「堺を知る和体験-Chirin-」前編
古い街道沿いに、つーる・ど・堺がプロデュースする「紙カフェ」と、親会社のホウユウ株式会社がそろって引っ越しをしてから、何年かの時間が過ぎました。新しくなった「紙カフェ」にも、併設したゲストハウス「知輪」にも、沢山のお客様をお迎えし、和風建築を意識したお店&社屋の外観も、すっかり町の風景に馴染んできたように思えます。
さて、今回は、この紙カフェや知輪を拠点とした様々な活動から、いわゆるまち歩き「堺の和体験 -知輪chirin-」を前後編でご紹介することとしましょう。
この「堺の和体験」は、「知輪&紙カフェ」を拠点として、長い堺の歴史が今も息づく環濠(かんごう)地区をまち歩きします。堺を代表する歌人・与謝野晶子の少女時代をイメージしたコーディネートした着物で、町屋や古寺のある街並みをそぞろ歩き。プロカメラマンによる撮影会や、堺伝統のお茶や和菓子作りなどの体験も可能となっています。
今回は、案内人の松永友美さんに、モデルコースを案内していただきました。
■祈りの道から始まったコットンロードを歩く
紙カフェが面する道は、大阪と和歌山をつなぐ紀州街道として知られています。江戸時代には参勤交代のお殿様たちも通った道ですが、もともとは住吉大社に参詣するために出来た道でした。わずか4キロほどの道が、後に関西の大動脈となったのです。その理由について、松永さんはこんな話を紹介してくれました。
「この道の並びには、今もふとん屋さんがありますが、昔はもっとふとん屋さんが軒を連ねていました。それはなぜかというと、大阪南部では河内木綿の栽培が盛んで、紀州街道を通じて木綿が集められ、堺は木綿の集積地となっていました。お店のある綾乃町とお隣の錦之町の地名に残るように、かつては織物職人さんが沢山いたこともあり、ふとん産業が盛んになったんです。古代のローマからアジアをつなぐ道はシルクロードと呼ばれましたが、私はこの道をコットンロードを呼びたいと思うんです」
堺の北の入り口で、今でも刃物職人さんの工房が軒を連ね、老舗の洋服屋さんやパン屋さんといった個人商店が多い、職人と商人の町。そんな空気に浸りながら、道を折れて、街道から町中へと分け入ります。
■令和に再生した町屋の眼福
環濠地区の中でも、北部は古い町屋の多いエリアです。太平洋戦争末期の堺大空襲で堺が炎に包まれる中、奇跡的に焼け残った地域なのです。戦前や明治、中には江戸時代の建築物に出会うこともありますが、時代を重ねるうちに空き家となり、朽ちるに任せるようになった建物も少なくありませんでした。ほってはおけないと町の人が手弁当で修復した町屋もありましたが、次々と町屋は取り壊され、崩壊速度に回復速度はなかなか追いつきませんでした。それが、令和の時代になって、再び様相が変わってきたようです。
「堺市の歴史的なまちなみ再生を目指して助成金の制度を作りました。それを利用して綺麗にされた町屋が随分増えたんです。そんなわけで再生された町屋をいくつかご案内しています。堺の町屋には独特のものがあり、たとえば道に面した格子は、泥棒除けもありましたが、外観が美しい」
堺の格子は、家の壁の外にもう一つの壁のように建てられています。防虫・防カビの効果を狙って炭のように黒く焼いていますが、それがまた落ち着いた大人の表情を見せています。近づいてみると、格子の表面には複雑な細工が施されており、とても手が込んだものです。大阪の「食い倒れ」に対して、堺は「建て倒れ」と言われるのですが、その面目躍如です。
端正な三角の切妻屋根に、本瓦葺(ほんがわらぶき)の幾何学美。中には職人技のさえる漆喰細工や銅の緑青が映える雨どいや壁といった、古い建物好きには楽しい道行です。
