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ミュージアムへ行こう! 「博物館には何がある?」 レビュー(2)

 

開館40周年を迎えた堺市博物館では、企画展「博物館には何がある? -堺市博物館コレクション展 Part1 近代編-」が開催されていました。

東京オリンピックが予定されていた今年、流通の需要が激増し、美術品を運べるトラックを手配することが困難になるという予測から、コレクション展というコンセプトは事前に決まっていたそうです。予想外のコロナ禍によりオリンピックは延期になったのですが、感染予防のため余所から所蔵品を運ぶことがさらに難しい状況となったため、コレクション展で無ければちょっと困ったことになっていたかもしれません。人間万事塞翁が馬ですね。

それはさておき、コレクション展Part1では、堺市博物館のコレクションの中から近代堺のものがピックアップされました。

第一章は、郷土画家として知られる岸谷勢蔵が取り上げられました。担当学芸員の江坂正太さんは、岸谷勢蔵を近代堺を代表する人物として高く評価していました。そして、第二章は、同じ画家でもまるでタイプの違う人物が取り上げられていました。その画家とは「大正の広重」こと吉田初三郎です。

案内は、江坂正太学芸員と、渋谷一成学芸員のお2人です。

 

■エンターテイメントとしての鳥瞰図

▲吉田初三郎による稚内市の鳥瞰図。緻密さにうならされます。

 

江坂正太(以下、江坂)「第二章で取り上げたのは、鳥瞰図で有名な吉田初三郎です」

渋谷一成(以下、渋谷)「当館では吉田初三郎をテーマにした展覧会を何度か開いていますが、10年前にも『描かれた近代の景観-パノラマ地図にみる都市と観光-』という特別展をやって、パノラマ調に描かれた吉田初三郎の鳥瞰図を取り上げました。吉田初三郎は、京都出身の画家ですが、堺市が鳥瞰図を頼んだ縁があります。堺市博物館には、印刷物などを含めて、吉田初三郎は2千点以上のコレクションがあります」

――2千点もあるのですか!? 展示されている鳥瞰図も随分立派ですね。

江坂「吉田初三郎は、北海道から四国、九州まで様々な都市の鳥瞰図を描いています。その中から4点の原画を展示しています。よく、こんなにたくさんの鳥瞰図をどうやって描いたのかと言われるのですが、実は1人で描いたわけではないのです。弟子と一緒にチームで描いたようです。たとえば、地形を調査する係、建物を調査する係、色と担当する係とかがいて、最後に吉田が構図を決めるとか、そういう感じだったのではないでしょうか」

――ゴルゴ13で有名なさいとう・たかおのプロダクション制みたいですね。

江坂「それだけではなく、吉田初三郎は一時は、印刷会社ももっていました。そこで印刷技術の実験や開発を行ったりもしていたようです」

――なんだか、面白い人物ですね。

 

▲軽井沢町の温泉地星野温泉を描いた「霊湯星野温泉」。豪商星野国次の建てた星野温泉本館が大きく描かれている。遠景には本来見えない富士山や東京も描かれている。

 

江坂「 鳥瞰図自体も独特なんです。吉田初三郎の鳥瞰図の特徴は、パノラマ調に地形をU字型にぐっと曲げて、本来は見えないものを見えないように描く独特の描き方をしているのです」

渋谷「馴染みのある堺の鳥瞰図を見てもらうと良くわかると思いますよ」

――あ、なるほど。主題である都市の部分をお腹を突き出すみたいに前に突き出して描いて、外を折り曲げて、遠くのものまで画面の中に無理矢理おしこめているんですね。

江坂「都市の部分は、地形的にも比較的正確に描いているのですが、周辺部分はエンターテイメントというか、イメージの広がりを描いています。吉田初三郎は、見えないような距離であっても、富士山とか東京とかを入れたがるんです」

――鑑賞者が見たいと思っている面白いものを画面の中に入れ込んでいるんでしょうね。すごくサービス精神があるというか、何が受けるか分かっている人っぽいですね。堺の鳥瞰図はどんな風でしょうか?

