『堺事件 時代に翻弄された若者たち』レビュー(2)

 

時代は江戸から明治へ。権力が江戸幕府から新政府へと移行する、まさにその狭間の混乱期に起きたのが堺守護の土佐藩士とフランス水兵の間に起きた堺事件でした。事件から150年たって、事件を風化させてはならないと「堺事件を語り継ぐ会」が発足して様々な事業が始まりました。その一つである記録映像の制作の成果として生まれたのがドキュメンタリー作品『堺事件 時代に翻弄された若者たち』です。
前回に引き続き、作品の内容に触れていきましょう。

■堺事件の現場を巡る

 

▲大坂から和歌山へ通じる紀州街道。大和川にかかる大和橋で堺事件第一の衝突が起きた。

堺市博物館の学芸員白神典之さんと、テーマ曲を作曲されたかとうかなこさんの二人が次に足を運んだのは、堺事件第一の現場大和橋です。この大和川に架かる橋は、紀州街道にあたり大坂から堺へと入る当時は唯一の橋でした。
2月15日に起きた堺事件の前日の2月14日にフランス海軍のロア艦長らが堺を訪れるという知らせが、堺の町方に伝えられたのですが、なぜか堺奉行所の土佐藩士たちには知らされていませんでした。町方から情報を聞いた土佐藩士たちは、正規ルートから申し入れがなかったことにカチンときていたのか、大和橋でフランス水兵と随行の日本の役人たちに難癖をつけて追い返します。
ロア艦長たちは、陸路堺入りをして見物し、3時に堺港に迎えにきた軍艦と合流して帰るという計画をたてていました。この計画が狂ったことが堺事件の引き金を引くことになるのです。

 

▲フランス水兵が上陸し、土佐藩士との間に銃撃事件がおきた堺港から環濠へと通じる水路。堺事件第二の現場。

大和橋からはわずかな距離の堺港。まさに堺事件の現場へと、白神さんとかとうさんは移動。港から環濠へとつながる水路の南岸にフランス水兵たちは、ボートで乗り付けました。予定の時間になっても艦長はやってこない。何があったのかとフランス水兵が堺の街中へ入ろうとした時、駆け付けた土佐藩士たちとの間で銃撃戦になったのです。まさにその現場で、白神さんは土佐・フランス双方の立場の意見を紹介します。
「フランス水兵たちが町衆に乱暴していた」という土佐側の意見。「ただ水路を測量していただけだ」というフランス側の意見。しかし、フランス水兵と堺の町人たちは互いの食料を交換するなど平和に交流しており、フランス水兵は銃を携帯していませんでした。その証拠として「なぜ土佐はフランス人を打ち払ったのか」という当時の堺の町人の感想を白神さんは紹介します。

ともかくこの発砲事件で11名のフランス水兵が死亡。事件を引き起こした土佐藩士たちは、悪びれる風もなかった。なぜなら攘夷思想に基づけば、外国人排斥は国のため、土佐藩士たちにとっては正義を行使したに過ぎなかったからです。
もちろんフランス側は大激怒し、日本側に謝罪と賠償、そして処罰をもとめます。処罰とは死罪。銃撃戦を行った土佐藩士たちの中から、くじ引きによって20名の藩士が対象として選ばれたのでした。堺事件、第二の悲劇の始まりです。

■若者たちの悲劇は続く

 

▲堺を守護した土佐藩士から死罪となる20名がくじ引きで選ばれた。この紙芝居のイラストは柿澤和代さんによるもの。

藩士たちの中から死罪となる20名が選ばれるくだりは、紙芝居と玉田さんの講談で再現されます。ここで、選ばれた中の一人、柳瀬常吉が故郷の歌である『よさこい節』を歌ったというエピソードが紹介されます。上映会の冒頭に、『よさこい節』が披露されたのは、このエピソードがあってのことだったのですね。

堺事件で語られるのは、多くの場合、フランス水兵との銃撃戦と土佐の侍たちの切腹のエピソードまでです。しかし、この事件はそこで終わっていません。若者たちの物語は、そこから先の方がむしろ長く続くのです。『堺事件 時代に翻弄された若者たち』というタイトル通り、ここから先に土佐の若者たちがどのような運命をたどることになったのかが、このドキュメンタリー作品の核心部分といえるでしょう。
切腹の場として選ばれた妙國寺。死に臨む20名の若者。しかし、ここで彼らの運命は大きく分かたれることになります。

 

▲美しい自然に包まれた入田村。

 

その『翻弄された若者たち』の足跡をたどり土佐へとカメラは向かいます。
古来流刑地とされた土佐国の中でも、より重罪のものが送られる僻地であった四万十川以西の入田村。しかし、そこは別天地のようでした。
コンクリートとアスファルトに覆われた灰色の堺から、青い空と澄み切った川、生命力あふれる夏の緑の木々に囲まれた入田村の様子。そして事件から150年以上たった今も、この村には堺事件を語り継ぐ人々がいました。
語り部は白神さん、かとうさんのコンビから、入田村の人々へとバトンタッチされます。
若者たちのその後、そして入田村の人々の思いはどのようなものなのか。作品の後半部分については、ぜひ実際に作品を観て確かめていただけたらと思います。

 

▲入田村には堺事件の石碑が建てられている。

 

2月。今年もまた堺事件の季節となります。堺事件を語り継ぐための歴史講座が妙國寺で行われる予定です。興味を持たれた方はぜひご参加ください。また、今後ドキュメンタリー作品『堺事件 時代に翻弄された若者たち』の上映会を各地で開催したいとのこと。こちらも楽しみにお待ちください。

 

 

 

 


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