世界を目指す! コミュニティとしてのテニススクール ホリゾン(2)
堺市北区にあるホリゾンビルのあるテニススクール・ホリゾンは、開校6年目にして快進撃を続けています。2019年全日本ジュニア優勝、大阪ランキング女子11歳以下の上位を独占。この強さは、コーチ個人の力量に頼るのではなく、しっかりとした「テニスの教科書」に基づく指導の賜物(たまもの)でした。
ところが、世界にも通用するようなジュニア育成に特化したテニススクールなのかと思いきや、代表の堀内俊孝さんの思惑は違っていました。ジュニアと一般の方の両輪こそがコンセプトだというのです。(第1回)
一体どのようにして堀内さんがホリゾンを立上げ、ここにいたったのかを第2回ではお聞きします。
■父のやりのこした夢
--岸和田校の次に堺にスクールを出された理由はなんでしょうか? 関西でテニスというと、園田や芦屋など兵庫県のイメージがありますが?
堀内俊孝(以下、堀内)「このホリゾンビルは、父がやっていたスクール、北花田テニスクラブの跡地なんです。岸和田も堺に負けずにテニス好きが多い土地柄であったため、北花田本校を予定しつつも、岸和田に1校目として設立しました。いずれは、私の母校の甲南大学のある神戸にも進出したいと考えています」
現在ホリゾンビルの建っている場所にあった北花田テニスクラブの事を覚えている方もいらっしゃるでしょう。その北花田テニスクラブこそ、堀内さんの父が続けていたテニススクールでした。一方、堀内さん本人は、学生時代から起業家として活躍をはじめていました。生き馬の目を抜くような荒波の現代ですから、手がけた業種や活動のやり方もめまぐるしく変わる激動の時期だったようです。そんな時に、堀内さんの父が亡くなり、その後しばらくして歴史あるテニススクールは惜しまれつつ閉店します。
堀内「父の教えは、『テニススクールはテニスをしにくるだけの場所ではない。テニスは手段でありテニスを通して得るお客様それぞれの目的を大切にしなければならない』というものでした。テニススクールの閉店後、私はテニススクールを作りたい。父が本当にやりたかったことをやりたいという気持ちが強くなっていました。しかし、まだ達磨に片目しか入っていないような気がしていたんです」
――何かが欠けていると感じていたんですね。
堀内「ええ、近年は錦織圭選手の活躍もあって、本気で世界を目指すジュニアの子も増えてきました。もし、本当にテニスプレイヤーとしての夢を持った子が来た時にどうすればいいんだろう。この年代はスポーツ選手としてとても大切な時期です。そんなジュニアの子に対して適切な指導が出来ずに、取り返しのつかない段階まで引っ張ってしまうことになったらどうしよう。そんなことを恐れていました。そんな時に、私はある方と出会ったのです」
その人物とは、かつて名伯楽でした。
堀内「その方……先生とお会いした時は、公園のコートで何人かの学生の指導をされていました。私も中学時代までは熱心にテニスをプレーしていたのですが、我流でいわゆるテニスエルボーになってしまっていたんです。肘を痛めていて、一時間もラケットを持つと肘がしびれてしまうという症状が出るんですね。すると、先生はこともなげに「フォームを変えたらいいじゃないか」とおっしゃるんです。今更フォームを変えるなんて簡単なことではありません。でも、週一回の先生のレッスンを受けているうちに、フォームを変えただけでなく、以前より圧倒的に上手くなってしまって、テニスエルボー? なにそれって感じ。たとえば、左手を怪我していても、右手には関係ないですよね。そんな感じで、まるで別の手を使っているかのようにプレーできるようになったんです」
――まるで魔法にかけられたような話ですね。
堀内「その時にですね、当時付き合っていた彼女……今の妻なのですが……は、テニスの素人だったので、丁度いいと思って一緒に習い始めた所、1年間で私とダブルスが組めるようになってしまったんです」
――それって、すごいことなのですか?
