職人はフロンティアへ挑む

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■工場育ち
中西製作所は、中西正人さんの父・吟(あきら)さんが興した鉄工所です。
「父は奈良の天理出身で職人として大阪で就職して会社の寮暮らしでした。僕も寮育ち、工場育ちで、父が独立したのは僕が小6の時ですが、僕はもっと小さな頃から工場をうろうろしていて、小5の頃から溶接したりしていました」
そんな中西さんでしたから、工場の仕事を継ぐのは自然なことだと思っていました。しかし、高校卒業後中西さんは少し変った進路を選ぶことになります。
「4年間大学に行くか、1年間外国に行くかどちらか選んでいいと親から言われました。元々英語が好きだったので、外国で英語を勉強したいという思いがあったんです」
普通に大学に行くよりもと、中西さんはロンドンでの語学留学を選びます。
「どうしてもロンドンに行きたかったわけではなくて、母の伝手があったからロンドンにしただけなんです」
しかし丁度、アートの新しいムーブメントが起きた後で、ロンドンは元気な時代だったようです。若い中西さんは大いに刺激を受けたのではないでしょうか。
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▲中西さんお気に入りのパイプ曲げの機械と。

帰国後、中西さんは別の会社の工場で1年間修業してから、中西製作所の社員として職人の道を歩み始めます。
「同い年の友達が大学で楽しそうにしているのを横目で見て、正直羨ましかったりはしました」
 モラトリアムと引き換えに叶えた語学留学ですが、現在の仕事でキャリアとして役立ったりしているのでしょうか。
「最近の堺の包丁ブームで、近所の刃付け屋さん(包丁職人)にニューヨークやヨーロッパからシェフが包丁を買いに来たりすると呼ばれて通訳したりします。でも、うちが海外と取引をしたりするわけじゃないですから仕事で英語を使うことはないです。仕事関係の人と飲みに行った時に、偶然お店に外国人がいたりすると仲良くなって話してると『英語しゃべれるの!?』と友達に驚かれたりするぐらいかな?」
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▲中西製作所ではロボットも活躍していました。

中西さんが社会人になりたての当時はバブル景気でいくらでも仕事のあった時代でした。
「経営や資金繰りを考える立場でなかったこともありますが、そんなことを考えるヒマなんてなかった。土日祝も休みなく働いていました」
とにかく寝る間も惜しんでがむしゃらに働いた日々でしたが、そんな風向きもすっかり変わってしまいます。バブルの崩壊、そしてリーマンショックです。
「鉄工場だけでなく、堺市全体が大変なことになりました」
■堺プロジェクト始動
中西製作所は、なんでもできるという強みのある鉄工所ということもあって、それまで多くの仕事がありました。
「切る、潰す、穴をあける、曲げる、溶接する。パイプに関することならなんでもできました。創業当時は脚立を手始めに、椅子、机、傘立てなど事務什器が良く出ましたね。健康器具もやったし、大手自転車メーカーの自転車やバイクのサドルや補強フレーム、飾りフレームもやりました」
しかし、リーマンショック後は、海外の安い部品に押されたこともあって、大不況に落ち込みます。
「大手もラインを縮小したりして仕事がなくなりました。うちでも生き残りをかけて鉄骨に手を出したりしたんですが、勝手が違ってなかなかうまくいきませんでした」
この困難な状況の中、父から工場を継いで、二代目になった中西さんは、生き残りを考えなければならなくなります。
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▲製作から組立梱包まで中西製作所では幅広くおこなっています。

転機になったのは2012年のことでした。東京ビッグサイトで開催されたスポーツ関連の展示会すぽるテック」に中西さんは仲間と立ち上げた「堺・プロジェクト」で出展します。「堺プロジェクト」とは、同じ堺のテントシートの東野朝商店、レーザー加工のRAY-ZEST(レイ・ゼスト)と組んだ工業コラボレーションです。
出品したのは、シート巻き取り器。まさに「スポルテック」などのような大型イベント開催時の会場の床に敷くシートを巻き取る機械です。従来のものは電動式で重くシートの保管もかさばりました。しかし「堺・プロジェクト」で開発した「SHEETON」は手動式で軽く取り回しが簡単で、保管もそのままできて場所もとらないすぐれものでした。
「堺の施設や、国の組織でも購入いただきました」
この「SHEETON」は、堺市産業振興センターの”堺発オリジナル商品魅力アップ支援事業”として開発されたものでした。

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▲堺・プロジェクトの活動で様々なプロダクトも開発しています。携帯やメガネ置きになる製品も卓上置きに便利そうです。
翌年も、この支援事業として、中西さんたち「堺・プロジェクト」は新製品の開発に取り組みます。
「戦略企画プロデュース 福村環境デザイン研究室とも協力して、簡易ベッドを開発しました。当初はアウ
トドア用にと考えたのですが、防災ニーズに応えて、持ち運びもできて、担架にもなる帰宅困難者用簡易ベッドにしたんです」
メッシュ加工の生地はシートが専門の東野朝商店さんが、ベッドを支えるフレームは中西製作所が担当しました。それぞれプロが手がけたこのHAS防災用簡易ベッドは、携帯簡易ベッドとはいえ寝心地も良く、ハンモックのようだとの評判です。
「実際、よく売れましたが、売上だけを目的にしているわけではないんです。スポルテックのようなところに出展したり、福村環境デザイン研究室のようなところと一緒にやることで、色んな人に知ってもらって本業につなげていくことが大切なんです」
堺市や国の施設や機関が取引先になったことや、広くデザイナーと知り合えたことも大きな収穫でした。
■未知の分野への挑戦に躊躇はない
中西製作所では、それまでなかったデザイナーのプロダクトも手掛けるようになりました。
「岡山の木工屋さんとコラボした製品では、鉄の部分を担当しました」
事務用の什器と違い、店舗用のハンガーや照明などデザイン性が強くもとめられる製品です。洗練された木工のデザインに合う鉄製のパーツですから、デザイン性や仕上がりも強くもとめられます。
「デザイナーのこだわりはものすごく細かい。照明の土台の部分なのですが、土台の鉄板の角度のわずかな違いにも注文がつきました」
事務什器とはまったく別の価値観が要求される仕事に対しても、中西さんは技術にかけて応えました。
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▲デザイナーこだわりを形にした照明の土台。

得意の技術を使って新しいジャンルに挑戦した中西さんですが、経営面でも成果はあったのでしょうか?
「『失われた20年』と言われてきましたが、ここ数年でようやく取り戻せてきたように思います。町工場自体が良くなってきました。たとえば建築の内装の仕事が増えてきたり、デザイナーの発注の量も増えてきました」
昔とは時代も違うし、中西さんも社長となって会社を預かる立場です。
「今できることをやっていって生き残ること、将来につなげること。今の内に何が出来るかを大事にしてやっていくことが大切だと考えています。だからアーティストとのコラボレーションの話があった時も抵抗はなかったです」
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▲アーティストのフジオカヨシエさんの堺をテーマにしたアート作品「SAKAI KIT」の製作にも協力。作品は町屋博物館山口家住宅に展示され、好評を博しました。
未知の分野に飛び込むことを躊躇しないのは中西さんの強みなのではないでしょうか。10代の頃に大学ではなく、海外留学を選んだのも、そんな中西さんの萌芽だったかもしれません。「英語は役立っていない」と言う中西さんですが、フロンティアに飛び出す精神が今の仕事にも受け継がれているのではないか? そんな風に思えるのでした。
株式会社中西製作所
住所:堺市堺区三宝町2丁138−2
電話:072-229-1812

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