「堺を知る和体験-Chirin-」後編

 

 

堺市堺区にある環濠エリアは、中世の自由都市堺をルーツとするエリアです。大坂夏の陣で豊臣方のある武将によって町が燃やし尽くされてしまった後、徳川家康の命によりある武士が陣頭指揮をとって再建しました。これが「元和の町割り」と呼ばれ、現在の環濠エリアの区画は、それをほぼそのまま引き継いでいます。
前回に引き続いて、今回ご紹介するのは、つーる・ど・堺と同じホウユウ株式会社グループのゲストハウス知輪、併設カフェの紙カフェを拠点としたまち歩き体験「堺を知る和体験-知輪」のご紹介です。
紙カフェがあるのは、地図でいうと環濠エリアの中心を南北に通る電車道(大道筋)から、阪堺電車の軌道が分かれるあたり。大道筋は街道としては紀州街道とも呼ばれ、紙カフェはその紀州街道に面しています。
前編は紙カフェから紀州街道を北へ向かい、戦前、中には江戸時代からある古い町屋・町屋敷に加え、令和になって再生された町屋を巡りながら、職人の町としての堺をそぞろ歩きしました。後編は、南へと足を向けます。目指すは古寺名刹が並ぶ寺町筋です。
案内人は紙カフェ店長の松永友美さんです。

 

 

■時を超える静謐の空間「月蔵寺」

 

 

 

錦之町の北端から道を折れ曲がると、道幅の広さと土塀が印象的な寺町筋に入ります。
寺町筋は、環濠エリアの東端で、土居川公園沿いに南北に続く区画で、その名の通りお寺がずっと連なっているのです。その中から、最初に足を踏み入れたのは次の柳之町にある月蔵寺さんです。日蓮宗のお寺で、号は青陽山。月蔵寺さんの土壁は独特で、埋め込んだ瓦が顔をのぞかせる瓦壁になっており、この瓦は大坂夏の陣で廃墟になった家屋の瓦が使われているとか。そして、山門(正門)を通り過ぎて脇門から入ると、
「えっ」
と思わず声が出てします。目の前には、思いもよらぬ美的空間が広がっていました。
日本庭園という言葉でくくってしまっていいのかどうか。鏡のような水面と、その向こうには半円の屋根をした、現代建築の東屋。お寺というよりは、美術館の中庭にでも迷い込んだかのようです。
それもそのはずです。この場所は堺を代表する空間デザイナー間宮良彦さん設計によるもの。夜ともなれば、水面には月が浮かぶ霊園「日月園」。その水は東屋の方から流れてくるのですが、それには意味がありました。
「ここでは樹木葬になっているのですが、供養の期間が過ぎた後に、荼毘にされて、また水とともに自然に還っていく。ただ綺麗にされただけじゃなくて、輪廻していくことがちゃんとコンセプトになっているんです」

 

▲月蔵寺の日月園。夏にはこんな涼し気な集いも。

 

そして、この霊園の片隅にひっそりと、ある歴史的人物二人の石碑がたたずんでいます。
一人は、豊臣家の武将・大野治胤(はるたね)。大野道犬の名でも知られています。
彼こそは、大坂夏の陣で堺の町に火を放ち破壊した張本人。夏の陣が終わってから捕らえられた大野道犬は、一説には恨み骨髄の堺の人に引き渡され、壮絶な最期を遂げたとされています。
もう一人は、風間六右衛門。
彼こそは、壊滅した堺の町の再建を陣頭指揮した人物。「元和の町割り」で、かつてあちこちに点在していたお寺を寺町筋に集約させたのは、風間六右衛門です。しかし、日蓮宗の熱心な信者であった彼に対し、割り当てられた敷地で日蓮宗の寺が優遇されていると非難が巻き起こりました。事情説明のため江戸へ向かい旅立ち、堺の環濠を出てすぐに風間六右衛門は切腹して果てたのでした。
「堺の破壊と再生がこの距離で並んでいるというのもすごい話です。それがお寺の中だというのも救いだったりするのではないでしょうか。当時のご住職さんすごく心の広い方だったのか、やんわりとした優しさがある空間です」
月蔵寺さんのもう一つの見所は、日月園と地続きの本堂前のお庭。季節の花が咲く見事な和の空間で、着物を着た参加者のカメラ撮影をさせていただくこともあるとか。

