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さかい利晶の杜企画展「立花大亀と茶の湯」レヴュー(3)

昭和のいつの頃までか、堺の商家にはちょっとした習慣があったそうです。それは、お茶と能楽の謡を習うこと。女性ならそこにお花も加わります。お正月には、家族揃って1年の始まりを謡で祝ったのだとか。
今の堺区材木町山之口筋という、当時の一等地の小間物屋に生まれた立花大亀も、お茶と謡の素養がありました。(前篇中篇
さかい利晶の杜で開催されている企画展「立花大亀と茶の湯 三世紀を生きた堺の禅僧」のレビュー後篇では、第3章「和比とさび」から、お茶と能楽で培われた立花大亀の精神性に触れていくことにします。

 

■「和比とさび」と幽玄の世界

 

▲大宇陀本郷からみたかぎろひ。(写真提供:宇陀観光協会)

 

堺が生んだ近代日本屈指の禅僧立花大亀の企画展レビューもいよいよ最終章です。案内は引き続き担当学芸員の木村栄美さんにお願いしています。

木村栄美(以下、木村)「大亀和尚はこどもの頃から謡をされていて、能楽の幽玄の世界と、お茶の和比(わび)さびが、禅に共通すると精神性を尊んでいました。こちらの写真は、奈良県宇陀市の写真なのですが、かぎろひといって冬の日の寒い朝の朝日が昇る前に見られる朝焼けの現象です」
――空が燃えるような鮮やかな色になっていますね。
木村「色は刻一刻と変化します。大亀和尚は、このかぎろひを好みました。あるものとないものの世界で、和比さび、幽玄と共通すると感じたんですね。このかぎろひが写された宇陀市ですが、大亀和尚の実家の使用人に宇陀出身のものが多く、宇陀に親類がいたこともあって深い縁を感じていました」
――昔は堺と奈良の縁は深くて、奈良からお嫁さんを迎えたという話を良く聞きます。
木村「あの柿本人麻呂は狩場だった阿騎野(宇陀市)で、『東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ』と詠みましたが、大亀和尚はこの歌も好み、いくつもの作品にして今に残しています。この第3章では、宇陀市の『大亀和尚民芸館』所蔵品を中心にご紹介しています」

 

▲立花大亀和尚作。菓子箱を利用した莨盆(左)と信楽風の伊賀水指(右)。

 

木村「こちらは、大亀和尚が作ったものです。伊賀焼なのにその特徴の耳が無い水指。いや、伊賀風の信楽焼でしょうか。このオレンジ系の色合いは、かぎろひを想像させます」
――かぎろひを自ら作品にしているのですね。水指の向こうに飾られている箱にも、かぎろひの絵が描かれているようですが?
木村「これは莨盆なのですが、菓子箱を利用したもので、大亀和尚がかぎろひの絵と柿本人麻呂の歌を書いています」
――お茶の見立ての精神で、菓子箱を莨盆にしたんですね。包装紙を封筒にした大亀さんの手にかかると、空き箱まで芸術作品になってしまうようです。大亀さんは現代アーティストのようです。いや、そもそも利休さんの茶の湯の精神が現代アートの精神に通じているようにも思えます。
木村「こちらには、大徳寺第201世沢庵の墨跡で『夢』と書かれています。夢というのは、お茶の一期一会の精神に通じるものがあります。すなわち夢は、一生に一度きりのものであり、その一生に一度きりの出会いを大切にするという意で、沢庵は夢という言葉を好まれたようです。大亀和尚も、『夢』を好みました。大亀和尚の精神的な弟子である、信楽焼の職人である杉本貞光の工房で制作したこの作品にも『夢』の一字が書かれているようです」
――沢庵和尚も堺と縁のある方でしたよね。沢庵和尚と大亀和尚。禅と茶の湯。精神性が時を経て、この作品でつながっていることがわかる展示になってますね。

 

■ひねくれもののご意見番

 

▲立花大亀和尚作の曲がった茶杓の銘は、ずばり「ひねくれ者」。

 

木村「こちらには、大亀和尚作の茶道具が展示されています。この竹入の銘は『蟻通』。表面の穴のように見える模様からでしょうが、『蟻通』とは世阿弥作の能の演目です。大亀和尚作の茶道具のほとんどは、謡曲から銘を取っているんです。『武蔵坊』『松風』など」
――こちらのねじ曲がった茶杓は、銘が『ひねくれ者』となっていますよ。
木村「大亀和尚は、自分のことに重ねて『ひねくれ者』と言ったんでしょうね」
――これまで見てきた展示では、大亀さんの律儀でマメな性格がうかがえたのですが、ひねくれ者だったのですか?
木村「そうですね。せっかちでひねくれものでした。たとえば、学校に行けと言われても、絶対に行かない。5人姉弟の末っ子の長男で、家を継がないといけないのですが、それにも反抗しました。実家は天台宗の檀家で、天台宗で修行もしたのですが、あなたはこうしなさいと言われる天台宗の修行は合わなかったようです。それに対して、禅宗は問いを投げかけて、自分で答えを導き出す、答えを自分で考えて自由に作れる。それが大亀和尚には合ったので禅の修行をされたようです」
――なるほど、ひねくれ者ですね(笑) 禅僧として頂点を極めたわけですが、宗教界にとどまらない人だったようですね。
木村「政財界に強い影響を持っていた人でした。たとえば総理大臣にもなった福田赳夫に助言をしていて、まさに黒衣の宰相と異名がつくような人物でしたね。経済にも非常に興味をもっていて、テレビは見ませんでしたが熱心に新聞は読んで、経済誌にも投稿するような人でした」
――堺にとってはどのような人とはいえるのでしょうか?
木村「伸庵や黄梅庵の移築や、千利休屋敷跡に椿井の屋形を作るなど、堺の茶の湯の歴史をみなおすきっかけを作った人だといえるでしょう」
――たしかに、大亀さんの働きかけがなければ、堺の茶の湯文化は目で見える形では、随分淋しいものになっていたでしょうね。これまでも、立花大亀という名前は、あちこちで聞いていましたが、こんなにも大きな影響を残した人物とはわからなかったです。

 

▲立花大亀和尚の愛したかぎろひ。(写真提供:宇陀観光協会)

 

企画展「立花大亀と茶の湯」のレビューはいかがだったでしょうか。

この企画展は3章立てで、個人的な交流からはじまり、堺市に与えた大きな影響に、禅僧・芸術家としての精神世界まで、コンパクトだけれど十二分に立花大亀という人の魅力を伝えているように思えました。

3世紀を生きたという時間的な長さもそうですが、宗教界にとどまらない交友の広さ、封筒から芸術作品までを地続きで作ってしまうような精神世界の深さ、そして天下の大茶人・千利休を懐古して建てられた茶室やゆかりの椿井を残した影響力の大きさ、どれをとっても破格の人物というしかありません。

そして、「こうしなさい」という修行よりも、禅の「問いかけ」を好んだ大亀さんの生き方を考えると、大亀さんの残した遺産をただ受け取ればいいというものでもないようにも思えます。茶室や椿井、有形無形の遺産は、「あなたたちはどうするの?」という堺市民に対する大亀さんからの問いではないでしょうか。さて、どうしましょうか?

 

さかい利晶の杜
堺市堺区宿院町西2丁1番1号
072-260-4386
http://www.sakai-rishonomori.com/

 

企画展「立花大亀と茶の湯 3世紀を生きた堺の禅僧」
会期:2019年9月14日(土)~10月20日(日) (9/17、10/15は休館)9:00~18:00(入館は17:30まで)
観覧料:一般300円、高校生200円、小学生以下100円

 

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