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「”西陣美術織”寄贈式」レポート~「西陣美術織展・堺と西陣織の縁」に先駆けて(前編)

2022年は、堺にゆかりの深い2人の人物、茶人千利休と戦国武将三好長慶の生誕500年にあたり、同時に西陣織誕生555年にあたります。

三好長慶は近年その評価が非常に高まってきた人物です。阿波国(今の徳島県)の武将で、堺を足がかりに関西一円を支配して、織田信長に先駆けて「最初の天下人」と称されました。今に残る堺の名刹・南宗寺は、三好長慶が父の菩提寺として開山したもの。堺生まれの茶人千利休も南宗寺で禅の修行したことで、佗茶を大成させたのです。
2022年2月8日、その南宗寺で、千利休と三好長慶の肖像画を織った西陣美術織の寄贈式が行われました。その様子をレポートします。

 

■堺と西陣織の縁

南宗寺の御住職田島碩應老師の挨拶で、観音様に手を合わせてから寄贈式は始まりました。
まずは、西陣織国際美術館館長蔦田文男さんより、西陣織の歴史についてのお話がありました。それは小講演とでも言うべきものでした。以下に簡単にまとめてみましょう。

▲蔦田さんが手にもつ田島老師の肖像画は西陣美術織で織られたもの。

絹織物の歴史は、古墳時代に遡ります。飛鳥時代、奈良時代を経て、平安時代に絹織物の技術者たちは、織部司として組織されました。
西陣織が生まれたのは室町時代の1467年。応仁の乱の時です。権威が失墜した足利将軍家の後継者問題によって、日本は二分され、両勢力は京の町に西の陣と東の陣を張って対立したのです。
「西陣側が勝ったから、西陣織になったわけです。東が勝っていれば東陣織になっていたかもしれません」
そして、この応仁の乱によって堺と西陣織の縁も出来たのです。乱によって京の町は焼け野原となり、職人たちはすでに織物の匠たちがいた堺を移住先に選んだのです。京からやってきた職人たちが、錦織、綾織をはじめたことが、今も堺区にある錦之町、綾之町、錦綾町に地名として残っているのです。
それだけの歴史がある西陣織ですが、現在危機に直面しています。西陣織だけでなく和装業界全体の危機です。1958年ミッチーブーム(当時皇太子だった平成上皇と美智子上皇后の結婚による)によって着物業界は最盛期となりますが、現在はその1/10に縮小。職人の数も1/10にまで減少しているのです。
この苦境に打ち勝つには新しい挑戦が必要だと蔦田さんたちが取り組んだのがアート分野への進出でした。西陣織の技術でしか生まれない細密な肖像画などのアート作品を生み出す西陣美術織。今回、堺の2人の歴史上の人物と田島老師の肖像画を織り上げたのも、この西陣美術織だったのです。

 

▲堺で35年間着物のお店をされているという増谷さん。

 

次に登場していただくのは、この企画の主催者、堺市で35年間着物のお店をされているなごみ企画の増谷保さんです。
この日の西陣美術織寄贈式は、増谷さんたちの企画「西陣美術織展・堺と西陣織の縁」に先駆けての記者発表を兼ねているものでした。増谷さんたちが企画した意図はどのようなものだったのでしょうか。
「千利休と三好長慶の生誕500年。西陣織誕生555年。この二つの記念の年に、記念となるイベントをしたい。2人の偉業と西陣織をわかっていただきたいと、昨年の夏から堺・ちくちく会と有志の方とで企画をすすめてきました」
寄贈式をこの日に行ったのは、2月13日が三好長慶の誕生日にあたるからでした。

「西陣美術織展・堺と西陣織の縁」の会場はさかい利晶の杜2階の企画展示室。会期は2月11日~13日となります。
この美術展には、「千利休」「三好長慶」の肖像画だけでなく、様々な西陣美術織による作品が展示されます。
南蛮行列でなじみのある「住吉祭礼図」、堺区の妙國寺にあり織田信長と縁の深い「国指定天然記念物大蘇鉄」など堺と縁の深い作品。日本の絵師として近年人気がうなぎ登りの「長谷川等伯松林図」、誰もが知る「狩野永徳 国宝 唐獅子図」の西陣美術織も。
また、講座室では「~濃茶より濃い仲三好一族と堺から紙芝居で綴る三好長慶と千利休の世界」をテーマに紙芝居を上演。12日、13日には、1階茶室広間で三好長慶を題材とした朗読劇「蘆州のひと」が上演されます。

 

■超絶技巧 西陣美術織

▲西陣美術織で製織した田島老師の肖像画。

 

さて、写真と見まがうばかりの西陣美術織ですが、どのようなものなのでしょうか。再び、西陣織国際美術館館長の蔦田さんにお話をうかがってみましょう。
「西陣美術織は、掛け軸ですと縦糸に2700本、横糸に12000本の糸を使用して、つづれ織りで織り上げています。糸は普通の糸の1/3の細さしかない最も細い糸を使用しており、これは髪の毛の細さの半分から1/3の細さです。時には50色の横糸を使いますが、今回は15色の横糸で織り上げています。写真のようといいますが、写真とは違い立体的な表現が出来るのも西陣美術織の特徴です」
これだけの細い糸を使い、写真のような精密さで織るためコンピュータによる制御を使っていますが、織機自体は300年前のものと同じ構造。
「西陣美術織は、伝統と最新技術を融合させています。コンピュータによって図案化し電力で織機を動かしていますが、糸はあまりにも細くて切れやすく、その日の湿度によって調整するのは熟練の職人の技がないとできません。また西陣織では金と銀の糸を使うのですが、金の糸を使って織ることができるのは世界でも他にはないものなのです」

この西陣美術織が生まれたのは、先にも述べたように一時はブームを巻き起こした和装がしだいに廃れて市場規模が1/10にも縮小してしまい、なんとか伝統や職人を守ろうとするためでした。
「西陣美術織の第一作は、当時の森喜朗首相の肖像画でした。大変喜んでいただき、続けてアメリカのブッシュ大統領、ロシアのプーチン大統領の肖像画も奉納させていただきました。また、ブータン国王のご成婚に際してブータン国王の肖像画を織って大使館を通じて奉納いたしました」
西陣美術織で肖像画を織り上げるには半年もの時間がかかりますが、作品として400~500年間は持つとされています。400~500年といえば、それこそ千利休や三好長慶の活躍した戦国末期にも遡るほどの時間。電子メディアがあっという間に廃れていく事を考えれば、とてつもなく長い時間に耐えられる保存形式といえるかもしれませんね。
「現在、奈良聖林寺の国宝十一面観音像が奈良国立博物館で展示されているのですが、十一面観音像を西陣美術織で織らせていただいており、今聖林寺では西陣美術織の十一面観音像が留守を預かっているのです」

精密な肖像画として、国宝級の絵画や仏像を写した作品としても、西陣美術織は重責に堪える実力を認められているようです。「西陣美術織展・堺と西陣織の縁」は、そうした西陣美術織を間近に見ることが出来る機会です。興味のある方は、ぜひ足を運んでください。

次回の後編記事では、いよいよ田島老師にご登場いただき、三好長慶と千利休、そして知られざる堺の価値について語っていただきます。

 

南宗寺
堺市堺区南旅篭町東3丁1-2

 

西陣織国際美術館
web https://nishijinoriart.com/

 

さかい利晶の杜

 

 

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