堀内「あり得ないですよ。毎日練習する部活じゃなくて、週1回の練習ですからね。週1回の練習だったら、プレイできるようになるまで普通なら3~4年かかってしまう。1年で出来るなんて、驚異的な成長ですよ。初心者だけじゃありません。その時一緒にスタートした高校1年生で、地区大会敗退レベルだった子が、3年生でインターハイで優勝したんです。これも常識では考えられないことです」
――素晴らしい、奇跡のレッスンですね。では、この先生がホリゾンの「テニスの教科書」の基というわけですね。
堀内「先生との出会いで、達磨のもう片方の目が埋まったんです」
これがテニススクール・ホリゾンの幕開けでした。そこで堀内さんは、父の夢を叶えるだけでなく、これまでにないテニススクール作りに取りかかります。まずこだわったのは、施設そのものでした。
■破格の施設
2014年に岸和田校をオープンさせ、ついで2017年にホリゾンビルが完成し、北花田校がオープンします。ホリゾンのテニスコートは、インドアなのにまったく閉塞感がありませんが、それもそのはずでした。
堀内「天井の高さにはこだわりました。インドアテニスの天井の高さとしては破格の8mあります。これは何故かというと、プロテニスプレーヤーの試合におけるロブの最高点が7~7.5mだからです。つまりプロがプレーできる高さなのです。広さも公式戦が出来るだけの広さがあって、コートの周囲のスペースもしっかりあります」
――では、ホリゾンの生徒の皆さんは、毎日プロと同じコート、同じ環境で練習しているってことなんですね!
堀内「サーフェイス、つまりテニスコートを覆う表面の素材も国際ハードコート基準を満たしているプロ仕様です。岸和田校のコートは全豪オープンと同じ、北花田校は全米オープンと同じものにしています。メーカーの素材をオーストラリアから船で取り寄せないといけなかったりして、時間もお金もかなりかかったのですが、世界一足への負担が少ないコートなんです」
――怪我がしにくい環境を整えたんですね。
堀内「はい。こだわりは他にもあります。照明もそうです。照明の明るさも場所ごとのデータを取って、照明にまぎれてボールが消えて見えないような明るさ(ルクス)に調整しています。またテニスコートって、ボールなどの毛羽がすごく飛ぶものなんですが、私はそれがすごく気になっていたんです。ほら、丁度映画館でライトに埃が舞っているのが見える時があるでしょ。ああいう感じです」
――それはどう対策をしたんですか?
堀内「空調を最高級のものにしました。あそこに機械があるでしょう。一台で自動車一台分ぐらいの値段がしますが、数十分で完全に空気が入れ替わります。そのつもりはなかったのですが、今となってはコロナウイルス対策にもなっていて、導入して良かったと思っています」
――すべてが破格の環境ですね。
堀内「練習環境という意味でも、大坂なおみ選手が来られても過不足ないようにしています。環境にも徹底的にこだわって、そこまでの(大坂選手レベルの)子を育てるつもりなんです」
強いジュニアを輩出し続ける理由の一端が見えてきた気がします。しかし、そうなってくると、今度はまた新しい疑問が湧いてきます。ひとつは堀内さんの、このこだわりがどこから来るのか。テニスに対するモチベーションは何なのか?
それと、もうひとつは日本テニス界の現状についての疑問です。日本人選手は世界のトップに伍して戦ってはじめて知名度を得るような現状で、そうした選手は決して多くありません。これほど多くの人がテニスを楽しんでいる日本で、どうして限られた選手しか世界の扉を開けることができなかったのでしょうか?
第3回では、この2つの疑問に迫ります。
JSNインドアテニスアリーナホリゾン
ホリゾン北花田本校
堺市北区北花田町3-17-6ホリゾンビル3F
TEL 072-251-4015
ホリゾン岸和田校
岸和田市下松町3-7-60
TEL 072-424-1340