ようこそ! 連歌の世界へ!(2)
「連歌」の紹介記事第二弾です。
2022年3月3日、堺区にある名刹南宗寺において開催されている南宗禅寺連歌会に招待されて「連歌」を初体験することに。連歌は、575の上の句と77の下の句を交互に詠んでいくというもの。それを四十四句詠んで一つの作品として完成させるというのですからそう簡単には出来上がりません。招待された連歌会では、3回目の会でようやく残りは最後の八句というところまで来ました。さてどんな作品が完成するのでしょうか。
■二の句をつげ!
物語に起承転結の起伏があるように、四十四句にも全体の口火を切る「発句」からはじまり、最初の八句を「初折表」、次の十四句を「初折裏」、その次の十四句を「名残表」、最後の八句を「名残裏」といいます。
前回の連歌会の最後に詠まれたのは「名残表」の十三句目「望月に友と交はさむ祝ひ酒」(魁成)に続く、十四句目「さやかなる音を 添えよ虫どち」(規子)です。この77に続く575を考える所からスタートです。
連歌の宗匠(そうしょう)鶴崎裕雄さんからは「前に出てきた句に対して別の景色をつけていく」ように、また「名残なのでさらっとした句にするように」という指導です。
これに対してさっそく句がつきました。
「風そよぎ 裾のみだるる 露の道」(碩應)
南宗寺の御住職田島碩應老師の句です。楽しい酒席に虫の音が聞こえていたのに対して、友と別れた帰り道なのか、虫の鳴く草の道を歩き露に裾が濡れた寂寥感のある情景に続きます。これに対して宗匠は、
「時局をいれると思い出した時に面白いですよ」
と高評価。ここでの時局とはロシアによる軍事侵攻のことです。「露」の字はロシアの漢字表記「露西亜」からです。露がロシアのことだとすると、ロシアの道行きが乱れることを暗示している歌となります。これは見事なダブルミーニングです。
この句の次にどんな句をつけるのか。参加者は頭をひねり、手元の短冊に思いついた句を書いていきます。完成した人から、宗匠を補佐する執筆(しゅひつ)のもとに句をもってきます。さあ最初の方の句は?
「北方領土へ たづなきわたる」(保)でした。
たづとは古い言葉で鶴のこと。ロシアや戦争のイメージから、ロシアと係争中の北方領土へ鶴が渡っていく情景を詠んだのでした。ところが、この句は失格となります。その理由は「北方領土」という言葉が漢語だから。連歌には基本的なルールとして大和言葉を使わないといけません。
また、もう一つ連歌には「式目」というルールがあります。これは句に使われている言葉の中から季節や動植物などを扱った主要なパーツである「句材」に関するルールで、同じ季節はいくつ続けないといけないとか、同じカテゴリー(部立)の句材は続けて使ってはいけないというものです。ここでひっかかったのが、「たづ」でした。
「たづ」と二句前の「虫」は同じ句材のカテゴリー「動物(うごきもの)」に属し、鳥と虫は三句明けなければならないという決まりになっているのです。
保さん残念! 自席に帰って再挑戦です。
結局、ここで採用されたのは、
「早く終われと のぞむ人々」(裕雄)
でした。この道行きが早く終わって欲しいとも、ロシアの引き起こした戦争が早く終わって欲しいとも、どちらともとれる。これもダブルミーニングですね。
■イメージの連鎖を楽しもう
こうなってくると連歌会が熱を帯びてきます。次に持ち込まれた句は、
「さはあれど 号砲やまず 街の中」(泰行)
今度はストレートに戦場の街の様子を詠んでいます。ですが「号砲」が漢語です。そこで泰行さんはすぐに言葉を入れ替えました。
「さはあれど 煙立ちのぶ 街の中」。これが採用されます。そして、この句につけられたのが、
「千年も続く 鄙の家にも」(佐代子)でした。鄙というのは、人気もまばらな田舎のことだったりします。こうなってくると、前の句の煙は、戦場の煙かもしれないし、炊事の煙のことかもしれません。「千年続く家」も日本の古い村かもしれないし、戦場となった古都キーウのことかもしれない。後から出した句によって、前の句のイメージが膨らみます。
この化学反応(ケミストリー)は連歌ならではの面白さではにでしょうか。連歌は、教養や機知、文学的なセンスに加えて、他者の作品と協力し、相手を活かしてもいく力も必要とされそうです。スポーツや音楽といったジャンルなら珍しくはないでしょうが、文学というジャンルでこんなチームプレイは他には、ちょっと無いのではないでしょうか。
八句のうち四句まで採択されました。残りは四句です。
そこに満を持して保さんが再登場。
「北の空 何処の国へ 鶴帰る」(保)
漢語だった「北方領土」を大和言葉の「北の空」に変更。「何処の国へ」としたこともイメージの膨らみが出た印象です。式目も問題なしで、採択されました。
「鶴が帰るのは春ですから、春の句を続けないといけません」
春は三句以上五句まで続けるという式目があるのです。ということで、次の句は「春」の季語をいれるというルールが追加されます。
ここで待ってましたと出されたのが、
「角ぐむ葦に 波うちよせる」(富久子)
富久子さんは、この「角ぐむ」というちょっと耳慣れない言葉をずっと使いたかったのだといいます。「角ぐむ」とは植物が芽吹くという意味です。前の句と合わせると、鶴が飛び立つ水辺に葦が芽吹く情景が見えてきます。
「堺だから、陵(みささぎ)、茅渟の海(ちぬのうみ)、和泉(いずみ)という堺にちなんだ言葉を使いたいです」
富久子さんのように、言葉にこだわるのも連歌の楽しみの一つのようです。
「賑はひの 背割りの堤 花の下」(信子)
最後から二句目は「花」を詠むというルールがあって、見事に春の花を詠んだ句になりましたが、この背割りの堤とは、枚方市、八幡市にある宇治川と木津川を隔てる堤防のこと。宗匠から「ご当地の場所をいれるべき」とのアドバイスもありました。
そして最後の句は、締めの挙句(あげく)に相応しいしめやかな句ということで、
「しあはせ祈る 麗かな頃」(幸代)
となりました。
四十四句のうち、それぞれ何句採用されたのかで点数がつけられ、これで連歌は終了しました。
取材したのはわずか八句だけでしたが、ドラマティックな展開にドキドキしっぱなしでした。来月はなんと境内にある三好長慶公の銅像の前、桜の木の下で「花の下連歌会」が開催されるとのこと。その様子を取材しながら、この「南宗禅寺連歌会」がどうして生まれたのかを、代表の竹内魁成さんに話していただくことにしましょう。
→第3回へ続く
南宗禅寺連歌会
南宗寺
堺市堺区南旅篭町東3丁1-2