ミュージアム

特別展「百舌鳥古墳群 巨大墓の時代」レヴュー(3)

全国に16万基以上あるとされる古墳。
一口に古墳といっても、時代によって変遷があり、それぞれに特徴があるようです。
学芸員の橘泉さんに案内していただく、堺市博物館で開催中の特別展「百舌鳥古墳群 巨大墓の時代」の展示紹介ですが、前回の百舌鳥古市古墳群の紹介に続き、今回(3)は全国の個性的な古墳群についてみていきます。
まずは、百舌鳥古墳群と古市古墳群の間にあって独特の存在感を持つ黒姫山古墳を紹介しましょう。

 

●黒姫山古墳

▲黒姫山古墳から出土した甲冑。本当に着用されたものだろうか?

 

橘「美原区にある黒姫山古墳は不思議な古墳です」
――黒姫山古墳は、どの古墳群に属するのですか?
橘「丁度、百舌鳥古墳群と古市古墳群の間にあってどちらにも属していないんです。研究対象としてはとても面白い古墳で、この黒姫山古墳は甲冑の出土量が日本一なんです」
――百舌鳥古墳群と古市古墳群という2つの王権があって、その間に何か強い武力を持つ一族でもいたんでしょうか。両方の王権に利用されていたのか、逆に睨みをきかせていたとか?
橘「色々想像できますね。でも、それ以前に出土した甲冑を本当につけていたものなのかも議論されるところなのです。全部身につけると相当重くて、こんなものを着て戦えるのだろうか? という疑問があります。また甲冑の大きさは大体同じぐらいのものが出てくるのですが、人によって体の大きさはまちまちだから、実際に着たのなら大きさもバラバラのものが出てくる方が自然です」
――実際に装着した物ではなく、儀式に使用したものだったとか?
橘「実用品なのか、副葬品なのか。一方で、最近TVでも放送されましたが、群馬県に“日本のポンペイ”と呼ばれる噴火で埋没した遺跡があって、甲冑を着て子どもを抱いた古代人男性の遺体が発見されました。これで一部は着ていた人もいたことがわかったのです」
――1つの古墳だけでなく、色んな所から出てきたものをつなぎ合わせて色んな事が推測していくんですね。

●西都原古墳群

▲西都原古墳群と同じ宮崎県の六野原古墳群からも鉄製品が出土している。

 

九州の宮崎県西都市にある古墳群。合計319基の古墳と、墳墓をもたない横穴墓や地下式横穴墓も90基ほど存在します。

――今度は近畿から遠く離れて九州の古墳群ですね。
橘「遠く離れているのですが、百舌鳥古市古墳群との強い関連が指摘されています。西都原古墳群の女狭穂塚古墳と、古市古墳群の仲姫命陵古墳とは相似形で、同じ設計図が使われたのではないかと考えられています」
――近畿のヤマト王権と宮崎の間に強い関係があったんですね。
橘「女狭穂塚古墳から出土した埴輪の展示もしたのですが、これは展示としてはちょっと失敗だったな思っている所があります。九州の埴輪は基本そんなに上手じゃないんです。ぱっとみてわかるぐらい。そんな中、今回展示した埴輪は近畿のものによく似ており、古市古墳群の埴輪に混ぜられそうな出来なんです。製作者の関係がとても近かったのかもしれません」
――埴輪としてはいい埴輪でも、そのせいで九州の特徴を比較できる展示にならなかったんですね。
橘「同じ宮崎県の六野原古墳群には、独特のお墓もあります。地下に垂直に穴を掘ってから横穴を掘って埋葬の部屋を造る地下式横穴墓です。このタイプのお墓の副葬品を見てみると、土を持ったお墓の副葬品に決して劣るわけではありません。えらい人を埋葬するお墓には、土を盛っているか、盛っていないか以外にも何かの要素があるのかもしれません」
――古墳時代には、古墳や地下式横穴墓以外にもお墓はあるのですか?
橘「はい。積石塚や崖に横穴を掘ったり、古墳も土を盛らずに周りを掘って造るタイプなどがあります」

