものです。他にも、兒山家で使っていた耳盥(みみだらい)やお歯黒の道具など古い道具を使っているんです」
陶器の草花と兒山家に伝わっていた道具を使うことで、兒山家の建物だけでなく景観や歴史そのものを含めて文化財として残していこうとしていく意志の表れが、この生け花の展示だったのです。
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▲初代・前田竹房斎の花器を使った作品。 ▲兒山家に伝わるお歯黒の道具に生けた作品。
兒山さんの妹で、共に兒山家を支えてきた松尾亨子さんは今回の一般公開の思いをこう語ります。
「近隣の方にもぜひ来ていただいて、兒山家の実態、実際を知って欲しくて今回の一般公開に踏み切ったんです」
12年前に一度一般公開をしたが、住んでいる住居を公開するということもあって、簡単ではなかったそうです。その後は、公開講座やワークショップのような形で、限定的な公開にとどめていました。
「登録文化財になって、お金をもらっているんだろうと思われがちですが、一切もらっていないんです。昨年の台風で瓦屋根に被害が出ましたが、それも自分たちでなんとかしました。今回はその屋根の修復も終わり、そのお披露目という意味もあるんです」
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▲松尾亨子さん(左)と西田憲治さん(右)。
ギャラリートークの第二弾は、その瓦がテーマです。
「瓦のはなし」と題し、インテリアプランナーをされていた西田憲治(NPO法人健康ザ・ファースト理事長)さんが講師として登場します。
もともと瓦に興味はなかったという西田さんですが、兒山家での活動を通じて瓦の世界にどっぷりはまってしまったそうです。
「日本に瓦が伝わったのは、聖徳太子の時代だと言われています」
この時の瓦はいわゆる本瓦で、ゆるい曲線を描く平瓦二枚の間を竹を半分に割ったような形の丸瓦で覆う形で施工されました。今でもお寺などで見られる縦のラインが美しい瓦屋根がそれです。
「その後、江戸時代になって棧瓦(さんがわら)が発明されました」
棧瓦は片側にうねりのある瓦で、丸瓦なしで敷くことができ、今の一般の家屋でよく見かけられるものです。
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▲様々な瓦が使われている東兒山家住宅の屋根。
ギャラリートークの会場である兒山家の屋根も本瓦。火事除け巴瓦や厄除けの鬼瓦、兒山家の家紋の瓦もあったりと、実物を見ながらのお話はリアルで興味深いものでした。
お仕事柄全国の瓦について調査した西田さんによると、瓦や建築方法も地域によって非常に個性があるのだそうです。
「瓦も石見の赤瓦など地方の特徴的な瓦があります。地方によっては『白』の種類が何種類もある所、『灰色』が何種類もある所など、その地域の風土に根差した違いがあるんです」
瓦や伝統的な建築方法について知ると、街を歩く時も少し上を見上げて歩くのも楽しくなりそうですね。
■多くの人が訪れた
見学者は途切れることなく兒山家を訪れていました。ご近所さんの姿もありましたが、それだけではありません。
堺区から見学に来た高橋さん親子は、2年前に千葉から転居されたのですが、堺や関西の見所の多さに驚いているそうです。
「お寺や文化財の数が比べ物にならないぐらい多くて、しょっちゅう出かけているんです」
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▲文化財めぐりが大好きだという高橋さん親子。楽しみにしていた奥さんは体調不良で断念とのこと。ぜひ次の機会に!!
何しろ今回の兒山家の一般公開は12年ぶりということもあってか、申込が殺到したのだそうです。ボランティアの一員としてスタッフに加わっていた堺市文化財課の小林初恵さんによると、問い合わせの電話は鳴りっぱなしだったとか。
小林さんは、兒山家が登録文化財となる前から兒山さんから相談を受けるなど、10年以上の関わりがあるだけに、この日の一般公開は感慨深かったようです。
西村さんのギャラリートークを受けて、
「人がいてこそ、物に意味があるんだと思います。物だけあって人とのつながりがないと意味がないです。兒山家は色んな人がかかわっておられるのが一番いいと思います」
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▲兒山家とは長い付き合いの小林さん(右)。
この日も、日ごろから様々なボランティアとして兒山家に関わっている人々が、受付や誘導などで活躍していました。
ポストカードの販売をしていた大久保さんと吉村さんはどちらも10年以上の関わりがある長いお付き合い。
「ずっと来てますけど、3月にはひな飾り、夏には葦簀(よしず)を出して、いつ来ても新しい発見があります」
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▲絵葉書を販売していたボランティアの大久保さんと吉村さん。
兒山さん松尾さんも、ボランティアで活動してくれる仲間たちがくつろぎながら活動してくれるのが嬉しいと、感謝の気持ちを述べました。
「手伝ってくださる方、仲間を呼んで掃除などもしてくださる諸先輩方。『楽畑』で始めた『畑塾』の生徒で来られた方も、快く掃除をしてくださって。それにこの夏からボランティア受け入れ団体にもなったんですが、若い方が沢山来てくださるようになりました」
「新しい方が来てくださったのは大きかったと思います。新しい空気が入った。これまでは仲良しクラブになって最初の志から広がっていかなくて、今まで自分たちも閉じていたんだと気づかされました」
この日は、八尾からも兒山家と同様、古民家を文化財として公開している植田家の職員である谷口さんも来ていました。
「植田家は公開できる施設として改装しています。兒山家は実際に住んでいるということで生活感がすごいですね。それに地域の人と一緒にボランティアでやっていて、地域の人と一緒に風景を作り、町の記憶と一緒に次世代に残していくというのが素晴らしいです」
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▲八尾の植田家住宅からきた谷口さん(右)。「古民家同士のネットワークを築きたい」と松尾さん。
堺に残された数少ない田園風景。重みのある伝統文化の塊である兒山家と、そこに携わる多くの人々の有形無形の働きや思い。それらすべてが誇るべき、そして残すべき文化財なのだと気づかされた一般公開でした。
あなたも兒山家に、あるいはお近くの文化財と関わってみませんか? 過去の遺産を繋ぐだけでなく、今まさに現代の活動が未来の遺産となる貴重な体験を出来るのではないでしょうか?
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▲東兒山家住宅と陶器川の景観を守る兒山さんと松尾さん姉妹。
兒山家住宅
堺市中区陶器北1404
web:http://blog.zaq.ne.jp/nayamuseum/(ナヤミュージアム)

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