特に大きな見所は、2024年3月に町屋博物館としてオープン予定の、堺鉄炮鍛冶屋敷でしょう。江戸時代になっても日本の鉄炮生産で最大のシェアを誇った堺の鉄炮鍛冶、その中でも筆頭の職人だった井上家の御屋敷が堺市に寄贈され、博物館としてよみがえろうとしています。
井上家は、少し不思議な歴史を持つお家です。鉄炮鍛冶でありながら大洲藩(愛媛県大洲市)加藤家の家臣でもあったため、お殿様を迎えるための正門があり、それも見事に再建されていました。外観だけでも堺建築の美しさが堪能できますが、本物の火縄銃や工具類、内装の建具も素晴らしいものなので、来年のオープンが待ち遠しいですね。
「堺市が本気を出した」
とは、松永さんの弁です。
助成制度の方は終了してしまったそうですが、実際にまちを歩いてみると、その制度でどれほどまちの景観が良くなったかが実感できます。ぜひ第二シーズンをやるべき制度ですね。
■手仕事の伝統と古い町の人情に触れる
旅の楽しみの一つは、旅先でしか手に入らないお買い物。「職人の町・堺」には数々の伝統工芸が販売されていますが、ここでおススメしたいのは「お香」です。環濠内最北端の北半町にある創業明治20年という老舗のお線香屋さん「薫主堂」は、店舗も戦争を生き延びた町屋としても飛び切りのものなのですが、お線香がなんといっても別格に素晴らしいのです。そもそも全て手作りというものは日本ではもうほとんどなく、中でも「薫主堂」のご主人・堺で最初の線香マイスターに認定された北村欣三郎さんの手作りへのこだわりは徹底したものなのです。
古い引き戸を開けてお店にはいると、奥から声がします。こちらも名乗ると、少しして笑顔の女性が姿を現しました。現れたのは、奥さんの北村徳美さんです。欣三郎さんは、奥の工房でお仕事中でのよう。自然にお線香片手に徳美さんからお話を伺うことに。人気の梅の香りのお線香が、なんとも上品な香りですが、それもそのはず。
「梅をすりおろすところから、主人が自分の手でやっているんですよ」
いくら手作りといっても、そこまでこだわっているとは。機械化、合理化でともかく安い線香を作れといわれる中、本物の線香を使って欲しいという信念をずっと貫いてこられたのです。本当にいい材料を使い、丁寧な仕事で作られた薫主堂のお線香は、中身に比してお手頃価格だったりもするのです。徳美さんからは、お線香のことからはじまって、お嫁に来てからの薫主堂のあれこれを教えていただきました。
こういう風に町と共に、伝統と共に歩んでこられた方とのおしゃべりも、まち歩きの大きな楽しみでね。
■路地の風情に浸る
さてコース前編のとりを飾るのは、松永さんお気に入りの路地です。
「六間筋というけど、六間というのは道幅のことじゃなくて、道の(一区画の)長さのことなんですね。六間(約55メートル)も幅がないので、どういうことなんだろうと思ってたんですけど」
本通りの間に挟まる路地というスタイルは、実は江戸時代からのもの。堺の町は大坂夏の陣の時にも丸焼けになっており、その後に再建された「元和の町割り」を、今の町はほぼそのまま踏襲しているのです。古い町屋もあれば、今やレトロを感じさせる昭和の一戸建て、平成に入ってからのしゃれた構えのお宅もあれば、再建された町屋を利用した店舗や施設もある。江戸時代から始まって、明治、大正、昭和、平成、令和までを一度に見ることができる、時の入り混じったような雑然とした風情がまた面白いと、松永さんは言います。
「堺の和体験」前編、いかがだったでしょうか。紙カフェをスタートして、北のエリアをぐるりと一回りして大体一時間のコースです。「薫主堂」さん以外にも、刃物屋さんや町屋を利用した店舗に立ち寄ることも可能なので、そこは松永さんと要相談。お好みをリクエストしてくださいね。
そして、後編は南に足を向けます。こちらは面持ちがまた違う、古寺名刹が並ぶ寺町筋を訪ねます。