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セカイのタンゲを知っていますか!?(2)

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「建築の神様」「セカイのタンゲ」と称された建築家丹下健三は、あまり知られていませんが堺に生まれ、幼少期を堺で過ごしました。丹下の生家が甲斐町であることを突き止めた建築士の柴田正己さんは、丹下を顕彰しようと仮の記念碑を作ったり、誕生日にイベントを開催するなど活動を続けていました。
柴田さんの主催する「明治建築研究会」で開催された講演会「幻燈で見る丹下健三あれこれ……」にお邪魔すると、柴田さん秘蔵の丹下建築写真を映写機で見せていただけることになりました。後篇では、都市計画をも手掛けた丹下の闇と、晩年の丹下と堺の間に繋がりがあったのではないかという柴田さんの仮説についてお伝えします。(→前篇
■破壊と創造が建築家の本能
「建築の神様」とまで言われた丹下健三の名建築でも保存には四苦八苦するのが、日本の建築を巡る貧困な文化状況です。しかし、それは文化の貧困さだけではなく、建築が内包する宿命のようなものがあるのかもしれません。たとえば丹下の代表作の一つに代々木体育館があります。
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▲代々木体育館(東京都渋谷区)。
「これこそ教科書に出る建築で、吊り構造で吊り橋のようにワイヤーで屋根を吊って話題になりました。オリンピックの時はプールだったのですが、その後蓋をして体育館になっています」
丹下が、話題になるような実験的な建築にチャレンジしたのも、大きな予算が動き注目を集めるオリンピックというきっかけがあったからでしょう。
「オリンピックは街を作り変えます。これは建築家にとっては大きいことなんです。古いものを作り変えるのは丹下さんもそうです。古いものを乗り越えて、新しいものを作るのが建築家の仕事です。過去を乗り越えて新しいものを作るのが使命です。だから私も先生から、中之島にはいいものがあるから学びなさいと、温故知新を薦められた。でも私は古いものの魅力に憑りつかれてしまった」
柴田さんが、古い建築の研究や保存に拘るのは、建築家としてはむしろ異端、少なくとも日本の本流とは遠いようです。それは柴田さんもわかっていることのようです。
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▲以前の中之島の様子。なお肥後橋は建築としては橋ではなくて、ダムになるとか。
「昔の中之島は名建築の宝庫でした。しかしどんどん高層化している。土地が高いから仕方がないのですが。これはまだ残っている丹下さんの電通ビル。東京本社も丹下さんでしたね。もっと昔はこの辺は明治の赤レンガだらけでしたが、古いものを全部残すわけにはいかない。それだと街が死んでしまう。新しいものと古いものをいかに残すか。都市計画の中で調和をしていくのかが建築家の仕事なんです」
世界中の都市計画に携わった丹下健三はその道でも泰斗で大きな業績を残しました。しかし、その出発点には汚点ともいうべき闇がありました。
■建築家の闇
東京都庁や代々木体育館と並び丹下を代表する建築として知られているのが『広島原爆資料館』です。
「当時の建築界は、アメリカのライド派とフランスのコルビジェはの2派があるのですが、丹下さんはコルビジェのお弟子さん筋になります。広島原爆資料館はコルビジェの提唱したピロティ、屋上庭園などを備えていて、コテコテのコルビジェといえます」
広島原爆資料館といえば、悲惨な原爆被害の実態を後世に残す平和の礎のような建物です。しかし、この建物こそが丹下の闇を形にした建物でもあるのです。
「この建築のもとになったのは、戦時中の昭和17年に学生時代の丹下さんが一等を受賞した『大東亜記念造営計画』コンペのプロジェクトなのです」
このコンペでは内閣情報局から丹下に賞状が出されています。これはよく知られた話で、NHKの番組で取り上げられたこともあります。
「番組でNHKが製作会社に作らせたCG画像がインターネットにアップされていたので見てみましょう」
参加者の1人がタブレットを取り出して動画を流しました。それは東京から直通の大東亜道路という道路を軸に、富士の裾野に作られた建築群でした。これは『大東亜記念造営計画』の名の通り、大東亜共栄圏の名のもとにアジア各国を侵略植民地化した大日本帝国を顕彰する施設だったのです。いわば戦争礼賛の施設であり、『広島原爆資料館』と真逆の性質をもった施設のためのプロジェクト案だったのです。
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▲広島原爆資料館(広島県広島市)。
動画以外にも、当時の新聞資料の報告もありました。
「昭和18年に、このコンペの受賞作品1等から3等も展示する『南方建築展覧会』が全国五都市で開催され新聞広告が出ています。このころは、もう戦局はかなり危うくて、ガタルカナル島は陥落し、4月には山本五十六元帥が暗号を解読されて機上する飛行機が撃ち落とされて戦死しています。そんな中、大阪高島屋はかなり力を入れていたようですね。新聞記事には東大大学院学生の丹下健三くんとして紹介されています」
南方建築というのは、日本が占領していた南方の植民地、仏領インドシナ、マレー、フィリピン、東インドシナ地域の宗教建築、民家、現代建築のこと。それらの写真を展示した展覧会において、受賞した丹下の図面が展示されたことは、やはり軽視できないことのように思えます。
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▲質問に答える柴田正己さん。

