選ばれし日本画の美術館~小林美術館(3)
阪堺線の浜寺駅前電停からも徒歩で行ける、高石市にある小林美術館は日本画の美術館で、全ての日本画の文化勲章受章者の作品を集めているという日本で唯一の美術館です。どうしてこんなコンセプトの美術館を作ったのでしょうか。展覧会の様子をお伝えした前篇・中編に続き、後篇では美術館の創設者である小林英樹館長にお話を伺いました。
■工学部出身の青年が経理担当に
2階と3階の展示を見終えて、1階のカウンターへ向かうと、小林館長が待っていてくれました。話は、小林館長の半生を振り返る所から。
――小林館長は堺市のお隣の和泉市出身で、大学は工学部で学んだそうですが、工学部の方が美術館の館長になるまで、一体何があったのかが不思議です。最初のお仕事はどんなお仕事をされていたのですか?
小林英樹(以下、小林)「大学を卒業して昭和41年に、阪田商会(現・サカタインクス)に入社しました。染料の会社ですね」
――染料の会社となると、まったく美術と無縁というわけでもないですか? 絵の具とか?
小林「ところが回されたのは経理の仕事だったのです。丁度、事務能率化のために、そろばんからコンピュータに移行する時期で、コンピュータの導入を任されたのです。IBMにするか、ユニパックの9300シリーズにするか……。事務の女性にコンピュータの使い方を教えるのも大変で、この仕事で家に帰ることが出来なくなって、会社に寮を作ってもらったりもしました」
――泊まりっぱなしですか。ものすごい激務だったのですね。
小林「そうですね。たしか9年間勤めたのですが、ある日血を吐いて28日間入院しました。十二指腸潰瘍になっていたんです。それで仕事を辞めた後は、色んな仕事をしましたね。調理師の免許をとったりもしました。そんな時に、妻の親の仕事を手伝うことになったんです。それも大手のインクの会社でした」
――新しいお仕事もインク関係。インクに縁がありますね。
小林「ええ。当時は、高度成長期でしたから、仕事はいくらでもありました。独立して小林塗料店(現株式会社小林塗料産業)を創業、妻と一緒に夜討ち朝駆けで働きました」
――どちらで開業されたのですか?
小林「和泉府中のいい所を紹介されて、家賃が高いのでどうするか悩んでいたんですが、親から価値があるから高いんだと言われてそこにしました。すると偶然なのですが、さをり織りの創始者の城さんがお隣さんでした。今の『さをりの森』に移転される前のことです」
――織る人の創造性が活かされるさをり織りは、城みさをさん(故人)が始めて、今や全国的に多くの方が楽しんでいますね。さをり織りも綺麗な色に染めた糸を使います。不思議な縁がありますね。
小林「徒歩数歩のお隣さんで、毎日挨拶をするような間柄でしたね。みさをさんの後を継がれた城研三さんとは同い年で、今でも交流があって、先日も観覧に来てくれました」
――「さをりの森」は今、和泉府中ではなくて、光明池の方にありますよね。小林さんの会社は、ずっと和泉市でお仕事を続けておられたのですか?
小林「いえ、道路の拡幅工事にひっかかったこともあり、高石市取石町へ移転して今にいたります」
■インクからアートへ
――塗料のお仕事を長くされていて、日本画に興味を持たれたというのはなにがきっかけなのでしょうか? やはりインクを扱っていたことと関係あるのですか?
小林「関係ありますね。インクは大きく4種類あって、建築、自動車、プラント、工業とありますが、うちは大体扱っています。インクには、こういう色見本があるのですが、色については学びました。染料と顔料の違いとか。その中で、日本画に出会い、衝撃を受けたのです。コンピュータでも色を使いますけれど、実物は画面で見るのとは違う。それで実物の絵が欲しいと思うようになったのです」
――モニターで見る色、ガラス越しに見る色は同じではない。ガラスケースに作品を入れない理由は、当初からの思いだったのですね。では、小林館長はどんな絵がお好きなのですか? 最初に買った絵はどんな絵でしょうか?
小林「艶やかな色彩の物が好きですね。美人画が好きで、最初に買ったのは、たしか伊東深水の「晩涼」という作品です」
――伊東深水も有名な日本画家ですね(ちなみに、伊東深水の娘は女優の朝丘雪路)。しかし、絵画をコレクションするということと、自分で美術館を作るということの間には、結構飛躍があります。何かきっかけや理由はあったのですか?