 

▲堺市鳥瞰図。仁徳天皇陵に比べて、履中天皇陵がささやかに描かれている。

 

江坂「堺の鳥瞰図は、1935年に堺の産業課から頼まれたようです。ちなみに岸谷勢蔵も仕事を依頼されています」

渋谷「吉田は好きなものを大きく描くクセがあります。仁徳天皇陵は大きく描かれていますが、履中陵は(小さな)反正陵ぐらいの大きさです」

江坂「内国勧業博覧会の第二会場になった大浜は大きく描かれています。面白いのは、こうした鳥瞰図では珍しく企業がしっかり描かれていることです。たとえば、福助足袋や堺化学など堺を代表する企業の企業名も見えます」

――これは細かく描き込まれてますね。

江坂「一方で、周辺部分を見ると大阪市から和歌山の新宮まで入っています。堺の鳥瞰図でも、クローズアップされている部分は比較的正確に描かれていますが、周辺部分は実際の縮尺を気にしない描き方をしています」

――他の都市の鳥瞰図も面白いですが、自分の住んでいる堺市の鳥瞰図は見飽きないですね。戦前の堺市がこんなにも精密に描かれているという点でも、貴重な資料ですね。

 

 

■マルチメディアクリエイター!? 大正の広重 吉田初三郎

▲「観光春秋」の表紙に、吉田初三郎の息子が桃太郎の仮装で登場。

 

江坂「吉田初三郎の仕事は、鳥瞰図だけではなく多岐にわたっています。こちらには、鼓を持った女性の原画、雪の春日大社の原画を展示しています。その隣は、また面白いものです。吉田初三郎は、愛知県犬山市の桃太郎神社の復興にかかわっていて、こちらの雑誌で日本一の桃太郎さんとして写真に写っているのは、吉田の息子です。吉田は、桃太郎が好きで、自らを桃太郎になぞらえていたようなんです」

――なんでまた、桃太郎が好きなのですか?

江坂「当時は健康優良児のイメージがあて、桃太郎がブームになっていたんです。また自伝的な『大正広重物語』では、業界の内ゲバのようなことを赤裸々に描いていて、その中で自らを桃太郎に擬していました」

――正義の味方で自分は正しいと主張したかったのでしょうか。『大正広重物語』って、「大正の広重」というのは、吉田初三郎のあだ名ですか? これは誰が言い始めたのですか?

江坂「自分でいいはじめたみたいですが、自称している内に周りからも言われるようになったようです」

――自らを広重と言うなんて、強い自意識をもった人柄が見えてきますね。しかし、人にも言ってもらえるようになって良かったですね。実力が伴ってなかったら、ただの痛い人ですが、それだけの力があったということでしょうね。

江坂「それだけではなくて、吉田初三郎は音楽分野にも関わりをもっていて、『筑前琵琶桃太郎』の作詞作曲をしていたり、『歌の新聞』という雑誌に寄稿した文章をこちらに展示しています。また、こちらの展示は、日本全国の桜の名所の紹介で、雑誌『少女倶楽部』の付録です」

――今風に言えば、マルチメディアクリエイターでしょうか。自らもプロデュースしている感じがあって、この人も面白い人物ですね。

▲「歌の新聞」。吉田初三郎は歌の分野にも関わりをもっていた。

 

人となりが知られていない岸谷勢蔵と、外連味たっぷりの吉田初三郎。人物像も描くものもまるでタイプの違う2人の画家に2章が割かれている理由が分かってきました。2人の仕事を合わせると、戦前の堺がマクロからミクロまで立体的に見ることが出来ます。

では、いよいよ、最後の第三章を見せてもらいましょう。

 

 

堺市博物館
堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内
072-245-6201

 

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