別の参加者から質問がありました。
「柴田先生。CGの建物と原爆資料館の建物は随分違うように見えますが」
CGの中の建物は神社の社のようなデザインに見え、コルビジェスタイルの原爆資料館とはかけ離れています。
「建物自体は違う設計ですが、レイアウトがそのまんまなんです。大東亜記念造営計画のコンペを元に、平和のものを作ったのは疑問がありますし、その事について丹下さんは一切何も言っていません。戦時中の建築家はみな、そっちに乗って軍の仕事をしていました。戦後は平和だとしゃあしゃあ言っている。そういうことも歴史の断面として残していかねばならないと思いますよ」
これこそ丹下健三に限らず戦時中の建築家の、今風に言えば「黒歴史」です。しかし、誰もがそうだったから、と目をつぶるわけにはいかない。あったことをなかったことにはできない。それも過去を大切にする柴田さんならではなのかもしれません。

■丹下健三、故郷へ帰る
この日の公演は、南海高野線「北野田」駅直結の堺市立東図書館内で開催されていましたが、公演の重要なトピックの1つは、「丹下健三による幻の北野田再開発計画」です。
20年以上前に柴田さんが新聞で特集記事を見たという記憶が根拠なのですが、切り抜き記事が見つからず、新聞社に問い合わせてもよくわからないのだとか。
この計画があったとすればいつ頃のことなのか。「丹下健三の幻の北野田再開発計画」は柴田さんの記憶によれば、北野田でボーリング調査をしていた温泉を計画に取り込んだものだったそうです。
「平成元年の12月に温泉の試掘が終了しているんです。この時、温泉が出て煙も出て、見物人も出たので覚えている方も多くいます。その後、今の再開発計画は平成3年に準備委組合を結成という記事があり、平成6年には大阪府が今の計画案で可決しています。この計画はツインタワーのあるほぼ今の形なんです。すると丹下健三の幻の計画は、平成元年か2年の事になります」
本当に幻の計画があったのか、柴田さんたちは調査中です。
「当時、再開発委員会のメンバーだった方を探して取材したのですが、丹下健三の名前を見たという方がお1人おられるだけなんです。1人だと証拠にならない。最低2人いないと、思い違いの可能性もある」
なにか記憶や情報のある方がいないか、柴田さんたちは情報提供を募集しています。
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▲堺市立東文化会館。平成6年の計画には、ほぼ同じような形で商業施設と一体化した文化会館についての記載がある。

柴田さんが「幻の丹下健三の北野田再開発計画」に注目しているのは、丹下と堺を結ぶ線を探しているからです。
「私は丹下健三には、堺を故郷だという思いがあったのではないかと思うのです。丹下さんが死ぬ前に書かれた本の中で、東大の藤森先生のインタビューで堺で生まれたという話が載っていました。みなさんの協力でここまではやりたい。あとは若い人にバトンタッチをしたいと考えています」
この日も講演会のあとに柴田さんは病院へ向かわれました。古い建築の保存や丹下健三の顕彰を訴えるなど様々な活動の終止符と、次世代への引き継ぎを考えられているのでした。
「私が年寄だから言うのではないのですが、年寄を大事にすることと、建築を大事にすることは一緒じゃないかと思うんです。年寄が生きてきた経験をもっと大事にすべきだと思います。費用対効果で考えたら年寄は邪魔かもしれない。古い建築も確かに機能性や耐震性に劣るかもしれない。しかし、古いものに手を入れて、支えていかないといけないと思うんです。というのも今の時代、資材を無駄に使うことによって、建築家も温暖化の問題の一端を担ってしまっているからです」
古い建築の保護を訴える理由の一つには、建築家たちの罪を柴田さんが自覚しているからでもあるのでしょう。丹下が黒歴史と向き合わなかった事を思う時、柴田さんの活動は高い倫理性を感じます。
柴田さんが最後の使命と情熱を燃やす丹下健三の幻の北野田再開発計画の調査と生誕顕彰の記念碑の設置は、果たして叶うのでしょうか。

明治建築研究会
問い合わせ:09042891492(代表:柴田正己)

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