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想い出を張り替える傘屋さん

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▲丁度作業中の日傘。
過ぎゆき、降り注いだ時の流れは、いつしか90年を越えていました。
『田守洋傘専門店』が生まれたのは大正8年(1919年)のこと、三代目のご主人田守照幸さんが生まれる10年ほど前のことです。
「大阪で個人の店で傘直しをやっているのはうちだけではないでしょうか」
骨の修理、持ち手の挿げ替え、傘布の張り替えといった仕事は、かつては行商の傘修理屋さんが仕事を請け負いました。
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▲作業場に置かれた道具の数々。使い込まれた風格を感じます。
『田守洋傘専門店』では、他にはない特別な傘布の張り替えもやっています。
「去年の夏には日傘が良く出たんですよ」
手に入れた良い布を張るだけでなく、時にはお客様が思い入れのある着物を傘布にする張り替えを依頼されてくることもあるとか。
「今では着物を着られる方は少なくなったでしょう。先日も亡くなったお姉さんの大切になさっていた着物を傘布として張り替えて、姉妹で分けられて形見にされたんです」
世界にただ一つしかない傘に、亡くなられた方の記憶が大切に受け継がれていくのです。
田守さんが大切に受け継いできたこのお店も、戦災に遭うなど大変な経験を経てきました。
「空襲の時に、こっちの壁は焼け落ちてしまったんです」
堺大空襲の時に、この辺りから海側へ逃げた人たちの多くは亡くなり、田守さんたちは三国が丘方面へ逃げたので助かったとか。
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▲傘を飾る向こうの壁が焼け落ちたそうです。焼け残ったお店は修繕され、今も現役なのです。
長年連れ添われた奥様の梅子さんは、
「棟を落とすのは寂しいので続けてきましたけど、お父さんが出来なくなったら店は閉めようと思います」
田守さんの技を継ぐ方はおらず、照幸さんの代で伝統の灯は消えてしまおうとしています。
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▲通りから入る扉をあけると、そこは田守さんの作業場。平屋に見えますが中2階があるという、伝統的な堺の町屋建築です。
田守洋傘専門店
堺区新町5-26
TEL    072-233-0613

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