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最も美しい古墳を身近に感じて

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▲ニサンザイ古墳。画面向かって左が後円部、右が前方部になります。
堺の古い町を歩けば、路地の向こうに当たり前にある緑の小山。
古墳は、堺の日常風景に溶け込んだ存在。
世界文化遺産の登録を目指す『百舌鳥・古市古墳群』は堺市・羽曳野市・藤井寺市に広がる日本有数の古墳密集地帯です。
その一つ、巨大古墳にして「最も美しい古墳」のひとつと姿の良さを讃えられる『ニサンザイ古墳』で発掘調査が行われたのは、2012年の10月から13年の3月にかけてのこと。調査では、橋脚の跡らしきものが見つかるなど驚きの大発見が続き、古墳の堀に橋が架かっていたのでは? という復元模型も作られメディアを賑わしました。
この日、『ニサンザイ古墳』の近く、梅町自治会館にて「歴史たんけん堺 夏の講座『ニサンザイ古墳 見学と講演会』」が行われました。
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▲講師は、実際に発掘調査を行った堺市文化財課の土井和幸さん。『まちづくり出前講座』はニサンザイ古墳の大発見のお陰もあって、例年を上回る申込状況だとか。 ▲図版の資料もたっぷり。参加した子どもたちの夏休みの宿題もばっちり!?
まずは暑い日中を避け、土井さんの講演会がスタート。ついでニサンザイ古墳の周囲を土井さんのガイドで歩く見学会、という順序で行われました。
■そもそも古墳って何?
日本に16万~20万基ある古墳は形も大きさも様々。ニサンザイ古墳は、仁徳天皇陵古墳と同じ、前が四角(方形)で後ろが円形の前方後円墳と呼ばれる古墳です。
「古墳の形や大きさが違うのは、古墳時代の日本の社会体制を反映していると推測されます。一番大きな前方後円墳は大王のもの、それに継いで大きい前方後円墳は大王の下で力を持つ王たちのもの。小さな円墳は地方の豪族や有力者のもの」
ニサンザイ古墳には天皇は埋葬されていないとされていますが、全国8位の巨大古墳で江戸時代の資料などから類推して、反正天皇陵ではないか? という説も有力です。
●ニサンザイ陵は反正陵!?

ニサンザイとはミササギ(天皇陵)が訛った言葉ではないか? と言われています。また江戸時代には「反正陵」や「長谷山(はぜやま)」と記された文献もあります。また中国の文献に登場する「倭の五王」の時代とかぶるため、百舌鳥古墳群の巨大な前方後円墳は「倭の五王」のお墓ではないか? とも。

 