 

●能美古墳群

▲平野の中の浮島のような丘陵部に築かれた能美古墳群。

 

石川県能美市にある5つの丘陵にある古墳群の総称が能美古墳群。3世紀半ばから6世紀の終わりにかけて古墳が築かれ、62基が現存しています。
――今度は日本海側の古墳ですね。
橘「遠く離れた能美古墳群ですが、副葬品の配置などが近畿地方の古墳と近い物があり、百舌鳥古墳群とも関係をうかがわせます。この古墳群の特徴としては、平野に浮島のようにある丘陵に築かれていて、各丘陵が支群のようになっています。また、墳丘部上に葺き石がなく、ほとんど埴輪がありません」
――古墳と埴輪はセットなのかと思っていました。

 

▲なぜか小さな方墳にだけ使われた埴輪。うっすらと赤く塗られている。

 

橘「唯一埴輪が見つかっているのが、秋常山2号墳という方墳なんです。そのすぐ側の秋常山1号墳は能美古墳群で最大の前方後円墳なのですが、そちらからは埴輪は見つかっていません」
――大きな前方後円墳から出てきてないのに? また謎ですね。
橘「赤色には塗っていて、近畿のものと近いものを作ろうとしている所はうかがえます」
--近畿とのつながりで、百舌鳥や古市の埴輪をお手本にしたのでしょうか。想像が膨らみますね。

 

●三島古墳群

▲真の継体天皇陵と考えられている今城塚古墳から出土した埴輪。

 

百舌鳥古市古墳群の巨大墓の築造が終わった後の巨大古墳を含み、古墳時代を通じて豊富な副葬を持つ古墳が多い古墳群。高槻市・茨木市に広がり、6つのグループに分けられる500基あまりの古墳からなります。

――大阪に帰ってきましたね。
橘「三島古墳群は大阪ですが、継体天皇の出身地である福井と関係があると考えられ、今城塚古墳は真の継体天皇陵ではないかとも考えられています」
――継体天皇の時に王権の変化があったとも考えられていますね。
橘「古墳にも変化があって、今城塚古墳では堤の上に何らかの場面を表すように、多くの形象埴輪がならべられていました。それまでの埴輪を使いながら、それまでになかったような見せ方を工夫しています。そんなところからも、百舌鳥・古市古墳群との微妙な関係がうかがえます」
――こちらに展示されている埴輪は割れていますね。
橘「これは失敗作のようです。埴輪を製作していた遺跡もあって、出荷できなかった失敗作が見つかっているのです」
――製造過程を考えるには、製造現場で見つかった失敗作の方がいい資料になりそうですね。
橘「そうですね。考古学が一番得意とするのは、何かものをつくる製作の技術を調べることだと思います。その次が、それを使っている社会の仕組みを類推していくことでしょう」
--断片から想像を膨らませていく考古学という学問も興味深いですね。

 

▲生産地だから見つかる失敗作の埴輪。

 

特別展でピックアップされた全国の様々な古墳群について紹介していきましたが、いかがだったでしょうか。
各地の古墳群は遠く離れ独自性を持ちながら、どこか百舌鳥古墳群や古市古墳群の影響を受けていたようです。そんな状況からも、ユネスコ世界文化遺産の登録にあたって、数ある古墳群の中から百舌鳥古墳群と古市古墳群が選ばれた理由が見えてきます。決して世界最大級という大きさだけで、選ばれたわけではないのです。

また、出土された副葬品から見えてくるのは、現代の日本人に通じる古代の日本人の生活や美意識だったように思います。
古墳をただ巨大な土と石の建造物と思えば見えてこなかった魅力も、副葬品を手がかりに当時の人々の暮しに思いを馳せると、身近に感じられるのではないでしょうか。

さて次回は、橘さんから現在の考古学が古墳に対してどのような研究をしているのか。そんなお話をうかがいます。

 

堺市博物館
堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内
072-245-6201

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