小林「昨年も嵐山に福田美術館がオープンして注目を集めました。この美術館のオーナーはアイフルの創業者の福田吉孝さんです。仕事柄、色んな企業とお付き合いをしてきたのですが、色んな業種の企業が芸術に貢献されています。私も、会社を代替わりする時期が来て、息子に会社を譲る時代になって、息子には息子のやり方があるだろうから、自分が会社に残るよりは、自分は新しい挑戦をしようと考え小林美術館を創設することにしたのです。妻も好きにしたらいいと。ただ、私は手伝わないよと。妻は仕事人間で、今日も会社に仕事しにいってます(笑)」
――ご夫妻でワーカホリックですね(笑) では、文化勲章受章者を集めるというアイディアはどこから出てきたのですか?
小林「いい絵が欲しいとは思ったのですが、油絵だと億の世界に行ってしまうので簡単には届かない。それで色々調べていたら、日本画の文化勲章受賞者は39名、文化功労賞19名がいて、その全てを所有している美術館は無かったんです。だったら、集めてみようと思ったんです」
■死ぬまで挑戦
――小林美術館は、文化勲章受章者の作品以外にも、随所にこだわりが感じられます。展示の中に、関西ピックアップアーティストという枠が設けられていましたね。どれもとても素晴らしい作品で印象に残りました。
小林「私には関西のアーティストを育て有名にしたいという思いもあります。今展示してあるものでは、岩田壮平さんの「花の下」。椿を描いたというのも芸術家の感性で、すごいすね。椿は、花びらを散らさずにそのまま落ちるから」
――浜寺公園の松を描かれた作品もありましたね。中津淳さんの「樹・大気」。中津さんは、このお近くの方なのですか?
小林「それがそうではないのです。以前から、浜寺公園に通ってらしたそうです。浜寺の松に感じる所があるようですね」
――近現代の日本画を支えてきた画家の作品を紹介するだけでなく、これからの作家さんをバックアップするということですね。
小林「ただ、お問い合わせも多いということもあり、ピックアップアーティストにはかなり厳しい条件もつけています。まず専門教育を受けているということ、大きな美術協会に所属していること。作品は50号以上でお願いしています。また普及活動として、子ども達向けにもイベントをしています。昨年は子どもを集めてうちわにペインティングをするイベントをしました。指導には京都美大の先生と生徒さんにしていただきました」
――小林美術館をきっかけに日本画やアートに親しむ人が増えて、後に文化勲章を受章するような作家さんも登場するかもしれないですね。では、最後に今後の目標を教えていただけますか?
小林「まず目標としては、日本画で人に喜ばれる美術館として、作品を求めていきたいと思っています。私はロータリアン(ロータリークラブ会員)なのですが、ありがたいことにロータリアンの方から、絵の寄贈をしていただくこともあります。今、文化勲章受章者の作品は最低1枚ずつ揃いましたが、2枚目を増やしていきたいですし、文化勲章が出来る前の円山派の絵も集めて紹介したい」
――充実していきますね。
小林「ただそうするには場所がない。美術館のスペースをもっと広げたいのですが、(隣接する)自宅を潰して広げるのは、さすがに妻も許してくれません。それ以外は、死ぬまでやったらええと言ってくれていますが(笑)」
――堺出身の島成園もいる三都三園の展覧会も企画されていましたよね。これからも、小林美術館ならではの展覧会が楽しみです。
小林「どれだけ前へ行けるか。具体的には、いかにメディアにPRできるかです。よろしくお願いします」
もちろん、つーる・ど・堺としても、微力ながらPRに協力させていただきましょう。
今回の取材で、小林美術館が単なる絵を飾る「ハコ」ではなく、美術館として明確なコンセプトをもっており、展覧会も観せるための工夫をこらして企画されていることがよくわかりました。次世代のアーティスト、アートファンを育む場としても注目です。
これまで日本画になじみが無かったという方も、気軽な気持ちで観覧に行かれてはいかがでしょうか。もちろん、学芸員解説のある日がおすすめです。
小林美術館
住所:大阪府高石市羽衣2丁目2−30
電話:072-262-2600
web:https://www.kobayashi-bijutsu.com/
開館時間:10:00 〜 17:00( 入館受付は16:30まで)
休館日:月曜日 (祝休日の場合は開館し、翌日休館)※展示替えによる臨時休館あり