住吉大社宿院頓宮 ~堺と住吉の縁~
堺区の環濠内を東西に貫くフェニックス通り。山之口商店街の南口のお向かいにあるのが、宿院頓宮です。小さな公園が付随していて、可愛らしいウサギの彫刻が迎えてくれます。
実はこのウサギも神社と無関係な存在ではありません。堺と住吉大社の発祥に由来する彫刻です。話は1800年も昔に遡ります。神功皇后の摂政十一年(西暦211年とされる)、朝鮮半島から帰国した神功皇后の船団は、堺に上陸して宿院頓宮のあった場所に兜を納めたあと、神託を受けて辛卯年の卯月の上の卯日に住吉大社を創建します。
卯=ウサギとは、堺と住吉大社の関わりを象徴する動物であり、毎年8月1日に住吉大社から住吉の神様が神幸する「御渡」は、この時の神話的再生であり、向かう地こそが宿院頓宮なのです。
今回は、以前この「御渡」について詳しく話していただいた(記事1/記事2)神職の古布智寛さんに再び登場していただくことになりました。
■堺と住吉の縁
――今回は、特に堺の商人と宿院頓宮の関係についてお聞きしようと思います。
古布「堺と住吉の縁は深く、はったつさん(初辰まいり)の猫の人形は、昔は堺の焼き物・湊焼の会社のものでしたが、住吉では堺焼と呼んでいました。また、住吉大社の御菓子とお茶は、すぐそこの山之口商店街近くにある丸市菓子舗さんと西尾茗香園のものです。山之口商店街から、宿院頓宮への寄進も多いものでした」
――へぇ。山之口商店街は開口神社さんの参道ですよね? 宿院頓宮にも寄進されていたのですか。
古布「開口神社さんは地域の氏神様で、住吉神社は崇敬神社、全国から信仰を集める神社というふうに性格が違うんです。地域の皆さんは両方の神社を信仰したのでしょう」
――そうか。バッティングするわけじゃないんだ。
古布「住吉神社は海の神様ですが、昔は堺にある三つの漁協が正月三が日のお祭りを担当していたそうです。翌日まで宴会をしていた漁協を次の担当が追い出したりして(笑)。これは帆船の時代からで、海上輸送を担った堺の廻船問屋などが住吉の神を信仰したのです。堺は貿易で繁栄した町ですから、堀之内(環濠内)の中心街に海の神様に居てもらうことで、平和と繁栄を祈ったのです。宿院頓宮は海に向けて建っていますし、今でも堺の港へ行くと住吉丸という名前の船ばかりじゃないですか? これが四国へ行くと金比羅丸になるのですが」
――たしかに、堺の漁港は住吉丸だらけだったような記憶があります。なんでだろうと思っていたらそういうことか。
古布「神様の名前をつけて安全を祈ったんですね」
――金比羅さんも海の神様ですね。もとはインドのワニの神様だ。
古布「堺と住吉の関係はまだまだ深いですね。大魚夜市も、住吉の神様へのお供え物のあまりを商いしたもので、日本全国どころか朝鮮半島からも人が来たと聞いてます。大正時代頃でしたか、あまりもの人出で朝から晩まで汽車をピストン輸送で走らせたそうです」
――大浜がリゾート地としても知られていた頃ですよね。
古市「住吉の夏祭りは、神輿洗い神事というのがあって、海で神輿を洗います。そこから堺には潮湯が古来から有名ですが、潮で体を洗って病を予防するということを昔の人はやっていたんですね」
――堺と住吉の関係は、商品から行事、習慣までありとあらゆる所に行き渡っているんですね。
■新しい時代に対応
古布「昔の宿院頓宮は、南北1町、東西一町半。5千坪もの敷地がありました。境内には、常設の屋台もあり、住宅も込みだったそうです。それもあって夏祭りの時には、通りの端から端まで屋台の賑わいがすごかったそうです」
――江戸時代の宿院頓宮では、相撲やお芝居の興行もうたれていたといいますね。
古布「ここは、そんな風に人が普段から集まる場所だったんです」
――宿院頓宮が小さくなってしまったのは、戦争の影響もありますよね。
古布「空襲に備えて、延焼を防ぐために建物を取り壊して道幅を広げたため、境内が小さくなりました。戦後の都市整備でも、西にあった名越の丘を削って、神社の境内をかさ上げしたりしています」
――戦後は信仰心が薄くなったということもありますか。
古布「それまでは信仰心があって向こうから一方的に来るものだという考えがあったのだと思います。しかし、今は宗教や日本古来の考え方は崩れていく。今の時代にどうやって残っていくのかも課題です」
――一方で御渡も神輿を担いで住吉大社から来るようになって、年々賑やかになり、ここ数年夏祭りも屋台が建ち並ぶようになってきました。地域の繋がりも復活してきているようにも見えます。
古布「そうですね。地域のお祭りとの連携も模索していますし、行政も昔に比べて随分協力的になってきました。昔は宗教行事には関われないの一辺倒でしたが、ただの宗教行事ではなくて、歴史的な地域の行事という側面があることに理解を示してくれるようになってきました。堺には独特の地域の資源があるのだから、もっと活用して欲しいと思います。昔の堺は海外から来た新しいものを積極的に取り込むような貪欲さがあったと思うのですが、現在の堺はどうも変化を恐れるような所があるように思えます」
――それはあるかもしれませんね。逆に海外から堺への観光客の方も目につくようになってきましたが、宿院頓宮ではどうですか?
古布「増えてきましたね。お賽銭箱の中に見慣れないコインが混じるようになってきました。これはどこの国のお金だろう? と。そう考えると、海外はキャッシュレスが進んでいるので、時代の変化に合わせてQRコードでお賽銭というのは、導入しなければいけないかもしれません」
――せっかく海外の方が来られたのにお参りできなかったとなるのも残念ですよね。神道の自然を敬う考え方に、魅力を感じたり、共感される海外の方は少なくないように思います。
古布「そうですね。(環境活動家の)グレタさんが登場してきましたが、人間が自然とどう向き合っていくのかは、大きな課題です。利便性を求めれば何かを捨てなければいけない。しかし、欲があるから人間であるので、全てを捨てることは出来ない。バランスがいる。人間がわがままになっている今、自然にどうアプローチしていくか、自然を崇拝している神道を海外へどう伝えていくのかを考えています」
かつて世界の海へ繰り出した堺の商人たち。そんな堺の進出の気質が神社からリスタートする。そんな気概が感じられた宿院頓宮の古布さんのお話でした。
住吉大社宿院頓宮
堺市堺区宿院町東2丁1−6
072-232-1029