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▲堺で古墳が作られたのは4世紀後半から5世紀後半にかけて。ニサンザイ古墳は5世紀後半の最も新しい巨大古墳です。 ▲会場は梅町自治会館。主催の『大阪歴教堺支部&堺たんけんクラブ』のスタッフの方が道案内に立ってくださっていたので迷わず来れました。
「古墳の年代をどうやって判定するの? とよく尋ねられますが、それは古墳の形や、埋葬されていた副葬品・ハニワの形や作られ方など、色んな手がかりから古墳を比較して推定するのです」
そして、今回の発掘調査では、さまざまな発見がありました。
■1500年の時を越えて
調査は宮内庁と堺市の同時調査として行われました。ニサンザイ古墳は階段状に3段盛り土されていますが、宮内庁が調査したのは墳丘の1段目。堺市が調査したのは古墳を取り巻く堀の中です。
堺市の調査は堀の中。水を抜いてもすぐに乾かず、当初はヘドロとの戦いでした。
調査したのは2箇所。
方形と円形のつながるくびれ部分で「つくりだし」と呼ばれるでっぱりに接したエリア(S12)と、古墳を縦にまっすぐ貫く主軸線にある後円部の先端エリア(S1)。
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▲くびれ部分のS12 エリアは北側にあり、陽が当たらす厳冬期の作業は凍えそうでした。
S12エリアでは、掘り返した土の中から多数のハニワが発見されます。その一方、通常は段上の縁にぐるりと並べられるハニワが、宮内庁の調査した1段目からは見つかりませんでした。
「土に埋まっていた状況から、早い時期に上から堀に落ちたのではないか? と推測されます」
ハニワと一緒に不思議な形をした木製品も発掘されました。
「形が近いのは奈良の水晶塚古墳で発見された鳥形の木製品です。水晶塚古墳の周囲に柵をたて、上から吊したのではないかという説を唱えている方がいますが、水晶塚のものより大きくて別の使い方をしたのかもしれません」
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▲鳥形木製品だとすると、左にのびているのが尾っぽで、右が頭? ▲水晶塚古墳での想像図。神話で鳥は魂を表すことが多いので、呪術的な意味合いでしょうか?
他にも蓋型ハニワの飾りではないか? という説もありますが、堺には百舌鳥や鳳など鳥にちなんだ地名や伝説も多く、鳥形説にロマンを感じる人も多そうです。
驚きの大発見があったのは、S1エリア。
堀の斜面から整然と並んだ穴の跡がいくつも見つかったのです。古墳からこうした穴の跡が見つかるのは初めてのこと。
「最初から土の色が微妙に違って『何かあるな』とは思っていたんです」
しかし、穴は丁寧に埋め戻されており、発見するのは大変だったとか。そんな難しい痕跡に気づくとは、さすがプロの嗅覚です。土井さんの語り口にも現場の臨場感があふれます。
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▲薄く変色している土の所が発見された穴。穴は主軸線上より南側は60cm間隔、北側は90cm間隔。穴の形は上が広い角錐形をしていました。
斜面にそって縦3列と横7列に綺麗に並んだ穴。プロの勘はさらに働きます。主軸線を堀へと延ばした方向にも何かあるのではないか? と発掘する予定を変更。S1エリアを堀方向へと延長したのです。
狙いはビンゴ。
穴は掘の対岸へと続いていたのです。そればかりか、堀の穴からは、他の穴からは綺麗に抜き取られていたクヌギの柱材まで発見されたのです。普通は使わないようなクヌギが使われていたこともあり、何故そんなことをしたのか? と想像が膨らみます。
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▲みはら歴史博物館で展示されている復元模型は、北側が祭礼の場で南側が一段低い控えのスペースという建築学に基づく説によるもの。考古学的立場からは異説もあるそうです。
では、いよいよ現地へ出発です。
■歩いて実感、目で確かめる古墳
堀の水は古墳の緑を映し、強い日差しが水面に煌めいています。
古墳の周囲は公園と遊歩道が整備され、間近で古墳を楽しむことが出来ます。
スタートは前方部の主軸線上から。
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▲ニサンザイ古墳の堀は現在一重ですが昔は二重の堀があったことがわかっています。丁度今公園になっている部分に沿って外堀がありました。
現在全長290mとされるニサンザイ古墳は、堀の中に斜面が伸びていることがわかり、おそらく全長300m・全国7位になりそうだとか。そんな大きさを自分の脚で実感します。
周濠ぎりぎりまで民家が建て込んでいる古墳も多い中、堤の上を歩けるのがニサンザイ古墳の素晴らしさ。空の広さに、悠然とした古墳のたたずまい。
「ここがベストスポットですよ」
『ニサンザイ古墳』を愛して止まないスタッフの方がすすめるのは、堀の南東の角。右手には前方部が、左手には後円部が一望できます。
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▲左手を眺めると後円部。 ▲右手を眺めると前方部。

 

なるほど前方後円墳の独特の形状と、雄大さが一目でわかるニサンザイ古墳を「最も美しい古墳」と賞賛したくなる理由がわかりました。
後円部と前方部が8:6の割合で設計・築造されていてほどよいバランスの造形です。
そのままぐるりとまわって、くびれ部分。S12エリアの対岸で土井さんの解説を聞きます。
「つくりだし部分は今は台形ですが、直角の四角形であることがわかりました。高さも今は1段目と同じ高さですが、もとは一段低かったようです」
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▲右手が「つくりだし」。水面が影になっているくびれ部分が発掘したS12エリア。
古墳の表面を覆う葺き石が、堀の斜面にはほとんどない一方、石が重なって発見された所もあり「仮置き場だったのか上から流されてきたのか」……そんな発見も謎を呼んでいます。
表面が葺き石で白く輝いていた古墳も、時代とともに木々に覆われるようになりました。
「現在は樹木に覆われているニサンザイ古墳ですが、木の幹がどれも同じぐらいの太さで、それほど太くないでしょう」
古墳によっては、付近の住民の生活に組み込まれて薪などを取る場となっている場合もありました。ニサンザイは大正時代に一度はげ山になったこともあったとか。
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▲対岸にS1エリアを望んで。白く地肌が露出している部分が主軸線上で、手前に向かって橋が架かっていたようです。
見学会の終点は主軸線上の後円部、S1エリアの対岸。
古墳からこちらに向かって、一時期は橋が架かっていたかもしれない場所です。
橋は一体何に使われたのでしょうか。
古墳を作る材料を運ぶ作業路だったのか、それとも祭礼のための道だったのか……。
講演会と見学会には、地元の東百舌鳥中学校の新聞部の部員たちも参加していました。毎年11月には文化活動発表会があり、ニサンザイ古墳について発表するのです。
「今日学んだことを1人でも多くの人に伝えたい」
新聞部の部長、小川さんはそう語ってくれました。
地元の歴史や文化を再発見し、親しみを感じることが出来る会。こうして地域に歴史が受け継がれていきます。
大阪歴史教育者協議会堺支部&堺たんけんクラブ
堺市北区東浅香山町1-381
電話 080-2444-2098

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