 

▲同じく月蔵寺の日本庭園。※カオナシさんは常在しているわけではありません。

 

■堺町衆の心意気

▲大道筋沿いにある史跡郷学所跡の石碑。

 

寺町筋をさらに南へと下ります。お隣の九間町にあるのは堺市立錦小学校。創立は明治時代4年(1872年)で、堺市で最も古く、日本でも指折りの歴史を持つ小学校として知られています。それだけ早期に小学校が出来たのは、実は明治以前から堺に教育熱心の下地があったからなんです。松永さんは、小学校を横目に歩きながら、こんな話をしてくれました。
「堺は商家が多くて、寺子屋が盛んだったんです。寺子屋には商家の子だけでなく、丁稚奉公で他所からやってきた子どもたちも通いました。読み書きそろばんに、堺の町名の歌を覚えたり。それは早く商売の役に立つ人材になってもらおうという理由がありました。しかし、それだけでなく寺子屋とは別により高度な教育を受けられる郷学所というものを作っていたんです」
郷学所では、儒教教育などの教養や知識を身に着けることができたようです。商売人にとって、文化的な素養を持つことが大切だと堺の人は考えていたのです。
「だけど、権力は下々のものが智恵をつけるのを嫌い、維新期に廃止されてしまいます。それに対して堺の人々は危機感を覚えて、子どもたちが学ぶ場を作らせてほしいと嘆願して復活します」
こうした町の人たちの情熱は、日本で最初期の初等教育学校設立へと結びつき、今も小学校として続いているのです。権力の言いなりにはならず、自分たちの手で文化を守る堺町衆の心意気の結晶が、この錦小学校だと言えそうです。
なお、現存する寺子屋の建物としては、(前編で歩いた)鉄砲屋敷の裏にある清学院があり、当時の子どもたちが学んだ文机も残っています。また神明町の大道筋沿いには、郷学校跡が史跡として残されています。

 

 

■壮麗なる大伽藍本願寺堺別院

▲本願寺堺別院、通称「御坊さん」。向かい合ってる銅像は親鸞聖人と蓮如上人。

 

さて、次に訪れたのは神明町にある本願寺堺別院、通称「御坊さん」です。こちらは浄土真宗のお寺。本堂は堺市にある木造建築としては最大のもの。天を圧する巨大屋根、壮麗な大伽藍です。圧巻の大屋根は、堺別院のウェブサイトでドローン空撮の動画で堪能できるので、ぜひ見て欲しいというのが松永さんのおススメ。
そして、松永さんの推しポイントの一つが、鐘楼です。もっといえば鐘楼につられている梵鐘です。
「この梵鐘は河内鋳物師の手によるもので現存する堺市内最古の梵鐘です。刃物の町堺というのは突然出来たわけではなく、流れがある。それ以前から鉄と関わって来た歴史がある。その証といえるのが、ここの鐘楼です」
河内鋳物師とは、平安時代後期から室町時代が活躍の最盛期とされる鉄の技術者集団です。堺打ち刃物のような叩いて作る鍛造に対して、型に流し込んで作るのが鋳物。大坂夏の陣後に、焼失した釣鐘を模して再建されたというこの梵鐘は、中世の面影の濃い逸品です。

 

▲1000年以上前から続く鉄の技術者集団河内鋳物師の手のよる梵鐘。職人の町堺の伝統は昨日今日出来たわけではない。

 

靴を脱いで本堂にあがります。中では丁度お勤めの最中だったようなので、本堂内には入らず幅の広い廊下を歩いてみます。これだけの名建築ですが、観光客らしき姿はあまり見当たらず、人影はまばら。沢山の人たちに知ってほしいという気持ちがあると同時に、この静けさを大切にそっとしておきたいという気持ちにもなります。

 

▲本堂内陣には、堺らしい南蛮船の襖絵。

「ここは明治時代に14年だけあった堺県の県庁としても使われていました。ここに来ると色々想像するんですけれど、もともとは何宗ともいえないような人々の小さな祈りの場だったものが、人々が集まってくる。お寺も戦争で燃やされて、また建て直されて人が集まる。人が集まるとそれは力を持つということだから、それを目当てにまた人が集まってくる。明治になると、堺がどんどん衰退している時に、なぜ堺県が出来て、ここは宗教施設なのに県庁になったんだろう。それはまるで蝋燭の火が燃えつきる寸前に炎が大きくなるような瞬間だったんじゃないだろうかとか、とても感傷的になるんです」
県庁であったお寺が他にあるのかはわかりませんが、とてもレアなケースではないでしょうか。

 

■コーディネーターの町 堺

 

▲歩きつかれたら「つぼ市製茶本舗」さんでティータイムも。「茶の湯の町」堺はお茶屋さん、和菓子屋さんも数多い。

このまま南下をつづけると織田信長と因縁のある「夜泣きの蘇鉄」の妙國寺や、ずっと下れば「実は大坂夏の陣で死んでいた徳川家康」のお墓がある南宗寺など、まだまだお寺はあるわけですが、今回はここで折り返します。帰路の道すがらも、今後できる予定の町屋を利用した店舗についてお話を伺いました。
こうして松永さんのお話を聞いていると、何も知らないとただ通りすぎてしまうだけのお店やお寺、町の一角にも歴史が眠り、文化的、芸術的、あるいは個人にとって価値のあるものが隠されていることを知ることができます。
職人の町、商売の町、宗教の町、貿易の町、長い歴史と様々な顔を持つ堺にはどれだけの隠された財宝が眠っていることでしょう。
最後にこんな話をしていただきました。
「河内木綿の布団にしても、包丁にしても鉄砲にしても、堺では一人の職人さんが一人で作り上げるのではなく、複数の専門の職人さんが関わっていました。包丁一つでも、包丁を打つ鍛冶屋さん、刃を付ける研ぎ師(刃付け)さん、束を作る人、束をはめる人がいました。だとすると、この注文だったら、この人の包丁を、この職人さんに刃付けしてもらって、束はこの人みたいにコーディネートした人。今私たちがやっているような、プロデューサーがいたはずなんです。高島屋に着物のプロデュースを任された与謝野晶子さんも、そうだったはずです。糸はどこそこの糸、染めるのはこの職人さん、図からはこのデザイナーさん、織るのはこの機織りさんにと、いった具合に。今でも、堺には色んなものがあるけれど、それを点で紹介するのではなく、繋ぎ合わせて流れを作っていくことを大切にしたいと思っています」

 

▲「つぼ市製茶本舗」さんでお食事も。かけ合わせて楽しむ総合芸術の茶の湯もミクスカルチャーの町堺があればこそ。千利休も与謝野晶子もアーティストにしてプロデューサーでした。

 

松永友美さんのプロデュースする「堺を知る和体験-chirin-」。松永さんの深い堺愛と、プロデュース力によって唯一無二の体験ができるツアーです。堺未体験の方だけでなく、堺にお住まいの方や堺好きの方にもおススメです。

 

 

紙と堺と古墳のお店 紙カフェ
住所:〒590-0925 大阪府堺市堺区綾之町東1丁1−8
web:https://kami-cafe.jp/
電話:0722274619

 

月蔵寺

住所:〒590-0933 大阪府堺市堺区柳之町東2丁2−7
web:http://www.gatsuzouji.or.jp/

 

本願寺堺別院

住所:〒590-0935 大阪府堺市堺区神明町東3丁1−10
web:http://www.sakaibetsuin.or.jp/

 

郷学所跡

住所:〒590-0934 大阪府堺市堺区九間町東1丁1−9

 

 

茶寮つぼ市製茶本舗

住所:〒590-0934 大阪府堺市堺区九間町東1丁1−2
web:https://tsuboichi.co.jp/store

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